京都国立博物館で開催される 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」 の開会式・特別内覧会のご招待状をいただいてしまいました。 「秋田藤四郎」 黒地の紙に銀色を配していて、短刀の形状や刃文・地鉄の質感が美しいです。 昼と対比する夜をイメージしてるんでしょうか。 #京のかたな
短刀というのは、短く細身で重ねが薄く反りが浅いものを、角度を浅く展示すると簡単に反対側にひっくり返ってしまいます。 逆に、長寸、身幅広い、重ねが厚い(重い)、反りがある(刀掛けの両端にひっかかる)ものは安全です。 (次郎太刀は絶対にひっくり返らない)
新刀剣男士の「八丁念仏」 向かって右側の前髪のみ長いみたいですね。 火縄銃は右側で撃つわけですが関係あるんでしょうか。 雑賀衆に限らず鉄砲兵は皆が右耳を傷めていたみたいですが。
刀たちを鑑賞される際に(これは展覧会に限らず全般に言えることですが)ご注意いただきたいこと。 刀剣でも特に今回の「京のかたな」展のような展覧会では、平安・鎌倉時代といった古い時代の古名刀も数多く並んでいます。 それらの古名刀はそれだけ長い年月を生きてきて現存しています。
獅子王の黒漆太刀拵にかけられている鐔には、ハート型のデザインがあしらわれています。 練革木瓜形四方猪目透かし鐔 四隅に陰透かしであらわされたハート型のものは、猪目といって猪の目を意匠化したものです。
#16 太刀 国永(五条) #54 小太刀 吉光(藤四郎) 当日まで公表できなかったのはこちらの2振となります。 2振とも重要文化財クラスの名刀です。 この2振のみ作品保護の為、柄をつけさせていただきますのでご了承ください。
三日月宗近の誉れ傷(切り込み) 物打ち付近にあるようです。 (但し、押形では1つではなく、2つあるようにもみえます) 押形に誉れ傷(切り込み)の部分のみをわざわざ採っているので、おそらくこれではないかと思います。 少し斬り込みの線も短いようなので研磨以前の古いものなのかもしれません
太刀 銘 豊後国行平作 (重文) 豊後行平は彫物の名人で、倶利伽羅、不動明王、地蔵、毘沙門天、松喰鶴などがみられます。 鎌倉時代初期と古い時代としては珍しい桜花紋のある太刀が遺されています。
・特定の刀をよく鑑賞したい場合は、1回目:姿、2回目:地鉄、3回目:刃文、4回目:単眼鏡でといったように見る箇所を数回に分けて限定して狙う。 ・前日はよく睡眠をとり、PCやスマホなどを控えて眼を休める。 ・ウナギ・ブルーベリー・各種サプリメントな眼精疲労回復。
「山姥切国広」は本歌:山姥切長義に形状における点だけでも、いくつかオリジナルにアレンジを加えています。 あくまで生ぶの打刀として製作されています。 本歌と比較して ・先反りの反りの強くなり始めるポイントを下げ先端では弱めている。 ・切先が延びて、フクラが枯れいるので、大きい。
・刀の姿は並んでいるうちに遠目で見ておいて、近づいたら地鉄や刃文を観察する。 (三日月宗近のような姿が綺麗なものやお気に入りの刀剣は別ですが。やはり本来は刀の姿は正面で見た方が良いです。)
太刀 国永(五条) 土屋押形所載 「国」の字形が粟田口風でありながら、 「永」の第1画目が「↓」となる中間的な特徴ある銘字、この6振目の太刀のみな。 土屋押形に所載のものも銘字の特徴が一致しています。
「本作」と「本銘」では意味が大きく違います。 本作(もとの作) →元は長義の作(刀)であった(と伝えられている)。 (しかし、既に国広が銘を切った時点で磨上げられており)長義の銘が無い。 本銘(もとの銘) →元は銘があったが現在は大磨上となり長義の銘が無い。
「山姥切国広」を伊勢寅彦翁が高橋経美氏より入手した経緯 ・昭和35~37年頃 ・「山姥切国広」(当時は重要文化財に指定されていない無冠)と、 重要美術品の備前鵜飼雲次、長曽弥興正(二代虎徹)を実質的に交換する。
私は今回に初めて拝見した刀のなかでは「へし切長谷部」が一番に思えました。 ここ数年で想像を越えて感動させてくれた刀は他にありませんでした。
それと、江は本当に人と人との縁がなければ扱えません。 江を売っていただいた方、買っていただいた方のすべてが私にとってご縁の深い方々ばかりです。 私も江は2振しか扱ったことがありませんが、これからも江と、それに纏わる方々と良いご縁をいただきたいものです。 江だけは不思議な刀です。
堀川国広の刀工系図 堀川国広には弟や甥といった一族を含めて数多くの弟子がおり、こちらに記されていない刀工も数名おります。 他に実忠、国長、国昌、広実、国次など。 そのなかでも阿波守在吉はもっとも古参の弟子と目され、慶長2年紀(1597)の刀が現存します。
国広は(太刀を除いて)あまり目釘孔の上に銘字を切りません。 (赤線)の第1目釘孔の間際まで 表は「本作」 裏は「天正」 と切っています。 これにより、第1目釘孔は国広が切銘した時点では既にあったということと。 そして「山姥切長義」の当時の打刀の目釘孔の位置ということを物語っています。
江は、売ると決めたときは、それがお別れのときです。 それくらいの決意がなければ手放すことはできません。 江は魅力的すぎるのです。 江の魅力は魔性です。
歌仙兼定の鎺 金着二重の時代鎺なのですが珍しい形式の呑込みの無い突掛鎺(つっかけはばき)の仕様となっているようです。 突掛鎺のメリットは呑込み部分が無い(0ゼロ)なので、本来ある呑込みの分だけ刀身を長く伸ばして使用することが可能となります。 一方、デメリットは鎺元の防御が弱くなります
「実休光忠」の押形 天正10年(1582)、本能寺の変で被災後に再刃された刃文 ・オリジナルは大房の丁子乱れに、物打ち辺がやや寂しい小乱れ出来 ・再刃後は腰元から先端まで刃文の調子と焼刃の高低が同じような丁子乱れの出来 (左)光悦刀譜 (右)継平押形-附本阿弥光徳同光温押形集
「鶴丸国永」 画像比較 2葉
三所物 吉岡因幡介 蜂須賀家伝来 思い出しました🤯 蜂須賀虎徹の前所有者様からお譲りいただいた品物の幾つかに蜂須賀家伝来のものがありました。 経緯は不明ですが蜂須賀家伝来の蜂須賀虎徹を含む刀や刀装具の品がまとめて出ていたのかもしれません。 やっと繋がりました🧐 tsuruginoya.com/items/f00021.h…
約1時間の間に「三日月宗近」に目を向けたのは歩きながら通り過ぎた外国人観光客のカップルのみでした。それもおそらく私が眺めていたから。 時代も変わるものですね。今や阿修羅像なみに注目を受けて「三日月宗近」自身が一番に驚いているのではないでしょうか。
「菊一文字」には大別すると(現在は)2つの意味があります。 ・後鳥羽上皇と12人の御番鍛冶の打った太刀を「菊御作」といい茎には(菊紋)があります。 「菊御作」のうち一文字風の作を「菊一文字」ともいいます。 ・御番鍛冶の正月番の一文字則宗 福岡一文字派の祖 (または助宗も含む)