楽をしたり、自分都合で休むこと罪悪感が出る人がいる。 「まだ頑張れるのでは」「迷惑をかけてしまうのでは」と罪悪感が出たり、「サボりと思われるのでは」「必要とされなくなるのでは」と居場所がなくなる恐怖に襲われる。 休むデメリットが大きすぎる場合、「限界まで休まない」を選択する。
火山が噴火するように、心が爆発することがある。怒りの音がしたり、頭の中で黒いものが渦巻く。 怒鳴ったり叫んだり泣いたり責めたり壊したり…自分でも「どうしてそんなことをしたのか」理由を説明できないし、アンガーマネジメントも通用しない。 これまで抑えた感情が大きいほど、反動も大きい。
あなたは理由があって怒る。何もしていない相手を攻撃しない。 でも毒親やモラハラ、パワハラの加害者は違う。 怒りたいから怒る。それが正しいと思っている。怒るための材料を探す事もある。地雷を避けても、あなたにミスがなくても地雷やミスを作りだす。 だからどれだけ頑張っても怒られてしまう。
怒りで子どもを支配しようとする大人もいれば、罪悪感でコントロールしようとする大人もいる。子どもの頃は怒りで従わせていたが、成長とともに難しくなると罪悪感に訴えかけることもある。 ACの親は子どもの気持ちは知ろうとしないのに、「どうすれば子どもが言うことを聞くのか」よく知っている。
いつも中途半端、どうせ無理、すぐ投げ出す… このように大人から言われて育つと、最後までやり遂げるのが苦手になる。 「私には出来ない」と潜在的に思い込まされているから、途中まで上手くいくのに最後の詰めで諦めたり、あと一歩のところで急に興味をなくす。「なぜか」そうなってしまう。
「泣けば済むと思っているのか」と責められることがある。 泣けば済むなんて、もちろん思っていない。 泣いた方が怒られてきたのだから、そんなこと思うわけがない。本人だって泣きたくない。 このような環境で育つと、大人になっても泣くことに抵抗が出やすい。泣くのは弱さ、いけないことだと思う。
ため息が後ろから聞こえた時。 「疲れてるのかな?」と気にする人、「私何かした?」と焦る人、機嫌を直さなきゃと思う人、警戒する人、そもそもそこまで気にならない人もいる。 事実は1つだが、その感じ方や行動は人それぞれ。 ACの場合は、過去の経験から「恐怖」「焦り」「しなきゃ」が出やすい。
あなたの言葉や行動を全否定する人から、「話し合おう」と言われたら要注意…! 『話し合う』の裏側には、「話せば私の言っていることを理解して、言うことを聞いてくれるはず」という思いが隠れてるから。 怖いかもしれないけど、責められても怒られても従わなくていいし納得しなくていいんだよ。
体調が悪くなると、落ち込む人が増えている。 「皆はできているのに」と自責し、倒れるほど頑張ったのに「自己管理できてない」と落ち込む。 子どもの頃、家庭内で「自分を労わること」を教えられていないと無意識にそうなる。 他人には優しい言葉をかけられるが、自分にだけ厳しくなってしまう。
「もっと人に頼ればいい」と言われることがある。 頼れるようになった人は「そうだなぁ」と思える。 一方で頼らず頑張っている人ほど、この言葉に抵抗が出やすい。出来ない自分を責められているように感じることもある。 頼れない・頼らない、どちらにせよ「頼って傷ついた過去」があることは多い。
人は自分に出来ない事は、悩まないんですよ。ジェット機を買うか悩まないのと一緒。 「なんで出来ないんだろう」と悩むのは、「本当は出来るかも」と心のどこかで知っているから。過去に言われた「あなたは出来ない」がブレーキをかけているだけ。 たくさん悩むあなたには、可能性がたくさんある。
もっと辛い人がいる、弱音を吐くな、世の中そんなに甘くない…このように言われることがある。 その人自身そうやって育てられたのかもしれないし、悪気はないのかもしれない。 だがこれらの言葉は、否定に繋がる。 「自分なんて」「どうせ」「やっぱり」という気持ちが増幅され、本音が言えなくなる。
「あの人はこうして欲しそう」 「あの人はこう思うだろうな」 他人の気持ちを考えられる人ほど、何か行動する時「相手」が主語になる。 相手がいい人でも優しくても、悪い人じゃなくても人気者でも関係ない。 あなたが一緒にいて苦しいなら離れていい。少し距離をおいていい。意地悪しなければ十分。
問題が起こると「私、何かしたかな!?」と焦る人がいる。 子どもの頃になんでも自分のせいにされた経験から、「悪い事=自分のせい」と心のどこかで思い込んでいる。他人の失敗でさえ、やらかしたかも…と不安になる。 自分に責任がないと分かっていても何かしなきゃと心が焦り、落ち着かない。
「もういい年なのに」 「お母さんなのに」 「女(男)なのに」 …なんて口出しする人の言うことは聞かなくていいし、落ち込んだり悩んだりしなくていい。 「○○」なんてその人の価値観、その人の普通でしかないから。 色んな肩書があるけれど、あなたはあなた。誰にも決めさせなくていい。
子どもの頃、「手の掛からないおとなしくていい子だった」と周囲から褒められることがある。 大人からすれば「いい子」かもしれないが、子どもは相当努力している。子どもらしいわがままを抑え我慢しているにも関わらず、理解されていない寂しさが募る。 このループは大人になっても繰り返しやすい。
親と子で「絶対的な力関係の差」があるからこそ、親の言葉や態度は子どもに何かしらの影響を与える。 どんな影響を受けたのか知ることは、生きづらさを手放すうえで欠かせない。 「まだ親のことを言ってるなんて…」なんて思わなくていい。あなたにとって、それほど影響を与える存在なのだから。
人を嫌ってはいけない、と自分を追い込みすぎる人がいる。 とても素敵だが、自分に厳しすぎることがある。あなたを利用する人でさえ「良い所」を探そうとするから、心にかかる負荷が大きい。相手は、そういう優しさも見抜いて近づいてくる。 嫌いでも苦手でもいい。意地悪しなければ、十分優しい。
・親に笑ってほしい。喜ばせなきゃ。 ・怒られたくない。褒められたい。ちゃんとしなきゃ。 ・弱い自分はダメ。強くならなきゃ。 ・頑張らないと認めてもらえない。 ・早くしなきゃ。急がなきゃ。 子どもの頃に身に着けたこれらのスキルが、大人になった時『他人』に対しても同じように影響する。
勘違いされやすいが、甘えや逃げから親と離れられないのではない。 「離れてはいけない」「離れられない」と思わせる何かがある。 感謝、罪悪感、怒られることへの恐怖、周囲の目、こんな私が一人でやっていけるのかという不安、親を見捨てるような辛さ…周囲には計り知れない多重の苦しみがある。
もっと自分を褒めていいんですよ。 疲れたら休めばいいし、甘えたかったら甘えていいし、一人じゃ無理と思ったら助けてもらってもいいんですよ。 「そんなことできない」と思っても良い。 その代わりに、「できない」と思う自分を認めてね。 もう十分頑張っているのに、自分で自分を否定しないこと。
そんなんじゃやっていけない、甘い、やると思った、つまらない顔をするな、やると思った、怠けるな、親の言うことは絶対、恩返ししろ、あなたに出来るの?… 心の中に、「子どもの頃の親」が住み着いていることがある。 影響が強い人ほど、大人になっても苦しめられる。ふとした拍子に記憶がよぎる。
喧嘩や争い大声が苦手という人は多いが、争いの多い家庭で育った場合は「苦手を通り越して恐怖」を感じる。 だからその場を和ませよう、相手の機嫌を直そう、これ以上怒らせては駄目だ…と焦り追い立てられる。自分が悪くないのに謝ったりする。 「なぜかしてしまう」には、ちゃんと理由がある。
分かってもらえないと悲しいし、頑張ってもうまくいかないと悔しくなるけど、イライラしたり怒ってしまった自分を責めないで。 「前はもっと笑えたのに」「もっと優しく出来たのに」と落ち込む時は、頑張りすぎた時。疲れがたまったサイン。 なかなか休めないあなたに、体が教えてくれているのかも
指摘だけでなく、質問やアドバイスでさえ拒否反応が出る人がいる。 幼少期に大人から支配され続けると、他人から受ける支配に似たものに過剰反応する。 とっさに反撃してしまう人もいれば、後になって「ああいえば良かった」「あの言い方はなかったんじゃない?」とジワジワと不満が出ることもある。