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先日、このページを慰安婦の資料として提示したところ、「具体的にどの資料ですか?」「日本語に訳してください」と言ってきたひとがいた。大部分の資料が日本語で書かれているので、丁寧に読めばわかります。恐ろしいことが書かれていますよ。というか、読む気もないんだな。 wam-peace.org/ianfu-koubunsh…
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この方にかぎらず「ダブルスタンダードではないか」と言ってくるひとがいると思うので確認しておきますが、少女像の展示は「歴史的事実の具象化」であって、根拠のない「日本人ヘイト」では断じてありません。よって事実を捻じ曲げ差別を煽るような言説と同等にはできません。 twitter.com/ponta_id/statu…
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作品の評価と政治性の評価は必ずしも一致するとはかぎらないが、その二つを明確に峻別できるとする考え方は、僕には映画のみならず、あらゆる芸術を軽んじているように思えてならない。さらに踏み込めば、社会的存在としての「私」を埒外に置いておこなわれる映画評論とやらも僕は信用しない。
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記事のタイトルは編集部によるものですが、じぶんでは「『私』と『私たち』のあいだに」というタイトルをつけていて、以前『朝が来る』のパンフレットに寄稿した作品評「この世に生まれた誰もがたやすく承認されるわけではないということ」の続きのつもりで書きました。 bunshun.jp/articles/-/548…
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あの場で若一さんの批判に応答しなかった(できなかった)諸氏は、批判の趣旨を理解する以前に(あるいは内心おかしいと感じたかもしれないが)、TV番組を滞りなく進行する、という暗黙の「空気」に殉じたのだろう。ある特定の場の「空気」に同調することは時にそれ以上のなにかを失うことにつながる。
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テレ東「午後のロードショー」の編成について、ここ数年でもっともアイロニーを感じたのは、自民党の改憲勢力がどれだけ議席を占めるかという選挙のタイミングで、『スターシップ・トゥルーパーズ』を放映していたとき。
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首相もひどいし、社長もひどい。
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「いろいろな人がいる」からこそ「補償しない」のではなく「補償する」と考えるのが普通ではないですか。このホステスさんが言う「本当に困っている方」のなかには「本当に困っているホステスさん」も入ると思います。 twitter.com/arimoto_kaori/…
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それにしても、「慰安婦は朝日新聞の捏造」などといまだに主張しているひとがいるのには驚かされる。吉田証言という一つの誤報のために、河野談話以降に発見された膨大な量の公文書からなにからすべて無視しようというのだから。 wam-peace.org/ianfu-koubunsh…
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吉田昌郎や伊崎利夫の「ドラマ」が描かれる一方で、官邸側の人間は劇中、役名すら付されていない。どのような人物解釈があってもよいが、特定の個人から名前を剥奪する手口はひじょうに不気味で、この映画における主体の決裂を象徴しているように感じた。いったいなにをおそれているのか。
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しかも彼らは、それがただの手続きでしかないことは重々承知しているのである。要は、手続きを(彼らの思い描く模範に沿ったかたちで)どれだけ的確に、スマートにこなしたかを判定しているにすぎない。こういう図式は、この件にかぎらず、現在さまざまな場所で頻繁にみられるものである。
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「映画で過去を変えることはできない、しかし未来は変えることができる」。これが大林映画のフィロソフィだ。圧倒的な絶望のなかでなにかを「断念」すること、その「覚悟」のうえにしかハッピーエンドはうまれない。 twitter.com/torusano1124/s…
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「重箱の隅をつつくな」と言われそうだけれど、どうしても気になったので。この短いツイートのなかに、「伺い」が2回、「頂き(いただき)」が3回も出てくる。少なくとも「駆けつけて頂き」は「駆けつけてくださり」のほうが適当ではないかと。 twitter.com/AbeShinzo/stat…
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あらためて書くが、このかん「福島」を題材に映画を拵えてきた作り手たちは、実際に完成した作品がどうであれ、表現の主体をめぐる問答のなかで「事実」を一身に引き受けようとしていた。そうした試みを受けてなお、動揺と怒りと対立を喚起する映画をつくることは、僕には到底理解しがたい。
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また、上映館であるヒューマントラストシネマは「なぜ上映するのか」、上映中止を決めたケイズシネマも「なぜ中止したのか」を説明してほしい。もっとも重要な場面で理念やことばを堂々と発信できない者は、文化の担い手としての資質を疑われることになる。
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KANを大衆迎合的な応援歌の作り手だと思っているひとは、彼の自分史的な名曲「めずらしい人生」のなかの一節に震撼するがいい。<すばらしい人生/今うたをうたってる/そして多くの人々が泣き笑う/めずらしい人生/そんな多くの人を/裏切らないとぼくの明日はないのも知っている>
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この件は、赤瀬川やアイ・ウェイウェイ同様、これに抗議するひとたちの図までふくめて、ひとつの美術運動になっている点が重要。映画『万引き家族』が、「日本の恥」と非難するひとたちの存在をあぶりだすことで、なおさら立体的に問題の本質を可視化していたことと共通する。 twitter.com/torusano1124/s…
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香港デモの様子。大手メディアによる全体状況の報道だけでなく、市民の発信によって警官隊の具体的な暴力の瞬間がリアルタイムで流れてくる。「痛み」を共有するにはまず個を注視せねばならない、という大前提をあらためて思い知らされる。
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ここで持ち出されるべきは「推定無罪」(告発の詳細に触れず、このことばを出すことじたい大いに問題があると思いますが)や「作品と人格の区別」等の議論ではなく、キム・ギドクによって傷を負わされた被害者がいること、そして映画を上映することがその傷をさらに深めてしまう危険性ではないですか。
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『Fukushima 50』と『新聞記者』を同列に論じる向きがあるようだが、上記の点をもって、この2作には大きな隔たりがあると思う。僕は『新聞記者』には批判的だが、あの作品は表現の主体をこれ以上ないほど明確に示していた。『Fukushima 50』は主体を伏せ全体化を図ることでその責任からも逃げている。
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アップリンクのスタッフ募集告知を見ました。以前の声明で浅井代表は「厳しい目で育て、見守っていただけるよう、お願いいたします」と書いていましたが、その際提示されたハラスメントの対応策が実行されているのか、発信もなく、取材も受けていただけないので、「見守る」こともできない状況です。
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文藝別冊『大杉漣』校了しました。来月発売です。詳細はまた後日。 kawade.co.jp/np/isbn/978430…
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八代氏の政府に対する忠誠心は筋金入りだと感心する。ここしばらくの状況を見ていたら「閣議決定ほど信用ならないものはない」と思うのがふつうだもの。
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被害者への対応を加害者本人にさせてはいけないと思います。 twitter.com/TomoMachi/stat…