京都国立博物館で開催される 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」 のパンフレットをいただいてしまいました。 「三日月宗近」と三日月 #京のかたな
家や蔵を解体する業者さんから比較的に多いお問い合わせです。 ・刀が発見された場合の所有権は家主さんにあります。 家主が警察は連絡して発見届出済証を発行してもらってください。 ・解体業者さんが家主さんより無登録の刀剣を有償無償を問わずに譲り受けることは銃刀法違反になります。
切った銘字を例えるとすれば、 茎部分の鉄が硬い「山姥切国広」は 硬い鉛筆(Hくらい)やシャープペンシル 茎部分の鉄が軟らかい「山姥切長義」は 毛筆や、滑りの良い万年筆やサインペン でしょうか。
足利における「山姥切国広」の展示では光源がハロゲンであったので私も映りをよく確認することができませんでした。 先日、私が大変にお世話になっている恩師の一人で、昔に「山姥切国広」を実際に手にとってご覧になられた方にお聞きしたところ、映りは無いとのことでした。 twitter.com/tsuruginoya/st…
なぜ100cmを超えるようなマグロ包丁に「登録証」が不要で、 6cm以上の短刀から「登録証」が必要であるのか。 長さについては前述の通りに殺傷能力でありますが、 刃物として製造された目的が違います。 刀剣類である日本刀は武器として製造されているのですね。
帽子は焼き深く複雑に乱れて覇気が感じられます。 彫物は鏨がよく効いており、特に不動明王は緻密なものとなっています。 (刃紋はハバキ元の彫物周辺は焼きを低くしています。これは彫物を施すことを想定して予め低くしています) 目釘穴は下が生ぶ孔(太刀用) 上は後補(打刀用)のようでした
例えば、再刃された刀でも「骨喰藤四郎」は見事な彫物を誇っており、「鯰尾藤四郎」は再刃とは思えないほどの精美な地鉄を今でもしています。 「宗三左文字」は健全で雄大な姿から往事の迫力を想像させてくれます。
「三日月宗近」 独立ケースに展示されています。 ごくわずかにですが刀身の上部が曲がっているようでした。 刀身を鋒を上にしたとして、棟側からみて物打ちのあたり(鋒から15~20cm)くらいのとろで右側に曲がっています。 (展示では、鋒側からみて棟が上向きになるので左側に曲がっています)
太刀 国永(五条) ※ 「京のかたな」展に出陳中 刃長 76.4cm 備前池田家伝来 生ぶ茎、在銘、目釘穴1個 藤末鎌初ながらほぼ製作当時のままの堂々とした太刀姿には高貴な品格すら感じられます。 業界風にいえば「無冠の大夫」ですね。 少なくとも重要文化財、国宝と言っても過言ではない名品です。
源清麿のお酒を長野県のお客様からお送りいただきました。 ありがとうございます☺️ 「源清麿」 「一貫斎正行」 と作家の山本兼一先生が揮毫されて、 嘉永2年紀の刀の茎の押形も貼られています。
江は、あらわれる時は突然ですが、まずお客様にご紹介すると直ちに売約いただけます。 江だけは売り物があったときには必ず買っておかねばなりません。
「鶴丸国永」が伊達家より明治天皇に献上される伊達家における記録 明治34年7月7日 明治天皇の仙台行幸と陸軍特別大演習の際に、献上する品物を相談する。
御物においても天皇陛下個人で所有なされている刀剣は、天皇家全体として所有の刀剣よりもさらに重要度が高いそうです。 東京国立博物館で天皇陛下の即位を記念し10年毎に開催される「皇室の名宝」展に出品される際にも、天皇陛下の個人蔵の刀剣はなかなか難しいのかもしれません。
15cm以下に切断されてしまった刀剣 2振とも軍刀で海軍短剣と指揮刀用サーベル 残念なことに既に銃砲刀剣類登録証が発行されている合法的に所持が可能な刀剣にも拘わらず、誤って切断処分されてしまいました。 このような悲しい間違いが無くなるように、登録証は鞘に巻き付けておくよう務めましょう
事情が事情なので、刀については私の方で業者交換会(オークション)で手数料無しで売却する予定です。 刀は研ぎ上げで良い状態なので、次は良い持ち主に巡り会って欲しいものです。
刀職の方と鞘についてお話し伺っていたら ・鞘に鮫皮(実際はエイ皮)を巻いた研出鮫鞘というものがありますが、鮫皮自体が長いものに合うのが殆ど無いそうです。 2尺(約60.6cm)くらいまでは少しはあるそうですが、2尺3寸(約69.7cm)になると稀少だとか。
刀剣の保存に適した除湿剤を探していましたが、やっと理想的なものが見つかりました。 竹活性炭で湿度55%付近に調湿されます。 (美術館で使用される刀剣に適したアートソーブも55%のもの) 化学物質ではなく竹炭なので刀剣への影響もないでしょう。
(当たったことの無い) 新刀剣男子予想は「笹貫」に一票 太刀 波平行安 (号:笹貫)(重要文化財) 丸に十字紋金具黒漆太刀拵 ・青海波(せいがいは)→波平(波が平らか) ・縦縞→平行脈→笹の葉 ・肩→竹の花 ・京都国立博物館蔵(←※ここ重要)
源清麿は刀工名を前期を「正行」、後期を「清麿」と称しました。 「正行」は相州の名工「正宗」と「行光」にあやかったとも。 「清麿」は後援者であった「窪田清音(すがね)」と「斎藤昌麿(まさまろ)」の各々の一字より。 清麿が窪田清音の為に打った1振(重要美術品)が現存します。
「山伏打ち」の2振の刀にある梵字はそれぞれ単独では意味が通じません。 しかし、2振の梵字を組み合わせてみるとあるメッセージが込められています。 梵字に仮名を当てはめてみると 之・末・川・保・呂・保・世 ↓ し・ま・つ・ほ・ろ・ほ・せ ↓ し・ま・づ・ほ・ろ・ぼ・せ ↓ 島津(を)滅ぼせ!
関東大震災と刀剣界 大正12年(1923)9月1日、関東大震災で被災した刀剣では水戸徳川家の「児手柏」や「燭台切光忠」以外にあまり知られていませんが、膨大な数の刀剣類が甚大な被害を被りました。 川口陟:筆 「刀の研究」大正12年10月より (刀剣界新聞-第54号 T) tsuruginoya.net/guidance/kannt…
「山姥切国広」は実際に手にとってみると意外と思っていたよりも重量は軽く感じられるそうです。 本歌の「本作長義」も元来は南北朝時代の大太刀ですので重ねは薄めでしょうか。 「山姥切国広」も本歌に忠実に重ねは薄めにしてあるのかもしれません。 平肉を落としたり樋を掻くのも軽量化になります。
もちろん、刀をご自身の意志で製作や購入されて、自腹で代金を支払われて入手された方にはいらっしゃらないと思います。 しかし、旧家から出てきた、知人に貰ったなど無償で入手された方の一部にそういった無責任な方がいる場合があるのかもしれません。 刀に対する知識も少ないのでしょうが。
「太閤左文字」 「本阿弥光徳刀絵図(寿斎本)」に記された「志(し)ゆらく」→「じゅらく(聚楽)」は刀の号 「豊臣家御腰物帳」に記された「しゆ楽より」→「聚楽より」は、当時の聚楽第にいた関白:豊臣秀次より献上された と解釈するべきでしょうか
光忠3振 (すべて重要文化財) 「実休光忠」の銘は4種類ほどある光忠の銘うち、比較的に晩年のものになります。 全体がやや大振りとなっています。 おそらく、こちらの3振のような出来だったのでしょうか。 大房を主体とした丁子乱れ、物打ちは長船物らしくやや寂しい小乱れ出来であったという