心を回復させるためには、自分を責めない方が良い。 でもACの場合、「自分を責めなくていい」という言葉でますます自分を責めてしまうことがある。「分かっているのに責めてしまう…」と。 だからまずは「ずっとそうしてきたから責めてしまって当然!」と知ることから。自分を否定しないことから。
自分の感情を抑え込んでしまう人がいる。 嫌なのに「そんなこと思っちゃダメ」と制し、辛くて泣きそうでも「平気」と言い聞かせ、不安で怖くても「気のせい」と誤魔化す。 子どもの頃、肯定より否定が多い環境で過ごすとそうなりやすい。 自分の感じた気持ちでさえ疑い、自己否定するようになる。
気がつくし、やればできるし、してあげたいし、困ってるとほっとけないし、人を喜ばせるのも好きだから、つい『やらなきゃ』と思うかもしれない。 でも、『できる=やらなきゃ』じゃないんだよ。 義務になって頑張りすぎると、誰かに会う事さえしんどくなっちゃう。意地悪しなければ十分だよ。
困っている人がいると、助けなきゃと思う。 でも自分が困った時は「迷惑かも」「こんなことで…」と助けを求められない。 泣いている人がいると、放っておけない。 でも自分が悲しい時は、周囲に悟られないよう平静を装う。 …イライラする時には、自分にだけ厳しくなっていないか振り返ってみる。
「人のせいにしているだけでは」と苦しくなる人は、むしろ一人で背負いすぎている人。 「甘えなんじゃないか」と悩む人は、その逆。もっと人に頼っていい人。 「何で頑張れないんだ」と責める人は、既に十分頑張りすぎてしまった人。 考え悩んでいる人で、本当にダメな人は見たことがないからね。
モラハラやパワハラ、毒親の怖さは、離れてもなお影響を及ぼすところ。 相手と似たような人を見ただけで怖くなったり、相手から連絡が来るだけで胸がバクバクしたりする。被害に気がついてからの方が「酷い辛い」と訴える人は多い。 これまで麻痺していた心が、離れることで「感じる」ようになる。
否定されることが多いと、自分の気持ちを聞かれるのが苦手になる。 あなたを知りたくて質問したのだとしても攻撃的に感じる。 「どうしてそう思うの?」という質問が、「そんなこと思うなんておかしい」「普通そう思わない」という否定の言葉に聞こえてしまう。 あなたは捻くれているわけではない。
つい酷い事を言ったり、誰かに八つ当たりしてしまうことは誰でもある。でも健全な心があれば、後悔したり反省する。 だがモラハラ・パワハラをする人は、「あなたが怒らせたから」と自分を正当化する。 酷いことを言った時でさえ、「私の方が傷ついた」と責任転換する。何故かあなたが悪者にされる。
上手くいかない時に使う口癖や、言葉はありませんか? 実は、その言葉に一番影響を受けるのは「あなた」。 実は脳は、誰に言ったかという主語を理解できないからです。 だからつい出てしまう『口癖・考え癖』を工夫するだけで、不安やモヤモヤが軽くなります。言い換えるだけで、ちょっぴり前向き。
推し、趣味、ゲーム、食事… 『回復アイテム』はたくさんあった方が良い。 世の中はストレスだらけだし、人間関係に悩みはつきものだし、思いもよらない所からダメージを受けたりするから、その時々で選べた方が良い。 回復アイテムも効かない時は、心と体を守るためにいったん止まろう。休んでいい。
「どうせ誰も私を認めてくれない」と思うことがある。 「私なんて」という自信のなさから、質問さえ自分への否定に感じる。どうせ嫌われている、誰も分かってくれない、自分に価値がないから大切にされない…と自ら離れてしまう。 褒めて励ますより、指摘や否定が多い環境で育つととそうなりやすい。
「なんで私はストレスがうまく発散できないんだろ…」なんて落ち込まないでね。 その人とは、ストレスの大きさが違うだけだから。少し休むくらいじゃスッキリできないくらい耐えてきたのかもしれないし、好きな事でさえ楽しめないほど疲れてるのかもしれない。 ゆっくり少しずつ、あなたのペースで。
心身に不調が出た自分を責める必要は無い。 ACが抱える「必要とされ愛されたかった」という思いが強いほど、限界まで頑張ってしまうから。生きていていいと思える為に、ここに居ていいと安心する為に。 自己管理が出来ていなかったわけでも、自分に甘いわけでも、努力が足りなかったわけでもない。
責められ続けると、人は人を信じることが出来なくなる。 劣等感に包まれ、誰にも本音を打ち明けられないのはおろか、助けを求めるのも怖くなる。 否定され続けると、人は自分自身でさえ信じることが出来なくなる。「私はおかしいのでは」「普通じゃない」と自分で自分を否定してしまうこともある。
空気が読める、表情で分かる、声色で察する、声のトーンで見抜く…「分からなかったらどんなに楽だろう」と思うけど、どうやっても分かっちゃう人がいる。 『賢い人はバカなフリが出来る』という言葉があるように、分かるからこそ「あえて共感しない」で心を守る時があっていい。 それで十分だから。
ACは「ありのままの自分で価値がある」、と言われて戸惑う。 頑張っても認めてもらえなかったのに、ありのままでいいわけがないと思う。努力を続けてきた人ほど「ありのまま」は甘えではないか、とモヤモヤする。 親の顔色をうかがわなければいけなかった人は「ありのまま」の意味さえ分からない。
今のままじゃダメだと思いながら、新しいことに挑戦できないことがある。 失敗が許されなかったり、親が過度に口出しする環境で育つと、成功の喜びより「失敗のリスク」が上回り恐怖から踏み出せない。確実に成功するため考えた結果、何から手を付けていいか分からなくなる。 やる気がないわけではない
自分が我慢すれば、まるくおさまる。誰も困らない。 自分が諦めれば、忘れればなかったことになる。誰も傷つかない。 素敵なことだけど、そんな時こそ我慢しすぎないで。 だってあなたは困るし傷つくでしょ? 困ったり傷ついたりする方がしっくりくるのは過去のせい。まずはそんな自分に気づくこと。
「ありのままの自分には価値がない」と感じるのが、無価値観。 無価値観が強いと、心から楽しんだり喜んだりするのが苦手になる。平和な時や幸せな時に限って、不安な事を考える。 無意識に、価値がない自分にはこれくらいがちょうどいいと思ってしまう。 この無価値観は、幼少期に刷り込まれやすい。
「そんなに酷いことをされていない」と思うACが、心に深い傷を抱えていることがある。 どの家にもあるような「小さな嫌な事」は、耐えられてしまうからこそ異常さに気がつけない。1つ1つは大したことないように思えても、それが毎日繰り返されるうちにあなたの心がすり減っていく。だから辛い。
「自分は人より劣っている」と落ち込む人がいる。 だが実際には、周囲から見て「出来ている人」のことが多い。 幼少期にいつも誰かと比べられていると、このような不安を抱えやすい。「私なんて」という思いから、否定的な言葉や情報ばかり寄せ集める。 出来ているのに、自分自身が受け入れられない。
<ACが抱えやすい傾向> ・条件付きの愛情に苦しむ  ⇒○○しないと愛されないと思う ・何か始める前に、どうせ無理と諦める  ⇒最悪のケースを想定するため先延ばししやすい ・~するべき  ⇒やるべきことは分かるが「やりたいこと」が分からない ・白黒思考  ⇒100%出来ないなら無意味と思う
強いストレスではなくても、日常的にストレスを感じているとストレス反応が現れる。 ◆心理的反応 不安、イライラ、気分の落ち込み、無気力、集中力低下 ◆身体的反応 動悸息切れ、頭痛、肩こり、疲労感、睡眠障害 自分のせいと悩んでいた事が、実は環境やストレスのせいだったというケースは多い。
言う通りにしないと怒られるから、自分のしたいことを抑える。誰かに認めてもらうため、自分のしたいことより他人の気持ちを優先する。 その環境で生きていくために感情を抑えすぎると、自分の気持ちが分からなくなっちゃうんだ。 でも大丈夫。気持ちは消えてないから。 これから取り戻していこう。
親に苦手意識を持つACが、親のような人を引き寄せ苦労することがある。 親への対応を磨いてきたから似たようなタイプに好かれやすい。何故か気になる、助けてあげなきゃと思う相手が親のような人のこともある。 似ているからこそ放っておけなかったり、言いなりになったり、断ることに罪悪感が出やすい