・「本作」の読みと意味 「本作長義~」の「本作」の部分について ○「本作」(ほんさく)、この作(刀)という意味です。 →この刀は長義です。 ○「本作」(もとのさく)、または(もとさく) もと(元)の作(刀)とも解釈できます。 →元の刀は長義です。
片面を「山姥切長義(本作長義)」 片面を「山姥切国広」 をあらわした現代刀匠の方が製作された写し物があったら面白いかもしれませんね♪
日本の国立博物館では約20年に1度、刀剣の大規模展覧会が行われています。 次にこれほどの大規模展示は20年後になるのでしょうか 「京のかたな」(2018)京都国立博物館 末兼俊彦先生 「日本のかたな」(1997)東京国立博物館 小笠原信夫先生 「日本の武器武具」(1976)東京国立博物館 加島進先生
「大般若長光」 大正12年の関東大震災のさい、倉庫がつぶれ、柱の下敷きになったため、曲がってしまいました。 研師:吉川恒次郎の手によって、曲がりはなおされました。 (いつみても、どこを直したのか全く痕跡も分かりません。刀身の中程が曲がったと聞いたことがあります)
日々、様々なスパムメールが届くものですが。 このような刀に対しても失礼なメールというのは初めてみました。 現在は、日本国内の刀剣店にのみ送付しているものかもしれませんが皆様お気をつけ下さい。 要約すると「ボロボロで売れない刀を無料で、ドイツまで送料をこちらが負担で送れ」
画像は1枚目より順番に 1,山伏国広(重要文化財) 2,加藤国広(重要文化財) 3,布袋国広(重要美術品) 4,包丁国広 「国広会」が開催された大正15年(1926)の当時は、まだ重要文化財、重要美術品の制度が始まっていませんので全て無冠の状態です。 刀の力量だけのコンテストといえます。
備前長義の刃文は桜花に喩えられます。または耳たぶにも。 ・湾れや丁子が2つ連れていること ・連れた2つの刃文の大きさが大小が異なる 長義の手癖とも言え、(元)大太刀、太刀、短刀といった多く作品にこの現象をみることができます。 刃文の形状は、大湾れ・丁子乱れにも形を変えて現れます。
「日本のかたな」(1997)は小笠原信夫先生が58歳で東京国立博物館を退館される際に開催されました。 しかし、「京のかたな」(2018)は末兼利彦先生が40歳(構想や準備段階では30代)でこれほどの大規模展示会を開催されたのは本当に他に類例のない驚愕に値する内容といえます。
・キャプションでの解説はあまり見ない。可能であれば展覧会の図録を事前に入手したり、書籍やネットで事前に情報を収集しておく。またはイヤホンガイドを使用する。 ・1周だけではなく可能であれば2~3周して鑑賞、あるいは数日間に亘って通う。
「江雪左文字」は刃長2尺5寸8分(78.2cm)、鞘の長さ83.5cmの研出鮫鞘ですが、言われてみればこれほど長い研出鮫鞘はあまり見たことが無いかもしれません。 「江雪左文字」は鞘に巻いた鮫皮まで極上だったのですね。
今後、このような案件が多くなりそうな世の中ですが。 ・刀剣の製作を依頼したり、購入 ・研磨などの工作を依頼 される際には、よくよく考えてから中止や変更が無いように責任を持って行っていただければと思います。 できれば製作や工作の際には、半金を前払いする方法も有効です。
一文字則宗の「則宗」銘の現存作品は少なく数振のみ遺されています。 (左より) ・国宝 日枝神社蔵 徳川将軍家伝来 ・御物 浅野家伝来 ・重文 三井記念美術館蔵 土屋家伝来 ・重文 岡山県立博物館蔵 ・島津家伝来 ・重文 「二つ銘則宗」 愛宕神社蔵
「大倶利伽羅」は生ぶ孔が残っていないことや彫物の位置からしても、かなり大きく磨上げられています。 現状で2尺2寸3分(67.6cm)ですので、元来の長さは2尺8寸(約84.8cm)~2尺9寸(約87.9cm)くらいだと思われます。 茎長さ5寸7分(17.3cm)というのは、刀身とのバランス的にやや短めな印象を受けます
「蛍丸」に一縷の望みがあるとするならば、 昭和20年12月21日に熊本進駐軍駐屯地へ移された際に、旧国宝であったので、他の一般の刀とは分かれて倉庫に保管されていたことです。 持ち去った人物も「蛍丸」の価値を認識していたと推測されます。 やはり何処かで現存しているのではないでしょうか。
鳴狐 打ちおろしたばかりのの新身を見るような頗る健全な作刀で、鎌倉時代(前期)には稀有の脇指造りでまことに貴重な一振りです。 鳴狐と号された由来については怪奇な物語りが伝えられています。 鎌倉時代の作刀で、本作のような脇指は時代相としては極めて異例と言えましょう。
「三日月宗近」について少し 10年くらい前に東京国立博物館の常設で展示されていた時に、私はその優美な太刀姿に目を奪われて小一時間(40~50分)くらいケースの前で独占して眺めていました。 まだ照明もやや暗い時代の刀剣室だったので刀剣に目をとめる人もおらずに歩きながら眺める程度でした。
「山伏国広」 不動明王像 お顔は両目を見開き、口は下唇を噛んでいます。 首に数珠 髪型は総髪(そうはつ)、開蓮(かいれん)が頭上にあり、左側のみ弁髪(べんぱつ) 右手に三鈷柄剣(さんこつかけん)、左手に羂索(けんさく) 蓮台(れんだい)に載り、背後には迦楼羅炎(かるらえん)があります
「蛍丸」 資料-1 熊本日日新聞 昭和35年3月13日 夕刊 刀が宮地署に供出されたころ同署の係であった藤原継雄さんは当時のもようについて「蛍丸」も含め全部の刀を供出するよう何度も進駐軍の命令が県を通してあったので、阿蘇神社にも連絡、供出してもらった。
独立ケースで360度みることができる最高に輝いてる「へし切長谷部」 大げさかもしれませんがこの状態でみられることは、もう今後に無いかもしれません。 長谷部がお好きな方は是非みにいかれることをお奨めします。
もちろん、それらの刀にも罪はありませんし、 犬や猫といったペットのような生き物でもないですが。 もう少し責任をもって刀を扱ってもらいたいと思います。 少なくとも投げ出すような真似は、刀や刀職の方にもあまりに酷い仕打ちです。 時代やコロナのせいにするのは簡単ですが。。。
古刀では藤四郎吉光(国宝)、 新刀では堀川国広(重要文化財) に剣の作例として唯一の国の指定品がある刀工ということは、 逆説的にいえば、古刀期は藤四郎吉光、新刀期は堀川国広が刀工として最。。。(語彙力)
「日本刀(と思しきもの)を川に流す(沈める)」 ・銃刀法違反 ・不法投棄 になりますので絶対にお止めください!
私の当たったことの無い新刀剣男子予想は蝦夷刀(アイヌ刀)の虎杖丸(クトネシリカ)に1票 琉球刀の次はそろそろ蝦夷刀(アイヌ刀)の気配では
刀職の方は自分の仕事は手間と時間を泣けば良いと申されてましたが。 他に依頼した分は大赤字になってしまいます。 工賃の半金も受け取ってなかったので丸損です。 刀職の方のなかには借金をして、他の工作を依頼している場合もあります。
映画「燃えよ剣」 土方歳三(岡田准一さん)が手にする和泉守兼定 鎺元に大きく腰刃風の互の目を焼き、上は、直刃調に処々に互の目を交え、物打ち辺、箱がかって大きく乱れ、帽子は横手下より刃幅を増して焼き深く一枚風に返っています。 之定でも「和泉守」受領後の晩年の作品ですね #映画燃えよ剣