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あと兵員の生命についての考え方だけど、アメリカ海兵隊や陸軍の突撃も大概でしたよ。断片だけ切り出すと、火力が日本の方が優勢な局面は確かにないことはなかったが、アメリカ軍の司令官は情け容赦なく突撃させてました。特にあの頃は太平洋戦線の情報が本土に伝わりづらいので塵芥のような人使い。
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この時期に放映される戦争特集に飽きてしまった。理由は、日本の戦争に未だに国民性に着地点を見出すつくりから脱却できていないから。日本だって経済力と工業生産力があれば、精神論など唱えていなかったし無茶な作戦指導もしていなかった。問題なのはそこじゃないのになあと毎年思う。
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自動車の中で弟は「僕は猫も杓子も高等教育を受けられた時代こそSDGsの可能性だった。実はこの在り方が持続可能じゃないのだとすれば、つまり階級社会の方がデフォルトだとするなら『持続可能』なんて『永久機関』と何も変わらない。ただの中世じゃないか。900年続いたならSDGsそのものだ」と論じた。
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母は「お父さんの世代の多数の男の人たちが家庭人として成り立っていたのは、女を無知にしておいたから」という持論の持ち主で、「だから女は大学行かなきゃ行けない。学歴と経済力がついたら離婚が増えるのは当たり前。それは世の中が悪くなったのではなく公正になったから」と明言していた。
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母の話を兄弟で彼女の気が済むまで聞いていたのだが、深夜になる頃に、ようやく人生の屈託がポロポロと出てきた。父の実家は変な人の集まりだったので、僕が「嫁いだ時は大変だったでしょう」と言ったら、母は「あの頃はね、わたしは世の中のことを何も知らなかったから耐えられた」と言っていた。
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お寺に同級生がいるのでしみじみ話し込んでいたとき、「僕の一族は僕世代で滅びるんだけど、東京に出てみると名家というのはあり彼らは本当にしぶとい。この差は何だろう」と言ったら、彼は「いや坊主の経験で思うのだけど、彼らも業の深さで苦しんでる。人殺しが出る前に滅べて良かったと考えな」と。
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日本の占領政策が表面上は穏便・寛大なものになったのは、アメリカの対外戦争では未経験なほどの大量出血をしいたこと、日本国自体が8000万人もいる大きな国家で、その民の多くが軍事教練を受けていた。アメリカのリアリズムには冷戦のほかにこれもあったのだと思われる。
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これは残念なことだが当事者として戦争が始まってしまえば言論は萎縮してしまうだろうが、せめてそれより前の段階においては、あらゆる見解から学び取ろうという姿勢は難しいけれど戒律のように自分にかすべきだと思う。確かに歴史には色々な解釈があり可能性はあった。それが先の大戦の教訓でもある。
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いわゆる文系は共通語がないのですよね。例えば、学部レベルの学生を対象に「一神教におけるイエス・キリストの位置づけをカトリック教会の正統教義の観点から答えなさい」という問題を出したとして、僕はこれもちろん英語で解答書けるんだけどそこに至る諸概念や論理を学生が英語で理解するのは無理。
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頭良い人はどんどん英語で書いたら良い。僕は日本語を中心にこれからも書いていく。必要になったら、英語が得意な人の力を借りながら英訳する。外国の概念は幕末・明治以来営々と日本語にしてきた。僕はそれを引き継ぎたいと思う。そして時々、一般の読者向けに印税いただける日本語の本を書く。
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僕は法学部出身といってもまるで法律学は憶えていないのだけれど、刑法の授業の導入で言われた「刑事裁判というのは『国家権力』対『個人』なんだから、被疑者・被告人の防御力は幾重にも保証されなきゃならない」という趣旨のことだけは憶えている。
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NHKの特集番組で「獄友」観てたら、冤罪に落とし込まれた人々には、社会関係や教育歴が欠如してた人が多い印象を受けました。例えば足利事件の菅家さんとか布川事件の桜井さんとか、確かに「こいつなんだろうな」という人相に見えました。しかし→
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カルト撲滅は下手を打つと通常の市民的自由まで侵害する権限を政府に与えてしまう恐れがあるが、日本には世界に名高い「中世の司法」、とりわけそれを代表する東京地検特捜部があるんだからいつも通り動けば良いのにと訝しく思っていたが、そうか宗教法人職員には人質司法が通用しないから無力なんだ。
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覇権国家あるいは帝国どうしの戦争というのは実際には無い、「甘噛み」を続けるというのが常識的な見方だけれども、アメリカについては予測がつかないところがある。あの国は南北戦争をやり、第二次世界大戦では大西洋と太平洋の二つの帝国と戦い、ソ連との冷戦を44年やった。正戦論上等で執念深い。
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公定宗教に服さなかった人々の核心的主張の一つが子供への宗教教育の自由だったことは歴史的に間違いない。そして宗教一般が子供への教育を重視してきたことは、キリスト教や仏教系の幼稚園、小学校、中学校、大学とあることからもそれは明らかなのですよ。
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だからプラトンなどは、子供は親から取り上げて公共で育てようと言い始める。そうすれば教育格差や文化資本の差はなくなり淫祠邪教を強制されることもなくなる。しかし、これは我々の慣習や感情が受け入れるところではないだろう。
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カルトだから話が妙に分かりやすくなるが、例えばある親が自分の子供をインターナショナル・スクールに入れたい、子供の将来を思って、ピアノやバレエを習わせたい、しかし子供は無茶苦茶それが嫌だった場合と構造はそれほど違わない。教育における親の裁量権の問題が絡んでくる。
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>RT 実は極めて難しい問題。外国史の事例だが、イギリス国教会に服さなかった「分離派」と呼ばれる人々の主張のわりと核心的な部分が自分と自分の家族(子供)の宗教信条を国家に左右されたくないというのがある。弾圧された彼らは比較的多く、信教の自由があったオランダに移住したが→
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統治の道具といえば教育もそういうところありますよね。思想教育とかそういう話ではなく。例えば、古文とか、これを北海道の生徒がやるのは妙なのですよ。そもそも四季が違いますでしょう。それに『枕草子』とか「冬はつとめて」とか言いますが、極寒の北海道の子たちが「いとおかし」なわけがない。
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すると話は転がりますね。ネオリベとか見てると不安定な状況で働きづめに働かないと食べていけない状況を作っているわけで、こういう状況にある人間が世界を豊かにする思考活動などできるわけがない。そうすると人件費削減法を編み出すコンサルとか仮想通貨とか淫祠邪教が跋扈することになるわけです。
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それで農業生活を離れて都市部に修道院を移す動きが出始めます。農業生活を離れるので、生活の糧は托鉢に頼るようになる。ドミニコ修道会、フランシスコ修道会、アウグスチノ修道会、カルメル修道会とかですね。労働から解放されると、研究に時間と体力がさけるので神学のレベルが爆上がりした。
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自給自足というのは、よく想像するとわかるのだが、そりゃあ滅茶苦茶に大変。煩悩も枯れ果てるのは良いとして、煩悩枯れ果てるほど疲れ果てて勉強が進まなくなり思考が硬直する。そのうち、先端的農法とかが生み出されて何の専門家か分からなくなることも生じる。一方都市では怪しげな淫祠邪教が跋扈。
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話してみると忘れてた大事なことを思い出す。確か4世紀頃、キリスト教会が世俗まみれになり始める頃、これじゃいかんと人里離れた荒地で共同生活送るようになる。ベネディクト修道会とかシトー修道会とか。「働け!そして祈れ!」ですよね。しかしこの有益な試みには一定の副作用ができます。
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上位層の中でもさらに上位というのは力の絶対値があるので、まあそこが月でも火星でも生き残るでしょうからあまり重要ではなくて、その分厚い中間層ですよね。ここを廃棄したのが致命的に痛かったと悔やまれます。
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こんな話をしたのは、大学に進学して専門知識を学ぶことを想定していない子たちもこんな塩梅で勉強してたので、そのどこまでも広い裾野が生み出す上位層がどんだけ凄かったんだろうなあと。もう関係ない話ですけどね。日本人が棄民した人々ですから。