「止まない雨はない」という言葉がある。人生において悪いことが続くとは限らない、という。 …だからといって、「それまで耐えろ!」ということではない。 その雨が止むのがいつか分からなければ絶望したくもなるし、とにかく『今』がしんどいのだから。
アダルトチルドレンの多くは自分が思っている以上に、能力や力を既に持っている。 その能力や力を抑え込んでしまうのが過去のプレッシャー。 成績が悪いと怒られる、ちゃんとしないと愛されない、失敗は許されない…そのような人に囲まれて生きてきた過去が「自分なんて」という自信のなさに繋がる。
誰かに誤解されちゃうのって、辛いよね。 家に帰って「こう言えば良かった…」と反省するほど考えて伝えてるから、落ち込んじゃうよね。上手く伝えられなかったことを悩んじゃうほど、丁寧に言葉を選んでるんだもんね。 分かってもらえないこともある。 でも分かってくれる人もいる。それで大丈夫。
自分のしたいことが分からない、と悩む人がいる。 何かが欲しいと言えば「ワガママ」、意見を言えば「自分のことばっかり」と責められ、結局我慢するしかなかった場合にそうなりやすい。 欲しいものを与えられず一方的に「大人の与えたいもの」だけ、大人の都合で与えられる場合も同じ影響を及ぼす。
ACというだけで、様々な心身反応や精神疾患の引き金になりやすい。 本当に必要なのは今の自分を認めて心と体を休ませることだが、根性のある人ほど「まだ平気」「まだ耐えらえる」と一人で背負い、努力家な人ほど「どうすれば良くなるか」「何をすれば楽になるか」とさらに頑張ろうとしてしまう。
子どもの頃に励まされ、楽しいことがたくさんあった人がいる。 一方で子どもの頃に否定され、辛く苦しいことがたくさんあった人もいる。 同じ出来事が起こった時に、どう捉え、どう行動するかは『過去の経験』に紐づく。 『自分の性格のせい』だけではないことが、たくさんある。
常に何かしていないと落ち着かない人がいる。 黙々と予定をこなし、達成するとまた次の予定を立てる。 認められるためというより、頑張るのが当たり前になっている。出来なきゃ価値がないという思いが強い場合、そのために自分の心身が犠牲になる。 幼少期に「出来て当たり前」が求められた子に多い。
体の疲労なら、とことん休めば軽くなる。たっぷり寝ても、とことん休んでも、何もしなくても疲れが取れないなら、心が疲れている。 心の疲れは1回ごとのリセットが難しい。考えたり、思い出したり、モヤモヤするたび少しずつ蓄積されていく。 朝起きて既に疲れているなら「心が限界」のサイン。
楽しい時も苦しい時も、ずっと一緒にいたのは『自分』。 無理して笑ってたこと、もう頑張りたくないのに耐えたこと、当時の本当の気持ちを知っているのも自分。あなたを本当に理解できるのは、あなただけ。 今はまだ、好きでも嫌いでもいい。 「そんな自分もまぁいいか」と、自分で認めてみる。
世間一般のストレス解消法で『逆にストレスを溜める』人が増えている。 「察する」が得意な人ほどそうなりやすい。会話で気を遣うから、ストレス解消で遊んだつもりが逆に疲れる。気分転換に外出したつもりが、色々なものが気になり息抜きにならなず落ち込む。 「一人で何もしない」が必要なこともある
ACは、人を信頼することに抵抗・恐れを感じやすい。 過去、心を守るために信頼しない方が良いと学んだから。 あなたが疑い深いわけでも、考え過ぎでも、おかしいわけでもない。信用して裏切られた時の悲しみを誰よりも知っているから、極度に警戒するだけ。 あなたが人を信じる能力はちゃんとある。
子どもの頃に抑えてきた感情が、大人になって溢れ出ることがある。 親を気遣ってきた人ほど「怒り」が強く出やすい。自分でも怖いほど憎しみや怒りが膨らむこともある。 これが本当の自分なのでは…と怖くなるかもしれないが、違う。 過去に耐えて抑えたものが大きいほど、その反動も大きい。
家族の中で孤独を感じていた人ほど、集団に苦手意識を持ちやすい。 性格のせいではなく、過去の経験がリンクして心に壁をつくる。 ふと疎外感に襲われ、空気のように扱われて話に入れてもらえないと感じる。自分だけのけ者のような居心地の悪さを感じる。どうせ私なんていなくても一緒なのではと。
誰にも邪魔されることなく、1つのことに集中して黙々と取り組むのが好きな人がいる。 「何を考えているか分からない」などと勘違いされやすいが、人嫌いなわけではない。 こういった人が学校や職場など、組織の中に押し込められると窮屈さを感じる。集団行動ありきの社会は、とにかく疲れてしまう。
明日、1か月後、1年後…先のことを考えるほど人は不安になる。それは未来が「分からない」から。 脳は、分からないことに不安を感じやすい。だから不安が恐怖を呼び、ネガティブな未来を想像させる。 大丈夫。あなたが考えすぎというわけじゃないからね。 まずは「今」どう過ごすかだけ考えよう。
母親が子どもに話す父親の愚痴は、子どもにとっては間接的に「自分への批判」となる。 子どもは「両親の特長を受け継いでいる」、という感覚を持つから。表に出さずとも、心が深く傷ついてしまう。父親が母親について話す場合も、同様の影響を及ぼす。 親が子どもに言うべきではない話題がある。
親は、子どもが望むことをしてあげたい、意思を尊重したい、ありのままを認めてあげたいと思う。完璧にできないとしても、『そうしたい』という気持ちを持っている。 だがACの親は、あれをしてほしい、これをしてほしい、ありのままの私を認めてほしいと思っている。子どもから与えてもらおうとする。
自分の気持ちを出すことに抵抗を感じる人がいる。 「私はこうしてほしい」「私はこう思う」と伝えられず、「どうしてあの人は」「○○してくれない」と心の中で葛藤する。直接言えないが、頭の中で戦い続けてしまう。だから疲れる。 支配的だったり、意見を言いにくい家庭環境で育つとそうなりやすい。
「幸せになりたいのに、幸せになれない」と悩むことがある。 「いつもと一緒」を選んでしまうのが人の習性。 だから「私なんて」「価値がない」「魅力がない」という気持ちを抱えていると、『もっと幸せになる新しい選択』が難しい。 無意識に幸せにならない方を選ぶ。幸せだと感じると怖くなる。
問題が起こると「私、何かしたかな!?」と焦る人がいる。 子どもの頃になんでも自分のせいにされた経験から、「悪い事=自分のせい」と心のどこかで思い込んでいる。他人の失敗でさえ、やらかしたかも…と不安になる。 自分に責任がないと分かっていても何かしなきゃと心が焦り、落ち着かない。
自分のことを話すのが苦手、という人がいる。 子ども時代、何らかの事情で「自分の主張や感情を隠さなければならなかった」人に多い。 「また心が傷ついてしまうかも…」という恐怖から防衛機制が働き、ありのままの感情を出すことをやめてしまう。そうしているうちに、自分の気持ちがわからなくなる
イライラしたり、モヤモヤしたり、うまくいかなかったり…不安な事ばかり頭に浮かんで、気付いたら一日が終わってる時があるかもしれません。 でも「こんな自分ダメだ」なんて責めないでね。 だってそれは「疲れたよー」という心からのSOSだから。 こんなになるまで、あなたは頑張ってきたってこと。
自分軸がない、自己肯定感が低いと悩む人が増えている。 「自分なんて」と卑下して自分に厳しくなりすぎたり、「価値があるならこんなに苦労しない=自分に価値がない」と追い込まれる。 励まし、応援、あなたなら出来るという信頼が不足したまま大人になるとこのような葛藤を抱えてしまう。
体調が悪くなると、自分を責める人がいる。 「皆はできているのに」と自分を責め、倒れてしまうほど頑張ったのに「自己管理できてない」と落ち込む。 他人には優しい言葉をかけられるが、自分にはとても厳しい言葉を投げかける。 子どもの頃、自分を労わることを教えられていないとそうなりやすい。
「何を考えているか分からない」と言われる人がいる。 多くの場合、色々な事を感じ取って考えている。 それを言葉で表現するのが苦手だったり、理解されず傷つくことの苦しさを知っているから言わないだけ。 自分の考えを否定されがちだったり、本音が言えない環境で育つとこの傾向が出やすい。