(当たったことの無い) 新刀剣男子予想は「笹貫」に一票 太刀 波平行安 (号:笹貫)(重要文化財) 丸に十字紋金具黒漆太刀拵 ・青海波(せいがいは)→波平(波が平らか) ・縦縞→平行脈→笹の葉 ・肩→竹の花 ・京都国立博物館蔵(←※ここ重要)
「山伏打ち」の2振の刀にある梵字はそれぞれ単独では意味が通じません。 しかし、2振の梵字を組み合わせてみるとあるメッセージが込められています。 梵字に仮名を当てはめてみると 之・末・川・保・呂・保・世 ↓ し・ま・つ・ほ・ろ・ほ・せ ↓ し・ま・づ・ほ・ろ・ぼ・せ ↓ 島津(を)滅ぼせ!
堀川国広「山伏打」の梵字 (左)「山伏国広」 ①地蔵菩薩:カ ②金剛界大日如来:バーンク (右)山伏打ちのもう1振 ③釈迦如来:バク ④阿弥陀如来:キリーク ⑤胎蔵界大日如来:アーンク ⑥金剛界大日如来:バーンク ⑦多聞天(毘沙門天):ベイ
「京のかたな」展に出品予定の 「刀 銘 日州古屋住国広山伏時作(以下切)」 と表記のある刀は「山伏国広(重文)」とは別のもう1振ある「山伏時代(天正12~13年頃)」のものですね。 「山伏時」と銘を切るのはこの2振のみとなります 刃長:2尺5寸5分弱(77.1cm) 天正12~13年頃の作
「山姥切国広」は実際に手にとってみると意外と思っていたよりも重量は軽く感じられるそうです。 本歌の「本作長義」も元来は南北朝時代の大太刀ですので重ねは薄めでしょうか。 「山姥切国広」も本歌に忠実に重ねは薄めにしてあるのかもしれません。 平肉を落としたり樋を掻くのも軽量化になります。
足利における「山姥切国広」の展示では光源がハロゲンであったので私も映りをよく確認することができませんでした。 先日、私が大変にお世話になっている恩師の一人で、昔に「山姥切国広」を実際に手にとってご覧になられた方にお聞きしたところ、映りは無いとのことでした。 twitter.com/tsuruginoya/st…
堀川国広の刀工系図 堀川国広には弟や甥といった一族を含めて数多くの弟子がおり、こちらに記されていない刀工も数名おります。 他に実忠、国長、国昌、広実、国次など。 そのなかでも阿波守在吉はもっとも古参の弟子と目され、慶長2年紀(1597)の刀が現存します。
刀 阿波守藤原在吉 慶長二年九月吉日 刃長 2尺4寸2分(73.3cm) 慶長2年(1597)は山姥切国広が制作された天正17年(1589)より8年後 堀川国広の弟子である阿波守在吉のこの作品がもっとも山姥切国広の作風が近いといわれています。
(左)山姥切国広 (右)本作長義 東京国立博物館で開催された「日本のかたな」展(1997)において 本歌:本作長義と写し:山姥切国広の二振は同時に展示されました。 もう20年以上も前になるのですね。
南泉一文字は慶長16年(1611)3月28日、京都の二条城において徳川家康と豊臣秀頼の会見のさい、 家康は左文字の刀と鎬藤四郎の脇指を贈り、 秀頼は南泉一文字の刀と太閤左文字の脇指を家康に贈っています。 南泉一文字 一之箱(重要文化財) 太閤左文字 三之箱(国宝)
現在、東京国立博物館に展示されている堀川国広の高弟:出羽大掾国路の刀が1振展示されています。 寄贈者の伊勢松江氏は「山姥切国広」を所蔵していた伊勢寅彦翁の奥様です。 美濃伝の作風ですが、乱れがやや山型であったり矢筈刃などを交え「山姥切国広」や長義を想わせるものがありました。
昭和37年当時、関東大震災で行方不明になったと思われていた「山姥切国広」がひょっこり出てきたら、刀剣界では戦後(昭和20年以降)最大の朗報だったらしいです(語彙力) 「堀川国広とその弟子」より