東京都支部勉強会(国広会2回目) 堀川国広が16振り並びました。
当店より「京のかたな」展に出陳させていただいておりました数振の作品のうちの1振を、これもなにかのご縁かと思いまして京都国立博物館に寄贈させていただくことになりました(予定)。 幕末に活躍した山城鍛冶の南海太郎朝尊という刀工です。 作品番号188 短刀 銘 山城国幡枝寓朝尊 #京のかたな
ちなちな、その小学校の校長先生のお名前は御留我威都華(オルガ・イツカ)とおっしゃらないとか、口癖は「止まるんじゃねぇ(ry
五条国永 6振 (右より) 鶴丸国永(御物) 剣(重文) 伊勢神宮 伊東巳代治旧蔵(重美) 備前池田家伝来 6振目 (6振目の国永の銘振りは、剣(重文)・伊勢神宮の2振に近いようです)
紀州徳川家第一の宝刀「江雪左文字」がいかにいかに尊いか(私も忘れた頃に)定期的に唱えていきます。 ・天守閣に飾って毎朝、御神飯と御水を供えた。 ・国宝指定の審査でも鑑定家の手に触れさせなかった。 ・売立(オークション)でも柵で囲まれていた。 ・刀剣としては異例の売立目録で巻頭を飾る
国宝展の無料観覧券をいただいてしまいました。 ありがとうございます☺️ 画像は「三日月宗近」のようです。 刀剣の注目度が高いのは嬉しいことですね! 東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」 【会期】2022年10月18日(火)~12月11日(日) 【会場】東京国立博物館
私が山姥切長義(本作長義)の姿形が、元来は3尺近い大太刀であったものが大磨上げされ現在の2尺3寸5分(71.2cm)の寸法になり先反りが強すぎると感じていたことについて。 どこかで見た、同じように感じたことがずっと気になっていたのですが。 山浦清麿の天保11年頃に製作された刀でありました。
天下三名槍 「御手杵」 「御手杵」は昭和20年(1945)5月25日の東京大空襲において残念ながら焼失してしまいましたが、本阿弥光遜師の「新締名刀集」(昭和11年:1936)という押形集に筆墨により描かれており、在りし日の姿の遺されていました。 お納めください。
五条国永の有銘の現存刀は5振が残されていると近年まで通説でした。 (右より) 鶴丸国永(御物) 剣(重文) 伊勢神宮 伊東巳代治旧蔵(重美) 備前池田家伝来
「へし切長谷部」も一室の中央に独立ケース。 刃を上にした刀掛で華やかな皆焼きがよく映えていました。 私には今回の展示で最も良い展示に見えました。 (展示室に入ってすぐに、へし切長谷部が眩しいくらいに輝いていた!)
「へし切長谷部」 古研ぎの頃の画像 2葉 表裏とも現在の研磨と下部の刃取りが異なるようです。 現在の研磨と、古研ぎの頃ではまた少し違う雰囲気であったのかもしれません。
新刀剣男士の「五月雨江」 打刀拵の柄前の目貫は「逆目貫」といって位置が逆になってますね。 柳生流の使い手なんでしょうか😊
取り壊した家から刀が見つかったが登録証が無いというご相談。 解体業者さんが家主さんから許可を得て無料でもらった。どうすれば良いか? →家主さんが所有者になるので、警察へ届けることになります しかし建物は既に更地、家主さんは所有権放棄、刀は既に移動済み 「2つに切断して土に埋める」😱
「山伏国広」 新刀の重要文化財指定品ですので非常に健全な刀でした。 堂々たる体躯の太刀姿に、地鉄も美しいです。 (国広の天正打、古屋打にはここまで綺麗なものは少ないです) 刃紋はこの頃の作風にみられる小のたれ調に小互の目、丁子交じりとなり、上半は飛焼かかり、下半は映りごころとなります
「本歌」があって、「写し」が存在するわけですが。 製作者である堀川国広が「本歌」に向き合って「写し」を打つ上で、 作意、真似る部分、アレンジを加える部分、相違工夫した部分、「本歌」への敬意などを見る者に感じさせ、考えたり想像させるのも「写し」の大きな魅力といえますね。
新刀剣男士「抜丸」の太刀拵の鞘の意匠は、蝶をあしらっているようにも見えますね。 もしかしたら、蝶鮫(チョウザメ)の鱗(ウロコ)を用いたものなのでしょうか🤔
(左より) ・山姥切国広 長さ 2尺3寸3分弱(70.6cm)反り 9分3厘(2.82cm) ・山姥切長義 長さ 2尺3寸5分(71.2cm) 反り 8分(2.4cm) ・山浦清麿(天保11年) ×2振
お客様から買取の無銘の刀。 どうも刀に見覚えがあるので調べると以前に扱った刀でした。 未鑑定の無銘のまま違う方に売却したのですが、まさか「同田貫」の鑑定書がついて戻ってきてくれるとは 当たり前ですが売却より高額で買取してました こういうの何と表現するのでしょうかね 「出世同田貫」とか
山姥切長義(本作長義)の茎には堀川国広の切付銘が長銘に切られています。 改めて見直してみると、いくつか気付いた点があるのでツイートしてみたいと思います。 ・「本作」の読みと意味 ・銘文のうち平地と鎬地(棒樋)での重要度の違い ・堀川国広が強く伝えたいメッセージ
(左) 三日月宗近 (右) 山鳥毛 三日月宗近は特徴ある雉子股形です 山鳥毛は茎にも製作当時の反りが強く残っていて、刀身のみならず全長(刃長+茎長さ)としてみた場合に中心に反りがきている美しい太刀姿をしています。 どちらの太刀姿も最の高ですね (気になってつい調べてしまいました)
現在、東京国立博物館に展示されている堀川国広の高弟:出羽大掾国路の刀が1振展示されています。 寄贈者の伊勢松江氏は「山姥切国広」を所蔵していた伊勢寅彦翁の奥様です。 美濃伝の作風ですが、乱れがやや山型であったり矢筈刃などを交え「山姥切国広」や長義を想わせるものがありました。
「童子切安綱」の怪異まとめ 童子切を所持した者や家に次々と訪れる祟り ・源頼光が大江山において酒呑童子を童子切安綱で斬る。 ・足利13代将軍義輝が松永久秀に殺害される。 ・織田信長が本能寺で明智光秀に殺害される。 ・徳川2代将軍秀忠、隠居が早まる。
薫山は語る(11) 尾張徳川家の蔵刀について 「山姥切長義」など (引用) 大素人19号より
「京のかたな」展に出品予定の 「刀 銘 日州古屋住国広山伏時作(以下切)」 と表記のある刀は「山伏国広(重文)」とは別のもう1振ある「山伏時代(天正12~13年頃)」のものですね。 「山伏時」と銘を切るのはこの2振のみとなります 刃長:2尺5寸5分弱(77.1cm) 天正12~13年頃の作
江戸三作の一人である大慶直胤の作品には、 丸い目釘孔を太陽に見たてて、その対となる月を「三日月紋」であらわしたものがあります。 直胤の作品はどれもお洒落なものが多いです。 センスの塊ですね。 (直胤の三日月紋は文化2~6年頃にみられます)