Poche │心理カウンセラー(@Poche77085714)さんの人気ツイート(リツイート順)

泣いても解決しない、泣く暇があったら考えろ、泣いて許されると思うな… こんな風に言われ続けると、大人になって泣きにくくなる。 泣いちゃダメ、泣くのはズルイ、泣くのは弱さだと無意識にインプットしてしまう。 でも本当は、誰でも何歳でも泣いていい。泣くことは悪いことじゃない。必要なこと。
「泣けば済むと思っているのか」と責められることがある。 泣けば済むなんて、もちろん思っていない。 泣いた方が怒られてきたのだから、そんなこと思うわけがない。本人だって泣きたくない。 このような環境で育つと、大人になっても泣くことに抵抗が出やすい。泣くのは弱さ、いけないことだと思う。
「親に謝ってほしい」という思いが溢れることがある。 だが多くの場合、上手くいかない。 親は自分の育児が正しいと思い込んでいたり、親なりに子どもを愛していたと主張する。「そんな昔のこと」と一蹴されたり、反対に「ごめん」の一言で片づけられてやり場のない思いを抱えることもある。
自分らしさが分からない人がいる。 「大人が考えるいいこ」を演じ、認められようと頑張ってきた人に多い。(出来たかどうかは関係ない) 今の自分が誰かの求めている自分像なのか、演じている自分なのか、何が本当の自分なのか分からない。 自分が感じている感情でさえ、本物かどうか疑ってしまう。
恩を着せられたり、対価を求められたりするのが嫌で「頼りたくない」人がいる。 人に頼るのは逃げ・甘えだと言われて自力で頑張って育つと、そもそも「頼り方が分からない」。 嫌われたり迷惑をかけちゃいけないと思うと「頼ってはいけない」と抱えてしまう。 「人に頼れない」には色々ある。
「ボーっとしてる」「よくわからない人」「協調性がない」というレッテルを貼られる事がある。 共通点は、自由に意見を言える家庭環境ではなかったこと。 でも本当は、周りに邪魔されず1人でのびのび自由に過ごしたい平和的な子。 言葉に出さないだけで、考えることは多く感受性はとても豊か。
なぜか限界まで頑張り続けてしまう理由が、「幼少期の大人との関係」にあることは多い。 病気の時だけ優しくされると、限界が来ないと休めない…と無理しやすい。 病気の時に迷惑そうだったと感じると、迷惑かけちゃダメ、倒れちゃダメと一人で頑張りすぎる。 共通点は、元気な時に休めないこと。
親と距離をとり、離れることがある。 家族がバラバラになったように感じたり、実際に家族から「あなたのせいでこうなった」と責められることがあるかもしれない。 でもあなたが壊したんじゃない。 すでに壊れていた場所で、あなたがバランスを保ち、ギリギリ耐えていただけ。あなたのせいじゃない。
拒絶される不安が強いと、自分はどう思うかより「相手にどう思われるか」という視点が優先される。大切な人に拒絶される辛さを知っているから、そうまでして自分を出そうと思わない。 子どもの頃から家族を優先してきた場合、自分がどう思うかさえ分からないこともある。無意識に自分を後回しにする。
子どもの頃に「辛い」を受け止めてもらえなかったり、「出来ない」を許してもらえなかったことが、大人になっても影響する。 辛いことがあった時こそ笑顔、誰とも話したくないくらい辛いのに誰かの相談に乗り、五感をフル稼働して気配りする。 出来ることを「やらない」のも、実はとても難しい。
<アダルトチルドレンが抱えやすい悩み> ・相手の機嫌を常に伺う ・他人の機嫌に不安・恐怖を感じる ・相手を信じ切れない ・滅多に頼れない ・自分の気持ちを言えない ・ふいに一方的に関係を断つ ・尽くしすぎ、反対に束縛しすぎ ・相手との距離感が分からない ・嫌われないために神経をすり減らす
・頼りない父(子が父親代わりになることも)&過干渉の母 ・威圧的な父&従う母(愚痴は子に言う) こういった環境で育つと、子は精神的に自立せざるを得ない。 やさしくて責任感のある子ほどそうなりやすい。 大人になった時、ある程度自分で出来てしまうからこそ、甘えたり頼ったりが苦手になる。
虐待を受けていなくても、ひどい言葉を言われていなくても、それなりの生活をさせてもらっていても、親なりに大切にしていたとしても、親のことが嫌いではなくても、「自己肯定感が低い」ことがある。 過干渉の環境で育ったケースに多く、「親に縛られている」という感覚が大人になっても抜けない。
容姿の批判は、心に深い傷を残す。 冗談だとしても、ふざけていただけだとしても、些細な一言だとしても、心はズタズタに傷ついてしまう。 言った本人は覚えていないこともあるが、言われた方は一生心に傷を負う。 子どもの頃、親に言われたことに何十年も苦しみ、自分が好きになれないこともある。
人を嫌ってはいけない、と自分を追い込みすぎる人がいる。 とても素敵だが、自分に厳しすぎることがある。あなたを利用する人でさえ「良い所」を探そうとするから、心にかかる負荷が大きい。相手は、そういう優しさも見抜いて近づいてくる。 嫌いでも苦手でもいい。意地悪しなければ、十分優しい。
自分の心に嘘をつくことがある。 誰かを喜ばせるため、悲しませないため、受け入れてもらうために。 聞きたくない愚痴を聞き、泣きたいほどしんどいのに笑い、平気とごまかし、限界なのに大丈夫なふりをする。 子どもの頃に家族のバランスを保っていたり、親を喜ばせようと頑張っていた人に多い傾向。
動けるなら休んじゃダメ、楽しちゃダメ、迷惑かけちゃいけない、こんなことで休むなんて怠けでは…と苦しむことがある。 本当は動けなくなる前に休んでいいし、休んだ方が良い。 だが頭で理解できても、過去の影響が「そうさせないように」強力に働く。努力を求められ続けた人が抱えやすい傾向の1つ。
愛された、大切にされた、許された、受け入れられた、認められた…このような幼少期の環境が『自分を大切に』という感覚を育てる。何か出来なくても失敗しても、自分の価値は全く変わらないと知る。 なぜか自分を大切に思えないのなら、それらが不足していたり、真逆のものが与えられたのかもしれない
もう何もしたくないと思ったり、誰にも会いたくないと思ったり、全部どうでもよくなったり、何もかも捨ててしまいたくなることがある。 他人から見れば些細なきっかけのことも多い。 だが過去に抑え込んだものが多いほど、自分の本音を誤魔化した回数が多いほど、この状態から抜け出すのが難しい。
涙が出そうで出なかったり、心がソワソワしたり、訳も分からなく不安になるのは『頑張りすぎ』のサイン。 つい誰かのために頑張っちゃうから、なかなか休めないんだよね。 「もうちょっと」「まだ大丈夫」「私しかいない」って無理しちゃうんだよね。 心が穏やかになるまで、ちょっぴり休んでみよう。
アダルトチルドレンは、ちょっとした指摘を「自分への批判」と受け取りやすい。「どうしてそう思うの?」という質問が、自分への否定に聞こえてとっさに反発する事もある。 性格が捻くれているのではない。 批判されることの多かった幼少期がそうさせる。心を守るため、無意識に裏を読みすぎる。
「大人になっても悩んでいるなんて」「まだ思い出してるなんて」「昔のことなのに」なんて、思わなくていい。 辛い記憶は嫌でも出てきちゃうし、心の傷は簡単に消えないのだから。 今あなたが許すべきは過去でもあの人でもなくて、悩んでいる自分自身。「悩んでいて当然だ」と悩むことを自分に許す。
拒絶される不安が強いと、自分はどう思うかより「相手にどう思われるか」という視点が優先される。大切な人に拒絶される辛さを知っているから、そうまでして自分を出そうと思わない。 子どもの頃から家族を優先してきた場合、自分がどう思うかさえ分からないこともある。無意識に自分を後回しにする。
子どもの頃から空気を読みすぎると、「自分の思い」で物事を決めるのが苦手になる。 相手がどれを選んでほしいのか五感をフル稼働して考えてしまう。自分の思いと違う場合は「どれでもいいよ」と譲ったり、相手が選びそうなものを選ぶ。 どれが良いのか、自分の気持ちが本当に分からないこともある。
幼少期、否定されることの多かった子どもは「どこまでが親の許容範囲なのか」「何なら叱られないか」必死に探すようになる。 大人になってもこのクセは残る。 自分が何をしたいのかより「相手の求める正解」を探す。 過去、抑えてきたものがあまりに多い場合は「自分がしたい事」さえ分からなくなる。