「山伏国広」 堀川国広考(昭和2年)より
「山伏国広」の健全度 堂々とした太刀姿 緩みの無い精美な地鉄 しっかりとした焼刃や映り たっぷりとした帽子 研ぎ減りが全く感じられない鏨の効いた彫物 などから非常に健体のようです 展示が太刀掛けなので棟側からも観察できます。 茎と刀身の重ねを比較してみても殆んど違いがなく健全無比です
天下五剣のうち国宝でもある2振の「三日月宗近」と「童子切安綱」が刃長と反りがぼぼ同寸であるとは私も知りませんでしたね。 「三日月宗近」 長さ 2尺6寸4分(80.0cm) 反り 9分2厘(2.8cm) 「童子切安綱」 長さ 2尺6寸4分7厘(80.2cm) 反り 8分9厘(2.7cm)
(左)山姥切国広 (右)山姥切長義 山姥切長義には棒樋が茎尻まで掻き通しとなっていますが、これも国広が銘を切った時点には既にあったと思われます。 茎尻の棒樋の終筆がわずかに丸みを帯びています。これは古刀期の棒樋だと思われます。 山姥切国広は棒樋を掻き切っていてシャープな印象です。
しかし最近になって押形の存在のみを知られていたもう1振の国永が発見されて有銘の現存作は5振から6振となりました。 (私も先日に拝見させていただきましたが古京物らしい古雅な味わい深いものでした)
堀川国広がなぜ「本銘長義」または「古銘長義」と切らずにわざわざ「本作長義」したのか。 →山姥切長義(本作長義)は国広が銘を切った天正14年の時点で既に大磨上無銘となっており長義の銘を失っていたこと。 そして無銘ながら長船長義の作であると伝わっていることを茎に刻んだのだと解されます。
「豊前江」の画像や押形は少ないのですが。 「相州伝名作集」という大型本には「桑名江」と「豊前江」が並んで掲載されてたのですね。私も知りませんでした。
#同一人物とは思えない画像を貼れ 源清麿 (左)18才 処女作 兄:真雄との合作 師匠の河村寿隆の浜部風 (右)35才 最高傑作 窪田清音の為打ち (重要美術品)
山姥切国広 (左) 指表:打刀の表側なのでバランスが良い綺麗な刀姿。 刃文は全体的には焼きが高い。 (右) 指裏(佩裏):太刀とすれば表側にあたり、山姥切長義のような鋭い刀姿の印象。 刃文は帽子と物打ち辺は表側よりも焼きが高く深い。 (長義写しなので表裏で刃文が大きく異なっています)
「本作長義」の茎をよく拝見させていただいたのですが。 鉄錆の色がただ黒いのではなく、青みがかっています。 碧か蒼というべきでしょうか。 これが本当の大名家の古名刀の茎の色なのですが、他ではあまりお目にかかれません。
拙僧の(当たったことの無い)新刀剣男士予想は 剣「国広 興山上人寄進」(高野山蓮華定院蔵)に1票 新刀の剣で重要文化財に指定されるものは堀川国広のこの作1振のみです。 高野山の蓮華定院は真田家の菩提寺で、真田昌幸・幸村父子も逗留しました。
古い布地の美しい刀袋 これは、古くなったり、着用されなくなった着物の帯をリメイクして再利用しているんですね。 刀剣の、太刀を刀へ、刀を脇指へ、薙刀を薙刀直しへ磨上げたり直して、形を換えても物を大切に使用するという日本の精神に通じるものがあると思います。
「江戸三作」とは、江戸時代後期に江戸において活躍した三名工 水心子正秀 大慶直胤 源清麿 来年、2020年以降に直胤やその一門を中心として、刀剣の鑑賞会などを行う「直胤会」の発足を密かに計画しております。 大慶直胤をよろしくお願いします!!
「へし切長谷部」 古研ぎの頃の画像 私も古研ぎの指裏の画像は初めてみました。
「蛍丸」が昭和20年(1945)に行方不明になってしまった時系列 12月4日 阿蘇神社より宮地警察署へ提出 (↓16日後) 21日(または22日) 宮地警察署より熊本進駐軍駐屯地へ、倉庫で保管 (↓2~3日間) 22~23日 倉庫で目撃されている (↓提出より5日後) 26日 行方不明になる。刀袋と箱のみ残る
「日本刀を発見→警察に連絡」 が大前提となりますが補足すると、 地域の最寄り警察署の生活安全課にいる刀剣担当の係の方にご相談ください。 もしくは都道府県の警察本部の(東京都であれば警視庁の)生活環境課 銃砲刀剣類対策係へ。
一期一振 鍛えは杢目、地沸えついてよく錬れて大肌からむ。刃文は中直ぐ調で小乱れに小五の目まじり、刃ぶち小沸えよくつき、砂流しごころあり、五のめ足働き、裏の物打辺に飛び焼きまじる。鋩子は猪首、直ぐで小丸返り、先沸えづいて掃け深く焼く。
左:山姥切国広(赤) 右:山姥切長義(青) 青1:打刀(室町時代中~後期、やや古い) 現在の寸法で天正18年頃の当時に使用 青2:天正18年に国広が切付銘を切ったよりも後世の孔 赤1:打刀の位置 青3:現状の寸法より以前に使用された孔、または太刀拵の孔や忍び孔
薫山は語る(14) 伊勢寅彦翁 「山姥切国広」を入手した経緯が記されています (引用) 大素人23号より
「へし切長谷部」が展示されていた独立展示ケース 刃を上にした刀掛であるのもよくみえる要因ですが、 まるで「へし切長谷部」のために作られたようなケースですね。 素晴らしい!!
東京都支部では「京のかたな」展に出品された刀剣を中心とした鑑賞会を計画しています。 京都国立博物館に展示された名刀の数々を、今度は実際に手に取ってご鑑賞いただけます。 享保名物をはじめ、藤四郎吉光や古京物、堀川国広など10振り前後がリストアップされています。
「山姥切国広」 九州日向住国広作 天正十八年庚寅貳月吉日平顕長 2月を「二」ではなく旧字体で「貳」と切っています。 堀川国広が月の数字を旧字体としたのは「山姥切国広」のみのようです。 推測されることは ・改竄の防止。(日付の重要度が高い) ・実際に2月であった
誉れ傷(切り込み)のある刀で最も有名であるのが石田三成が所持した「石田正宗」です。 切り込みがあるので別名を「切込正宗」・「石田切込み正宗」ともいい刀号にもなっています。 物打ちと鎺もとの2箇所の現在も大きな誉れ傷が残されており、相当に強い斬撃を受け止めた武勲を今も誇っています。
新刀の名工 堀川国広 「山姥切」 (引用) 寒山刀話 佐藤寒山先生:著(昭和48年)
独立ケースの反対側からは裏面の不動明王をみることができます