初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(リツイート順)

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天皇陛下が退位されたら、かつて「お供も警護もなしに1日を過ごせたら何をなさりたいですか」と問われ「透明人間になって、学生時代よく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もういちど本の立ち読みをしてみたいですね」とお答えになった皇后さまが、神保町を散策できる日も来るかもしれませんね。
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『新潮』大正12年7月号合評会の写真(田端自笑軒)です。左から芥川龍之介・千葉亀雄・菊池寛・中村武羅夫・久米正雄・久保田万太郎・徳田秋聲の豪華メンバー。あまり目にしませんが、芥川が話をしている写真(口が少し開き、みんなが芥川を注目)は非常に少ないので貴重だと思います。
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世の中でコミュニケーション能力や対人関係能力が大切なのは確かですが、それを強調するあまり、他人になかなか心を開けない性格の人が息苦しさを感じる社会になってはいけないと思います。「僕は親子兄弟と云ふ血縁の関係にある者に対しても打ち解ける事が出来ない。」谷崎潤一郎の言葉です。
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毎年6月になると「太宰治モード」にスイッチが入ります。太宰は明治42年6月19日に生まれ、昭和11年6月25日第一小説集『晩年』を刊行。23年6月1日「人間失格(第一回)」を発表後、13日に入水し死亡(戸籍上は14日)、19日に遺体が発見されました(桜桃忌)。今月の「太宰ツイート」の増加をお許しください。
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作家の戒名には「文」が多いです。夏目漱石「文献院古道漱石居士」芥川龍之介「懿文院龍介日崇居士」太宰治「文綵院大猷治通居士」中原中也「放光院賢空文心居士」三島由紀夫「彰武院文艦公威居士」。もちろん「文ナシ」もいて泉鏡花は「幽幻院鏡花日彩居士」。この美しい戒名は佐藤春夫が付けました。
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今日は石川啄木と志賀直哉の誕生日です。志賀が三歳年上ですが、文壇デビューは啄木の方がずっと早く、明治38年に処女詩集『あこがれ』を刊行した時、志賀はまだ学習院高等科の生徒でした。そして大正2年、志賀の第一小説集『留女』が出た時、既に啄木はこの世の人ではなかったのです。
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山の上ホテル内コーヒーパーラー「ヒルトップ」の「巨峰パフェ」(9/1~11/30、数量限定)です。中に入っているのはマールアイスと巨峰のシャーベット。中央の蝶は飴細工で、もちろん食べられます。はっきり言って美味しすぎます。
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永井荷風先生が浅草の道端で、ご満悦の表情を浮かべながら立て看板を眺めています(左)。何を見ているのでしょうか? やはり予想通りでした(右)。
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川端康成や三島由紀夫が愛した『山の上ホテル』のコーヒーパーラー「ヒルトップ」の季節限定メニュー「苺のクレープシュゼットとクリームチーズのアイス」です(来年2月28日まで)。温かいイチゴのクレープとアイスの取り合わせが絶品。間違いなく幸せな気分になれます。
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梶井基次郎は、川端康成の妻にもらった林檎(檸檬ではありません)を夜通し磨いて床の間に飾りました。そしてその一個を齧った三好達治に対して「梶井君はものを云はずに、いきなり三好君の頭を殴つた」と川端は書いています。暴力はいけませんが、梶井にとって単なる林檎ではなかったのでしょう。
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葉巻を手にする芥川龍之介(大正10年)。タバコを持つ写真は沢山ありますが、葉巻はほとんど見ません。この写真自体、初めてご覧になる方が多いのではないでしょうか。まこと眉目秀麗とは、芥川のためにあるような言葉ですね。
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「先生は子供を、子供だと想ひ過ぎる。先生よ、おまへとおまへの教へる子供とは大方同し常識を持つてるんだぞ。」20歳の中原中也が日記に書いた言葉です。91年後の教師も噛み締めるべき金言だと思います。
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山の上ホテル内コーヒーパーラー「ヒルトップ」の「モンブランパフェ」(期間限定9/1~11/30)です。中に入っているのは、マロン・コーヒーゼリー・ラムレーズンアイス。この取り合わせを考えた人は天才だと思います。
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「著名作家署名・生没年一覧」(日本古書通信社編『古本屋名簿』)の続編です。最後のページの下だけ生没年が入らずゴメンナサイ。前と合わせて総勢101人。本以外に原稿・書簡などを含めれば、署名のコンプリートも夢ではありません。2人目をお待ちします。
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谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』は、名越国三郎の挿絵2枚の削除を条件に発禁処分を免れた大正6年版初版本が有名ですが、大正8年版『人魚の嘆き・魔術師』の水島爾保布による絵も負けないくらい怪しげです。しかもこちらは大判なので、画集のように見栄えがします。復刻はされていません(3版まで確認)。
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「文豪で一番若い時からお酒を飲んでいるのは誰ですか?」という超難問をいただきました(笑)。誕生日が「愛酒の日」になっている若山牧水も、その早稲田大学の同級生で実家が酒造業を営んでいた北原白秋も、飲み始めた時期は存じません。15歳で酒の味を覚えていた中原中也は、確実に早い方でしょうね。
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太宰治の行方不明を報じる貴重なニュース映像です。サムネイルの全集第二巻は、彼の生前に唯一配本されました。『斜陽』などの初版本も登場。玉川上水での捜索活動や山崎富栄の父親なども出てきます。www2.nhk.or.jp/archives/tv60b…
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萩原朔太郎『月に吠える』初版無削除版を前橋文学館に寄贈します(画像は本日付「朝日新聞」夕刊。掲載許可取得済)。寄贈書は、初めて手に入れた最も思い入れが強い無削除版です。文学の道に導いてくれた母が亡くなってもうすぐ1年。前橋の高校を卒業した母も、きっと喜んでくれると思います。
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太宰治・坂口安吾・織田作之助の鼎談「歓楽極まりて哀情多し」(『読物春秋』昭和24年1月)です。鼎談の日付は昭和21年11月25日。織田作の喀血と死により予定の『改造』に掲載されず、初出時に生きていたのは安吾だけでした。ちなみに終了後3人は、銀座のバー「ルパン」であの有名な写真を撮っています。
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芥川龍之介は雨の日に菊池寛と歩いて、「僕はその時、ぬかるみに電車の影が映つたり、雨に濡れた洋傘が光つたりするのに感服してゐたが、菊池は軒先の看板や標札を覗いては、苗字の読み方や、珍しい職業の名なぞに注意ばかりしてゐた」と。面白いですね。『蜜柑』と『真珠夫人』ほどの違いでしょうか。
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芥川比呂志は昭和21年、「新ハムレット」上演許可のため青森県金木町の太宰治を訪問。津島家の女性たちは「芥川さんのご令息が!」と驚き、女中の一人は「いい男だな」と。太宰はすぐに許可を与え、そしてひっきりなしに話し、笑ったそうです。初対面の比呂志に父龍之介の面影を重ねたのでしょうね。
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大谷崎だから許される言葉なのでしょうか?いや、誰もがこのくらい強い気持ちで生きてもよいのだと思います。
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その昔田中角栄の演説を聞いた人が、「広い会場で自分だけに話してくれている錯覚を抱いた」と言っていました。太宰治の小説も、熱狂的な読者は自分だけに語りかけていると思います。角栄と太宰。今なお絶大な人気を誇る二人は、職業こそ異なれども、人を虜にする点では相通じるものがあったようです。
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炎上したLINEヘルスケアの医師は「芥川龍之介とか、太宰治とか、頭の良い人は大体自殺していますので生きている価値がないというのは正解なんでしょうね」と。しかし彼らは人が生きることの価値を否定していません。自分が生きる意味を悩んだのであり、こんなところで名前を出されたのは迷惑でしょう。
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ドクロは魔除けになるとも言われるので、これらの画像が皆さんのお守りになることを願います。