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この方にかぎらず「ダブルスタンダードではないか」と言ってくるひとがいると思うので確認しておきますが、少女像の展示は「歴史的事実の具象化」であって、根拠のない「日本人ヘイト」では断じてありません。よって事実を捻じ曲げ差別を煽るような言説と同等にはできません。 twitter.com/ponta_id/statu…
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この問題より選挙のほうが大切だと思われる方もいらっしゃるでしょうが、選挙にも関係ないことはないんです、これが。 twitter.com/torusano1124/s…
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そして、この映画を特徴づける主体の決裂は、ラストシーンにおいて、一種の「タネ明かし」を見せることになる。ここでは、ある人物の手紙のことばが読み上げられるのだが、事故が引き起こされた背景になにがあったのかを述懐するそのことばの扱いには、はっきりと「隠蔽」の意志がにじみ出ている。
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田村亮さんの腹のくくり方、すごい。
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突破口がひらかれたことで、ようやく声を上げられるようになったと思ったら、「便乗」「後出しじゃんけん」「こいつらふぜい」などと言われる。日本で企業体質の是正や労働環境の改善が進まないわけである。
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それにしても、「慰安婦は朝日新聞の捏造」などといまだに主張しているひとがいるのには驚かされる。吉田証言という一つの誤報のために、河野談話以降に発見された膨大な量の公文書からなにからすべて無視しようというのだから。 wam-peace.org/ianfu-koubunsh…
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映画秘宝のDM事件にかんして、被害者の方が抱かれた恐怖がどれほどのものだったかを想像できるひとならば、真魚さんに向けられている攻撃的なことばの数々が引き起こす恐怖についても想像できるはずです。いまいちど立ち止まって考えてみてください。
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新型ウィルスに感染することよりも「コロナマン」とか「ダイヤモンド・プリンセス民」とかいうことばを平然とつかうひとの感性のほうがこわい。
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この吉岡里帆演じる伊崎の娘、あるいは安田成美演じる福島第一原発の職員ら女性の描かれ方に、この映画の人物演出の貧しさがもっとも顕著にあらわれている。それと関連して、この映画における吉田や伊崎はまるで抑圧的な人物にしか見えないが、作り手はそのことを自覚しているのだろうか。
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ひょっとしてもなにも僕は『新聞記者』に対しても批判的なのだが……映画の評価を左右対立の図式に当てはめることじたい本当にバカバカしい。 twitter.com/jda1BekUDve1cc…
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まるで現在の日本の歪みが凝縮されたような会見と『万引き家族』を観終わり、明日は選挙へ行く。人権軽視の企業に力を与えているのはだれか、「家族は助け合わねばならない」などときれいごとを並べ立てて現実の問題から目を逸らそうとしているのはだれか。しっかり肝に銘じて投票するつもりだ。
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あらためて書くが、このかん「福島」を題材に映画を拵えてきた作り手たちは、実際に完成した作品がどうであれ、表現の主体をめぐる問答のなかで「事実」を一身に引き受けようとしていた。そうした試みを受けてなお、動揺と怒りと対立を喚起する映画をつくることは、僕には到底理解しがたい。
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稲垣吾郎さんは、映画、ドラマ、そして漣さんにとって重要な意味をもつ舞台「象」での共演を回想。漣さんと親交の深かった草彅剛さんのお名前も登場します。ちなみに草彅さんは最近、ご自身のYouTubeで、漣さんの思い出を語っておられました。こちらも是非ご覧ください。 youtube.com/watch?v=uLoJ_S…
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日々少なからず絶望しながら生きているつもりだが、櫻井翔さんを非難することばの数々に、とうとうここまできたかという気持ちになった。2021年にもなって「お国のため」という字面をこれほど目にしようとは。
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文藝別冊『大杉漣 あるがままに』(河出書房新社)、見本出来ました。来週19日に発売となります。このようなタイミングとなりましたが、ネット書店でもご購入いただけますので是非。 kawade.co.jp/np/isbn/978430…
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今回、ユジク阿佐ヶ谷およびMorc阿佐ヶ谷の経営責任者である才谷氏にも取材をおこないました。取材は約3時間に及びましたが、記事にはごく短いコメントしか反映できませんでした。理由は、才谷氏の発言の多くが、それを文章化することじたい躊躇われるような二次加害的な性質のものであったためです。
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怒りをもって伝えなければ伝わらないことが、確実に、ある。ヒューマニストといわれた黒澤明の映画の根底には、つねに強烈な怒りが渦巻いていた。大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』もまた、わたしたちに「正気で怒る」ことのたいせつさを教える。怒ろう。そして正気でいよう。
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「空気を読める」ことがさも素晴らしい才能のようにいわれているけれど、つまりはただ同調圧力にしたがうことをよしとしているだけで、全員が「空気を読む」社会になったら、突出した表現などひとつもうまれない、「死んだ魚の目」のような集団社会が形成されていくことになろう。
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『時をかける少女』における高柳良一の「棒読み演技」を指摘するひとは多いが、実際には高柳はヴォイス・トレーナーの指導のもと、わざわざ「棒読み」の訓練をさせられたうえで演じていたことは意外と知られていない。 twitter.com/torusano1124/s…
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どの分野でも必ず湧いて出てくるが、「映画評論家は映画だけ語っていればいい。政治には口を出すな」と言うひとがいる。シドニー・ルメットやコスタ=ガヴラスを批評するさい、「政治性」を抜きに語ることになんの意味があるのだろうか(これにかぎらず、あらゆる映画は本来「政治的」なのである)。
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いわゆる第1次韓流ブームの頃、アジア映画雑誌の編集者としてイ・ビョンホンやウォンビンの取材に行ったが、日本の記者は「日本のどんなところが好きですか?」「日本の女性と付き合いたいと思いますか?」など毎回そんなことばかり質問するので唖然としたのをおぼえている。 twitter.com/nasukoB/status…
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こんなことは絶対にゆるしてはならないし、これを見て怒りをおぼえないひとを僕は信用しない。
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『Fukushima 50』と『新聞記者』を同列に論じる向きがあるようだが、上記の点をもって、この2作には大きな隔たりがあると思う。僕は『新聞記者』には批判的だが、あの作品は表現の主体をこれ以上ないほど明確に示していた。『Fukushima 50』は主体を伏せ全体化を図ることでその責任からも逃げている。