初版道(@signbonbon)さんの人気ツイート(いいね順)

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もし芥川龍之介があと10年生きていたら、作家としての太宰治は、そして彼の人生はどうなっていたでしょうか。芥川賞を目指すことなく、第一小説集のタイトルも『晩年』ではなかった気がします。『斜陽』も『人間失格』も生まれないのは困るけれど、太宰に芥川と話をさせてあげたかったなあと思います。
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太宰治は「新しいということは文学のいのちです。そして真に新しい作品は、どんなに年月がたっても、少しも古くはならないものです」と語ったそうです。発表から70年以上経っても、全く古くならない『人間失格』を書いた作者の言葉だけに、盤石の重みがあると思います。
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夢野久作『ドグラ・マグラ』(昭和10年、松柏館)の初版本です。この「幻魔怪奇探偵小説」を初めて読んだのは高校生の時。何度読み返しても内容を理解したとは言い難く、それゆえ常に新鮮さを失わない不思議な作品だと思います。初版函付の美本は近年あまり見なくなりました。
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太宰治・坂口安吾・織田作之助の3人は、織田が亡くなる2か月前に対談しています。その最初の話題が「小股のきれあがつた女」。「小股といふのはどこにあるのだ?」という安吾の問いに、太宰は「アキレス腱さ」と答えています。今はほとんど使われない表現ですが、興味のある方は調べてみてください。
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どの自治体も今年度は税収不足なので、来年度の公的な文学館・記念館の予算はいずこも厳しくなります。そこである文学館の学芸員の方が館独自のクラウドファンディングを提案したら、役所の人から「コロナ禍の今、文化的な事業は後回し」と言われたそうです。誠に文化果てる国を実感する話であります。
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太宰・安吾・織田作は、銀座の「ルパン」で大佛次郎の連れとトラブルになり「表に出ろ」という話に。安吾は「おう、出ようじゃないか」、太宰は「暴力はだめだよ」と。織田作だけは知らん顔して同伴者のネクタイを褒めていました。ちなみに揉め事の原因は「小股の切れ上がった女の話」だったそうです。
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山の上ホテル内コーヒーパーラー「ヒルトップ」の「モンブランパフェ」(期間限定9/1~11/30)です。中に入っているのは、マロン・コーヒーゼリー・ラムレーズンアイス。この取り合わせを考えた人は天才だと思います。
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伊藤整は「鏡花を読みこなせなければ明治は分らなくなり、明治という時代の中に封じ込められた人間の生命が分らなくなる。やがて鏡花を読むために辞典が作られるような時があっても、鏡花が忘れられる時はないであろう」と。明治150年の今こそ、本格的な「鏡花を読むための辞典」がほしいものです。
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今日は菊池寛の誕生日です。自宅前で息子とこの写真を撮ったのが、正月なのかは存じません。ただ龍の字の凧が天高く舞い上がった時、天国にいる親友を思い出したのは間違いないと信じます。
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今日は佐藤春夫の命日で、かつ太宰治の長兄津島文治が亡くなった日です。文治は死の直前に、太宰が迷惑をかけた春夫らに今でも頭が上がらぬと語っています。しかし身内ながら、誰よりも迷惑をかけられたのは文治でした。ちなみに彼が一番好きだった小説家は谷崎潤一郎。ここでも春夫と縁がありますね。
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今、目の前に調査の依頼を受けた太宰治直筆の新出資料があります。80年以上前に書かれ、もちろん全集未掲載です。お酒を飲むよりもサウナに行くよりも、こういう物を見ている方が一日の疲れが飛んでいくのはおかしいでしょうか。いやきっと、このアカウントをご覧の皆様はわかってくださると思います。
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山の上ホテル内コーヒーパーラー「ヒルトップ」の「ピーチ・メルバ」です。近代フランス料理の父エスコフィエが伝説のオペラ歌手メルバに供したデザートで、素材は桃・バニラアイス・生クリーム・アーモンドスライス・ラズベリー(ソースも)。開業当時からホテルの名物でした。奇跡の味と言えましょう。
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太宰治の作品中の「天国」 「私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。」『佐渡』 「天国へ行くか地獄へ行くか、それは神様まかせだけれども、ひょっとしたら、私は地獄へ落ちるかも知れないわ。」『貨幣』 「地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。」『人間失格』
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「先生は子供を、子供だと想ひ過ぎる。先生よ、おまへとおまへの教へる子供とは大方同し常識を持つてるんだぞ。」20歳の中原中也が日記に書いた言葉です。91年後の教師も噛み締めるべき金言だと思います。
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猫好きの谷崎潤一郎は「犬はジヤレつく以外に愛の表現を知らない。無技巧で単純です」と書き、犬好きの志賀直哉は猫について、「うるさくて、きたならしくて、僕は猫はキライなんだ」と語っています。身贔屓の強さでも、両文豪は一歩も引けを取らないようです。
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横光利一によれば、芥川龍之介は「逢ふと必ず志賀直哉を賞めてゐた人」だったそうです。太宰治が志賀の批判に過剰な反発を示した一因は、敬愛する芥川が一目置くほどの人物だからこそ、認めてほしいという思いの裏返しでしょう。「二行でもいいから讃めて貰へばよかつた」井伏鱒二の志賀への言葉です。
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泉鏡花や三島由紀夫の小説を読むと、難解な言葉を駆使した豪華絢爛な文章に目を奪われます。しかし語彙が豊富なだけで名文が書けるわけではなく、やはりプラスアルファが必要なようです。「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加へてゐなければならぬ。」芥川龍之介の言葉です。
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母が小学校6年生の誕生日にプレゼントしてくれた手作りの「近代作家リスト」の一部です。武者小路実篤は健在でした。改めて見返すと、このリストに出ている作家の初版本を蒐めたことに気が付きます。感謝の言葉しかありません。
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「アベック」は既に死語だそうですが、使わなくても知っている人は多いでしょう。でも「クメル」をご存じの方はほとんどいないと思います。「失恋(する)」という意味で、久米正雄の小説『破船』に由来し、大正末から昭和初め頃まで学生の間で流行しました。この言葉に対する本人の感想は不明です。
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毎年6月になると「太宰治モード」にスイッチが入ります。太宰は明治42年6月19日に生まれ、昭和11年6月25日第一小説集『晩年』を刊行。23年6月1日「人間失格(第一回)」を発表後、13日に入水し死亡(戸籍上は14日)、19日に遺体が発見されました(桜桃忌)。今月の「太宰ツイート」の増加をお許しください。
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知人の老人ホームで文学サークルの座談会に参加し、好きな作家は夏目漱石と話したら、ある男性が「実は、私は漱石の孫なんです」と言うのでびっくり。さらにもう一人の男性も「私も漱石の孫です」と。知人によれば、この施設には「漱石の孫」が3人いるとか。のどかな時間が流れ、大いに癒されました。
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太宰治を運ぶ霊柩車のヴィンテージ・プリント。前が太宰用で、後ろが山崎富栄用です。昭和23年6月19日12時40分頃、料亭千草で検視を終えた太宰の遺体は堀ノ内、富栄の遺体は田無の火葬場へ。2階左側の部屋が太宰の仕事場でした。 #桜桃忌
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数年前、ある高校国語教科書に江戸川乱歩「押絵と旅する男」が採録され拍手喝采を送ったものの、すぐに消えました。理由は高校の先生からの評判が良くなかったとのこと。教科書教材の選定では常に教師の意見が重視されますが、生徒の意見も「教育現場の声」だということを、忘れないでほしいものです。
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リクエストにお応えして、谷崎潤一郎愛用のバスローブを初公開します。来歴がはっきりしており、真贋の問題はありません。サテンのような生地で、本来ナイトガウンではないかと思いますが、天才のやることはわからないです。画竜点睛を欠くのは洗濯してあること。DNAの採取は不可能でしょう。
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大正時代の「文壇人女見立之図」です。文豪を女性に見立てることは昔から行われていました。武者小路実篤ー尼僧、田山花袋ー女流教育家、島崎藤村ー聖母マリア、正宗白鳥ー隠居、久米正雄ーアナウンサ(モダン・ガール)、久保田万太郎ー下町娘、徳田秋聲ー未亡人とあります。あまりピンと来ませんが・・