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堀川国広がなぜ「本銘長義」または「古銘長義」と切らずにわざわざ「本作長義」したのか。
→山姥切長義(本作長義)は国広が銘を切った天正14年の時点で既に大磨上無銘となっており長義の銘を失っていたこと。
そして無銘ながら長船長義の作であると伝わっていることを茎に刻んだのだと解されます。
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「本作」と「本銘」では意味が大きく違います。
本作(もとの作)
→元は長義の作(刀)であった(と伝えられている)。
(しかし、既に国広が銘を切った時点で磨上げられており)長義の銘が無い。
本銘(もとの銘)
→元は銘があったが現在は大磨上となり長義の銘が無い。
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・「本作」の読みと意味
「本作長義~」の「本作」の部分について
○「本作」(ほんさく)、この作(刀)という意味です。
→この刀は長義です。
○「本作」(もとのさく)、または(もとさく)
もと(元)の作(刀)とも解釈できます。
→元の刀は長義です。
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「鶴丸国永」が伊達家より明治天皇に献上される伊達家における記録
明治34年7月7日
明治天皇の仙台行幸と陸軍特別大演習の際に、献上する品物を相談する。
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なぜ100cmを超えるようなマグロ包丁に「登録証」が不要で、
6cm以上の短刀から「登録証」が必要であるのか。
長さについては前述の通りに殺傷能力でありますが、
刃物として製造された目的が違います。
刀剣類である日本刀は武器として製造されているのですね。
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大正15年(1926)、東京において「国広会」が開催され堀川国広の名刀が83振並べられました。
なかには、後に重要文化財や重要美術品の指定を受ける名品も多く含まれていました。
「国広会」では出品刀の人気投票が開催されましたが、第1位となったのはどの刀だと思いますか?
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「本歌」があって、「写し」が存在するわけですが。
製作者である堀川国広が「本歌」に向き合って「写し」を打つ上で、
作意、真似る部分、アレンジを加える部分、相違工夫した部分、「本歌」への敬意などを見る者に感じさせ、考えたり想像させるのも「写し」の大きな魅力といえますね。
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「山姥切国広」と「山姥切長義(本作長義)」
#一番似ている二人をアップした人が優勝
twitter.com/tsuruginoya/st…
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古刀では藤四郎吉光(国宝)、
新刀では堀川国広(重要文化財)
に剣の作例として唯一の国の指定品がある刀工ということは、
逆説的にいえば、古刀期は藤四郎吉光、新刀期は堀川国広が刀工として最。。。(語彙力)
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日本刀における国の指定・認定品のうち
古刀では「国宝」
新刀では「重要文化財」
新々刀では「重要美術品」
がそれぞれ最高位となります。
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「山姥切国広」を伊勢寅彦翁が高橋経美氏より入手した経緯
・昭和35~37年頃
・「山姥切国広」(当時は重要文化財に指定されていない無冠)と、
重要美術品の備前鵜飼雲次、長曽弥興正(二代虎徹)を実質的に交換する。
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「童子切安綱」を所持した者におこる数々の悲劇は、この太刀に酒呑童子の怨念がこもっていて祟るという言い伝えがあります。
古伯耆安綱については観智院本に
「伯耆国小原安綱と書ク・・・・・主おきらふ(主を嫌う)」
とあることから童子切における様々な因縁話が生まれたといわれています。
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「童子切安綱」の怪異まとめ
童子切を所持した者や家に次々と訪れる祟り
・源頼光が大江山において酒呑童子を童子切安綱で斬る。
・足利13代将軍義輝が松永久秀に殺害される。
・織田信長が本能寺で明智光秀に殺害される。
・徳川2代将軍秀忠、隠居が早まる。