初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

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夏目漱石と森鷗外から正岡子規宛の行方不明になっていた書簡が発見されました。他に子規宛の新出書簡もあります。戦後、子規庵から彼の自筆資料が流出したことは有名だけれど、今回は新たな事実がわかる周辺資料も纏めて残り実に貴重。私のコメントはちょっと?ですが・・・ news.yahoo.co.jp/articles/b631d…
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知人の高校国語教師は近代の詩歌が大好きで、3人の子どもの名前は賢治・晶子・光太郎。「よく奥さんはOKしましたね」と言ったら、「いや、次男は中也にしたかったんだけど激しく拒否され、朔太郎もダメ。ようやく光太郎で了解してもらった」と。それを知ったお子さんは、母親に感謝していたそうです。
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変な格好をしている佐藤春夫(昭和2年)。全く意味不明です。
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太宰治を運ぶ霊柩車のヴィンテージ・プリント。前が太宰用で、後ろが山崎富栄用です。昭和23年6月19日12時40分頃、料亭千草で検視を終えた太宰の遺体は堀ノ内、富栄の遺体は田無の火葬場へ。2階左側の部屋が太宰の仕事場でした。 #桜桃忌
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@asahisan0101 素晴らしい発見ですね!リツイートさせていただいても、よろしいでしょうか?「いいね」が沢山付いてしまいますが。ご迷惑であれば、ご放念ください。ちなみに下編の背の絵柄は「魚」です。
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泉鏡花に心酔していた中島敦が「今時の女学生諸君の中に、鏡花の作品なぞを読んでいる人は殆んどないであろうと思われる」と書いたのは昭和8年。しかし85年後の今日でも、難しい鏡花の文章を読もうと努力している女子学生(もちろん男子学生も)が数多く存在することを中島に教えてあげたいと思います。
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泉鏡花と志賀直哉が一度だけ将棋をした時、駒を並べて始めようとしたら、飛車と飛車、角と角が向き合っていました。志賀が遠慮がちに注意すると、鏡花は慌てて置き直しましたが、実は間違って置いていたのは志賀の方でした。二人ともへぼ将棋だったのかもしれませんね。ちなみに勝ったのは鏡花です。
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今日は萩原朔太郎の命日です。昭和17年当時、北原白秋は病床にあり、名札を付けた花籠が朔太郎の祭壇横に置かれました。そして彼もまた同年11月に死去。しかし翌年の『萩原朔太郎全集』監修者には「故北原白秋」の名が。室生犀星が白秋の生前に依頼したものでした。泉下の朔太郎も喜んだことでしょう。
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NHKの朝ドラを見ていたら「ねえ君、僕と共鳴せえへんか」「何それ、織田作?」という会話が出てきてビックリ。織田作で分るのかなと思っていたら「織田作之助なんか読むん?」と。今日の舞台は昭和37年の道頓堀。ちなみに主人公の高校時代のアルバイト先は古本屋です(画像は『夫婦善哉』初版本より)。
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「芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。」(佐藤春夫)
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「読まないと人生において損な近代文学は何でしょうか?」という質問を受けました。読んで良かったと思う作品は数え切れませんが、得をしたと感じたものはなかったです。文学作品はノウハウ本や攻略本ではないので、損得勘定を抜きに読んだ方が楽しめるし、結果として得られるものも多い気がします。
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「本を読まないで語彙力がアップする方法はありますか」という質問を受けました。自分は本を読んで語彙を増やした人間なので、「谷崎も芥川も太宰もみんな読書家でした」と問いの期待に反する回答しかできません。ネットでは「会話による語彙力アップ」が出てきますが、相手を選ぶのが難しそうです。
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小川未明一家のスペイン風邪罹患を慰めるために編まれた『十六人集』(大正9年、新潮社)の初版本。芥川龍之介・菊池寛・佐藤春夫などが名を連ね、跋は恩師坪内逍遥です。当時は作家を救済するための本が数多く作られ、印税を寄付しました。協力する作家たちと共に、応じた出版社も立派だと思います。
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永井荷風は59年前の今日、この世を去りました。発見されたのが朝だったから、各新聞は夕刊で大きく報じています。画像は珍しい地方紙の記事。これらを文学アルバムや展覧会図録で見ることは、ほとんどありません。発見者の名前の記述は、とみ・トヨ・とよ・手伝いのばあさん、とそれぞれです。
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芥川龍之介が亡くなる3ヶ月前のあまり見ない写真。場所は「歯車」の舞台となった帝国ホテルで、久米正雄・徳田秋聲・佐藤春夫などの顔が。座談会で芥川が「僕はジャーナリスト兼詩人を以て任じてゐるんだから、兎に角、文字を以て現はされたもの悉く文芸だと思つてゐる」と語っているのが印象的です。
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「金色夜叉」の新聞連載を愛読していた若い女性が死に際し、続きを墓に手向けてと遺言。それを泉鏡花から聞いた尾崎紅葉は「あゝ、然ういふのは、作者の守り神といつていゝな。疎かに思ふなよ、お前なぞも」と教えました。「七たび生れかはつて文章を大成せむ。」鏡花が伝える紅葉の臨終の言葉です。
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三鷹市には「女と心中するような男に税金をかけるな」といった声が根強くあり、太宰治を顕彰する活動は容易ではありません。「文学サロン」も「展示室」も関係者の努力と献身の末に生まれたものです。太宰文学を愛し、三鷹市で生まれ幼少期を過ごした者として、これからはもっと応援しようと思います。
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「『人間失格』の初版本が手に入りません。もう死にます」というDMが来たので、放置もできず「死なないと約束するなら差し上げます」と返信。約束してくれたので送ったら、受領の連絡もなくアカウントが削除されました。残念だけれど元気でいてくれれば。「死にます詐欺」ではなかったと信じたいです。
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主観的な意見ですが、文学作品は若いうちに読んだ方がよいでしょう。年を取ると、まず未読の作品に向かうのが億劫になり、特に長編小説を読むのはしんどいです。詩や短歌俳句は大丈夫だけれど、それらを受容するみずみずしい感性が既に欠けています。文学鑑賞は老後の楽しみには不向きかもしれません。
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三島由紀夫は高校生とのインタビューで「太宰を見ていつも危険に感じるのは、もし自分がね、太宰を好きで太宰に溺れればね、あんな風になりゃしないかって恐怖感もあるわね。だから自分は違うんだっていう立場を堅持しなきゃ危ないと思ったんですね。太宰の作品読んだ時には」と。本音だと思います。
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泉鏡花は尾崎紅葉から「何でも構わず多く読め」「銭さへあれば本を買つて置け、どんな本でも三年立つうちには必ず役に立つ」と教えられました。鏡花によれば、紅葉は朝から深夜まで原稿を執筆しても、いつも床に入ってから読書をしたそうです。死期が迫る中、百科事典を購入した逸話を思い出します。
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泉鏡花の告別式での徳田秋聲・谷崎潤一郎・佐藤春夫。秋聲は谷崎に尾崎紅葉夫人など参列者を教えてくれました。谷崎を鏡花に初めて紹介したのも秋聲で、しかも「ねえ、泉君、君は谷崎君が好きだろ?」と語りかけ、谷崎を感激させています。秋聲、いい人ですね。それにしても、画像の春夫の眼が・・・
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リクエストにお応えして、谷崎潤一郎愛用のバスローブを初公開します。来歴がはっきりしており、真贋の問題はありません。サテンのような生地で、本来ナイトガウンではないかと思いますが、天才のやることはわからないです。画竜点睛を欠くのは洗濯してあること。DNAの採取は不可能でしょう。
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芥川龍之介と太宰治が好きな高校生が、「自殺した作家を好きになると自殺願望が生まれるぞ」と親から忠告されたそうです。その可能性が全くないとは言いませんが、親の無理解に絶望して命を絶つ子供の方が遥かに多いでしょう。文豪に矛先を向けるよりも、自らの言動を省みるべきだと思います。
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「お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。」谷崎潤一郎ではありません。川端康成『少年』の一文です。歯から脚への移動が秀逸だと思います。