新刀剣男士「八丁念仏」 ・サーベル式拵の柄の縁部分に火縄銃の引金の周りにつく用心金というパーツにみえますね。 ・右腰のベルトの物入れの一部は火縄銃の着火装置の火縄をはさむ火挟みが2~3つあるような。 ・鞘の棟側の黒い棒状のものは玉込めの槊杖(さくじょう)のような 撃てるんでしょうか🧐
三日月宗近 本刀は一千年の歴史を感じさせない、総体健全で無限の働きを見せ、太刀姿の優雅なことは絶品です。歴戦の武勲を物語る切込みの痕が物打ちにあり、それが気品高い姿に一段と力強さを加えています。 (誉れ傷:1ヶ所)
同じ錆でも赤色や茶色のもの、粒の粗いもの、進行が早いもの、刃先が欠け出したり地鉄に喰い込んでいくような錆は危険なのでよく観察する必要があります。 そういった時は、早めに錆の原因をみつけて対処しなければなりません。
(左)山姥切国広 (右)山姥切長義 堀川国広が双方とも銘字を切っています。 天正18年の2月と5月、わずか3ヶ月しか期間に差はありませんが、 銘字は長義は流暢で、国広の方は固い印象です。 これは茎部分の鉄の硬軟の差だと思われます。 長義が軟らかく、国広が固いので違いがでているのでしょう。
(左) 山姥切長義:71.2cm (右) 源清麿:69.4cm 2振ともかなり先反りが強く先端の方で反っていて少し怖いくらいです。 切先の大きさやフクラの具合が違いますが、先反りが強すぎる感じはよく似ています。 清麿が南北朝時代の大磨上の刀をイメージして姿形を作っていたということなのでしょうが。
「京のかたな」展には多くの方が行かれると思いますが混雑が予想されます。 刀剣の展覧会での鑑賞の仕方のコツを少しツイートしたいと思います。 (実際に手に持つ鑑賞会で使えるものもあるかもしれません)
10年以上前からある現代刀匠の藤四郎吉光の写しと思われる平脇指がありました。 なんとなく「平野藤四郎」に似てるな~ やっぱり「平野藤四郎」に似てるな~ と思っていたのですが今日、寸法を確認してみるとピッタリと瓜二つで「平野藤四郎写し」でした。 なんでもっと早く確認しなかったのでしょう
(左)一文字則宗 日枝神社蔵 (中)三日月宗近 (右)蜂須賀正恒 新刀剣男子の「一文字則宗」 太刀拵の鞘は日枝神社蔵の則宗の太刀のものでしょうか (左)(中)家紋の数が多く、規則的ではなく前後に不規則に並んだものは桃山から江戸初期頃までにみられます (右)家紋が規則的に整列しています
短刀の展示方法について 身幅の広くない細身で、反りの無いものはあえて角度を深くして展示しているそうです。 というのも先に発生した大阪北部地震があった影響で安全上の苦肉の配慮であるそうです。
刀 阿波守藤原在吉 慶長二年九月吉日 刃長 2尺4寸2分(73.3cm) 慶長2年(1597)は山姥切国広が制作された天正17年(1589)より8年後 堀川国広の弟子である阿波守在吉のこの作品がもっとも山姥切国広の作風が近いといわれています。
刀剣の鞘には続飯を使用して(科学系)接着剤はNGです。 他には掛軸や着物の防虫剤である樟脳やナフタリンもNGです。 いずれもこれらの薬品が要因となって、刀身や鞘の中に水分である湿気を帯びたり、留まることによって鉄が錆びてしまいます。
「山伏国広」 独立ケースに太刀掛けで展示されていました 独立ケースなので裏側にまわると不動明王をみることができます
「山伏国広」の状態 小錆やヒケなども全くみられません。 最も驚いたのが彫物の底の部分にも全く打ち粉や丁子油の澱みがありませんでした。 よほどに現在の所有者様が大切にされ、丁寧にお手入れされていらっしゃるのでしょう。 感服いたしました。
ある刀職の方からの相談 刀の持ち主から研磨を依頼されて研ぎ上げたら、コロナの影響で景気が悪化したから研ぎ代を払えない。 刀ももういらないから処分して研ぎ代に当てて欲しい。 他に白鞘と鎺の製作代金を立て替えていた分も払ってもらえす。 処分しても刀の価値は研ぎ代の半値ほどもありません
補修部分の原因は、木が傷んでいたか、錆が移ったかのどちらかか両方かでしょう。 この鞘の木を再利用するなら、 補修部分の形状に合わせて別の木材を入れて続飯(米粒)で接着するか、 補修部分を削った深さまで全体を減らしてしまえば使用できたのですが (その分の鞘の厚みは減ります)
(左)「日本のかたな 鉄のわざと武のこころ」 (1997) (右)「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」(2018) どちらにも「三日月」がデザインされています。
江義弘 私も刀屋として様々な刀工の刀を扱わせてもらっていますが。 江だけは本当に不思議な刀です。 江は探してもまず見つかりません。 正宗よりも探すのは難しいです。 それでいて何でもない時に、飄とあらわれて、颯爽と去っていくまるで捉えどころのない刀です。
私の一生のうちでこれほど京都に通い妻する年はもうないことでしょう。 本日22~23日の満月は藤原道長が 「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」 と詠んでから千年の満月だとか。 おかげで風流な「望月」を拝むことができました。
一文字則宗の在銘の現存品のうち拵のあるものは4振 (左より) ・国宝 日枝神社蔵 徳川将軍家伝来 ・重文 三井記念美術館蔵 土屋家伝来 ・島津家伝来 ・重文 「二つ銘則宗」 愛宕神社蔵
鞘の接着には続飯(飯粒)を用います。後々に続飯が枯れれば簡単に割ることができて中の掃除やメンテナンスを行うことが可能になります。 これを接着剤で合わせると逆に二度と割れなくなってしまいメンテナンスを行うことができなくなってしまいます。 この鞘は割れたので続飯を使用していたようです
古刀における剣の作例のうち、国宝に指定されるものは藤四郎吉光の剣(白山吉光・白山比咩神社蔵)の唯1振のみです。 新刀において、重要文化財に指定されるものは堀川国広の剣(高野山蓮華定院蔵)の唯1振のみです。 剣 銘「国広 興山上人寄進」 重要文化財
「三日月宗近」の誉れ傷 刀身上部のちょうど物打ち辺に(1つではなく)2つの誉れ傷が肉眼で確認できますね。 おそらく同時期についた誉れ傷と思われます。 敵の刃を棟で受け止めたか、払ったりしたものでしょうか。 やはり、この誉れ傷の辺りから左に少し曲がっているようです。 (画像の赤丸部分)
年1回くらいで実際にあるお問い合わせメール 要約すると 「私にはこの刀が数十~数百万円もする価値が理解できません。 私にこの刀の価値を説明してください。 納得すれば購入します」 ↓ 回答「刀の価値がお分かりいただけない方にお持ちいただいても、刀が可哀想なのでご遠慮させていただきます」
大型連休が始まるこの時期に日本刀(と思しきもの)が発見されたというご相談も多くなります ・銃砲刀剣類登録証が無い ・真っ赤に錆びている などなど お電話かLINEでご相談ください。 昨年は某県の蔵から刀が数振り出てきたが夜中にこっそり川に流したという話を後から聞いてともて悲しくなりました
「へし切長谷部」 今回に初めて拝見させていただいたのですが想像以上の名刀でした。 長谷部極めのなかにも長船長義や相州広光と迷うものもありますが「へし切長谷部」は長谷部以外に行きようがない特徴がよくあらわれていました。 華やかな皆焼のなかにある飛焼の形状が長谷部独特のように感じました