Poche │心理カウンセラー(@Poche77085714)さんの人気ツイート(リツイート順)

「今」を心から楽しむのが苦手な人がいる。 自分が楽しそうな時に親が不機嫌だったり、呆れられたりするとそうなりやすい。楽しむことがいけないことだと無意識に刷り込まれてしまう。 だからわざわざ不安な未来を想像したり、嫌だった過去を思い出して、楽しみすぎないよう無意識にブレーキをかける。
どうしても合わない人がいる。 どれだけ話し合っても、分かり合えない人もいる。 一緒にいてラクな人もいれば、しんどい人もいる。 皆にとっていい人でも、あなたは苦手なこともある。 それが他人のこともあれば、家族のこともある。 自分にとって一番近い家族が、精神的には最も『遠い』ことがある。
「自己肯定感が低いのは悪いこと」と捉えられるような情報が増え、「高めたい」という人が増えている。 自己肯定感は低くても生きていける。 一生懸命高くしようと無理しすぎたり、「低いのはダメ」という情報そのものが、「今の自分はダメ」という自己否定に繋がりあなたを苦しめていることもある。
幼少期に親に否定されたり褒められたことのない部分は、誉め言葉として受け取りにくい。 「トロい」「グズ」「早く」「遅い」と怒られたことが多いと、「丁寧だね」と褒められて喜べない。遠回しに遅いと指摘されているように感じたりする。 褒められて喜べないのは、性格のせいではない事が多い。
事件や事故、虐待などの酷い経験だけがトラウマになるのではない。 褒めてもらえない、いつも誰かと比較される、心休まる家庭環境ではなかった、過干渉で自由がなかった、いつも気を遣っていた…1つ1つは小さくても長期間ストレスを感じ続けると心的外傷となる。これくらいで、なんて思わなくていい。
過去を思い出して辛いのは、少し前に進んだから。やっと辛いと気がつけるようになったんですよ。 しなきゃいけないことが終わらない日もある。 終わらなかった=途中まで「できた」です。 しんどくて動けなかった日は、今まで頑張り過ぎちゃったあなたがやっと休めた日。
「職場に行くのが辛いのに、職場につくといつも通り動けてしまう」というACは多い。特に「笑顔で頑張るAC」はこの辛さが周囲に理解されにくく、孤独を感じる。家に帰って、一気に疲れが溢れ出る。 動けず仕事に行けないのはとても辛いが、もう限界なのに動けてしまうのも辛い。どちらも苦しい。
助けを求めるのが苦手な人がいる。 多くの場合は内面の苦しさを表に出さないため、周囲から「問題を起こさないおとなしくていい子」「悩みがなさそう」と思われている。 人間関係の基礎は、親子。 親を信用できず頼れなかった場合、他人も信用できず頼れないと思う。これは大人になっても影響する。
生きる土台(ありのままでいいという心の安定)は、母親がつくる。 だが、母親自身の生きる土台が安定していない場合、生きる土台を作ってあげるどころか、自分の土台を作る手伝いをさせる。 子どもが自立することが許せず、子どもが土台を作る邪魔をしたり、その子の土台を壊してしまうこともある。
あなたの性格がダメなのではない。 家族さえ信頼できない環境で育てば、人を信じられなくなる。さらには地雷を踏まないよう常に気を張る環境で育つと、人に気を使い過ぎてしまう。 努力が足りないから自信を持てないのではない。 褒めて励まされるべき時期に、それが与えられなかった傷は深い。
人に弱さを見せられない、と悩む人が増えている。 子どもの頃から喜怒哀楽をあまり出さずに耐えてきた人の場合は、「強くならなきゃ」という思いを抱えやすい。 自分が我慢することで家族や周囲を助けてきた人は、「助けを求めるのが苦手」になりやすい。
嫌な記憶を手放すなら「自分のため」だけでいい。 許すのも恨みを手放すのも、嫌なことをした相手のためではありません。 誰かに言われて誰かの為に、嫌な過去を手放すと後悔します。 だから「あんな人のために時間を使うのはもったいない!」と心から思えた時に、「自分のため」に手放せばいいです。
<ACが抱えやすい気持ち> ・自分のせいで… ⇒我慢することで、家族の平和を保ってきた人に多い ・自分なんて… ⇒親に「ありのままの自分」を受け入れられてもれない事による無価値観 ・恵まれていることへの罪悪感 ⇒過干渉の場合に多い。嫉妬されることへの恐れ、どうせ理解されないという諦め
「生きているだけで価値がある」 という感覚は、子どもの頃に親が与える。何か出来ても出来なくても、あなたはそのままで愛されると親が教える。 ACは、「生きていてごめんなさい」という感覚に襲われやすい。何か出来たり、誰かの役に立てないと「自分に価値がない」と思い込まされてきた弊害。
「こんなことが未だに影響を与えるの?」と思うような過去の出来事が、現在の生きづらさに関係していることが多々ある。 自分の欲しいものではなく「親が選んでほしそうなものを選ぶ」など相手の意図に沿うよう誘導され続けた結果、「自分が本当にしたいことが分からない」に繋がることもある。
「これくらいで仕事を休んじゃいけない」と追い込まれ、苦しむ人が増えている。 行けないのも辛いが、行けるからこそ辛いこともある。 行ったら行ったでそれなりにやり過ごせてしまうから、疲れが取れない。 「限界が来る前に休んでいい」と幼少期に教えられていない場合、行けなくなるまで休めない。
アダルトチルドレンは、相手を「好きか嫌いか」より、相手に「好かれているか嫌われているか」で判断してしまう。 幼少期からワガママを抑えてきた人は、「好きか嫌いか」さえ分からなくなる。「根はいい人…」と好きになろうとする。 迷ったら「自分を大切にしてくれるかどうか」で判断してほしい。
「どうせ誰も私を認めてくれない」と思うことがある。 「私なんて」という自信のなさから、質問さえ自分への否定に感じる。どうせ嫌われている、誰も分かってくれない、自分に価値がないから大切にされない…と自ら離れてしまう。 褒めて励ますより、指摘や否定が多い環境で育つととそうなりやすい。
しんどい時こそ明るく振舞い、疲れて限界でも平気なふりをして、自分の状態を周囲に見せないようにする。 子どもの頃から頑張ってきた人ほど、無意識にそうしてしまう。 心配かけないよう、迷惑かけないよう、弱いと思われないよう、つけこまれないよう、本当の自分を隠すことで守ってきたから。
親子だから分かり合える。 親は子を愛するもの。 話し合えばわかる。 このように世の中が作り出した「当たりまえ(だと思わせる)」というレッテルが人を苦しめることがある。 現実には、話し合っても分かり合えない人はいる。 愛せないこともあるし、思ったように愛してもらえないこともある。
家族を大切に想い、自分のことより家族を優先し、家族のために尽くしてきた人ほど、誰かが求めている「自分像」を演じるのが得意になる。 これは初対面の人と仲良くなるのが得意なACに多くみられるが、彼らは人と親しくなるのが怖い。 その人の為に演じた自分像と「本当の自分像」との違和感に苦しむ。
小さい頃から「したいこと」を親に言えなかったり、「好きなこと」を言って否定された経験があまりに多いと、したいことも好きなことも分からなくなる。 子どもの頃に「したい」「好き」が1つでもあったなら、過去にそうなったきっかけがあるだけで、あなたの性格や思考に欠陥があるわけではない。
嫌な記憶を封じ込め、思い出さないようにする「抑圧」という心理的防衛機能が働くことがある。 記憶の一部が抜け落ちたり、自分を外から眺めているように感じたり、複数の自分がいるように感じる「解離」が起こることもある。 例えるなら、辛い記憶やトラウマが冷凍保存されているような状態。
本来なら変わらなくていい人が悩み苦しみ、悪くないのに追い込まれ、限界が来てカウンセリングを受けるケースが増えている。 だが、「自分を変えなきゃ」と悩む時点で、あなたはとても頑張っている。 疲れるのは、ちゃんと考えているから。あなたのせいで、そんな目に遭ったとは限らない。
「集団の場が苦手」という人がいる。 幼少期、家庭内で「自分の居場所がない」と感じた人に多い傾向。人嫌いなのではなく、1人でのびのび平和に過ごしていたいタイプが多い。 だが日本の社会では「集団生活ができない子」「協調性がない子」というレッテルを貼られてしまう。結果、孤立感が強まる。