毒親、モラハラ、パワハラをする人達は「誰から見ても酷い人」なのではない。それどころか、いい人に見えることも多い。だから被害者の訴えが周囲に理解されない。 彼らは怒りをぶつけていい相手と、ぶつけない方が良い相手を選んでいる。彼らが怒りをぶつけるのは『自分を攻撃しない優しい人』だけ。
ドアを乱暴に閉めたり、大きなもの音を立てたり、ドン!と荷物を置いたりされることがある。 家庭が安全地帯だった人は「何か嫌なことがあったのだろう」と思える。 でも、子どもの頃から「親が怒っているのは私のせいかも…」と自分の原因を探してきた人ほど、過去とリンクして恐怖を抱く。
怒った時、不安な時、怖い時… 胸に手を当ててみると心臓はドクドク、呼吸は浅くなる。心も体もガチガチに緊張して、臨戦態勢に入るんです。 そんな時に備えて、何でもない時にゆっくり深呼吸しておきましょう。こういうのは慣れだから練習しておく。 呼吸が深くなり、だんだん落ち着いてきますから。
「しなきゃダメ、本当はしたくない」 「やってみたい、だけど無理」 このような葛藤を抱えると、相反する気持ちが綱引きするように身動きが取れなくなる。 物理的に何も行動していなくても、寝ているだけだとしても、四六時中考え続けると心は疲れていく。 慢性的な疲れは甘えじゃない。理由がある。
「した後悔」と「しなかった後悔」がある。 一般的には「しなかった後悔」の方が悔いが残りやすい。どうせなら「した後悔の方が良い」という考え方もある。 しかし、過去誰かから酷く責められたなど「した後悔」があまりに強く心に刻まれている場合、「しなかった後悔」を上回る。やる気を削がれる。
自分らしさが分からない人がいる。 「大人が考えるいいこ」を演じ、認められようと頑張ってきた人に多い。(出来たかどうかは関係ない) 今の自分が誰かの求めている自分像なのか、演じている自分なのか、何が本当の自分なのか分からない。 自分が感じている感情でさえ、本物かどうか疑ってしまう。
人は自分に出来ない事は、悩まないんですよ。ジェット機を買うか悩まないのと一緒。 「なんで出来ないんだろう」と悩むのは、「本当は出来るかも」と心のどこかで知っているから。過去に言われた「あなたは出来ない」がブレーキをかけているだけ。 たくさん悩むあなたには、可能性がたくさんある。
アダルトチルドレンは、人との距離感に悩む。 相手に依存され過ぎたり、警戒しすぎて壁を作ったり、信頼できる相手に心を許しすぎてしまったり… 急に距離が近づくと怖くなり自ら関係を断つ事もあれば、酷い部分をわざと見せてしまい相手が離れていくこともある。 自分をどこまで見せていいか悩む。
休みたいのに、休むと罪悪感に押しつぶされそうになる人がいる。 子どもの頃から「頑張ること」を求められた人に多く、何もしないと落ち着かなかったり、頑張らないと自分の価値がなくなるように感じて怖い。 心の中で、焦らされ責められ急かされる。 勘違いされやすいが、自意識過剰ではない。
自分を受け止めてもらえる環境で育った人は、世の中には味方がいると感じる。 だが逆の環境で育つと、世の中は敵だらけだと警戒しやすい。 それは人間関係のベースが親子だから。 初めて触れ合う世の中が家庭だから。 親子関係や家庭環境が、世の中や人間関係のイメージにダイレクトに結びつく。
「なぜこんなに考えすぎるのか…」と落ち込むことがある。 相手の表情や仕草から察するのが得意な人は、受け取る情報量が多いから必然的に考える量が増える。親の顔色をうかがわなければいけなかった人は、この傾向が強い。 特に幼少期にミスが許されなかった人は、失敗しないために思考を巡らせる。
動けるなら休んじゃダメ、楽しちゃダメ、迷惑かけちゃいけない、こんなことで休むなんて怠けでは…と苦しむことがある。 本当は動けなくなる前に休んでいいし、休んだ方が良い。 だが頭で理解できても、過去の影響が「そうさせないように」強力に働く。努力を求められ続けた人が抱えやすい傾向の1つ。
子どもの頃から「ダメ」をたくさん植え付けられていませんか? その「ダメ」のおかげで救われることもあるけど、「ダメ」が多すぎると生きづらい。自分らしさを奪われるから。 そんな時は「ダメ」を「ダメじゃないかも…?」に変えてみてね。 少し緩めるだけなのに、かなりラクになるから。
医師やカウンセラーに、親に抱える気持ちを打ち明けた時。 「家族なのだから」と言われ自責したり、「あなたが大人になるべき」「話し合ったらどうか」と諭され、二重に苦しむことがある。 でも違う。 そもそも話せば分かるような相手なら、あなたはここまで心に傷を負っていないのだから。
「人のせいにしているだけかも」と苦しくなる人は、むしろ一人で責任を背負いすぎている人。 「努力が足りない」と自分を責めてしまう人は、既に頑張っている人。出来た部分を認めてみる。 「甘えているのかも」と悩む人は、むしろ逆。甘えていたら、そんなこと思わない。実は、もっと頼っていい。
「今日は、○○しかできなかった…」と落ち込むのは、もっと頑張りたいと前を向いているから。 でもね。 「○○しかできなかった」は、「○○できた」ということなんですよ。 朝起きて何も出来なかった…「朝起きられた!」です。 出来ないところを否定するだけじゃなくて、出来たところも認めてね。
仕事、育児、家事、会話、SEX・・・ 「私なんて」「どうせ」と思っていると、相手に嫌われないために無意識に行動してしまう。 自分がしたい事ではなく、相手が望むようなことを叶えようと必死になる。 その結果、自分ばかり与え続けることになり「私ばかり」という不満や疲労を抱えたままになる。
笑顔で対応、いつも優しく誰かのために率先して動き、尽くす… 愛されるために「本当はしたくないこと」でさえ頑張ってしまい、疲弊する人が増えている。 これは自分のダメな部分を補うことで嫌われないようにする「補償行為」によるもの。 自分に自信がない人ほど、頑張りすぎて疲れ果ててしまう。
普段穏やかな人が、安心できる人の前で別人のようになることがある。 この人なら受け入れてくれるかもという期待、いつか離れていく恐怖から「早く別れよう」と思うこともある。本当は失いたくないが、その人の前でだけ嫌な部分を曝け出してまう。 親を信じきれず、甘えられなかった人に多い傾向の1つ
心の奥底に「怒り」を抱えているアダルトチルドレンは多い。穏やかに見える人の場合、怒りが爆発して怒鳴ったり泣き叫んだりした時に「自分は酷い人間なのか」と戸惑う。 でも違う。 愛され認められたかったという思いと、怒りや悲しみは隣り合わせ。 過去に抑えたものが大きい人ほど怒りも大きい。
他人から「過去は忘れて前に進むべき」と言われ、悩み苦しむことがある。 許せない自分は冷たい、酷い人なのでは…と思うこともある。 でも他人はあなたが見たもの・感じたもの・耐えたものを全て知らない。 だからこそあなたがまず許すべきは、相手ではなく「許せないと思う自分自身」でいい。
あなたが弱いから、そうなったのではない 努力が足りないから、そうなったのでもない こんな性格だから、そうなったのでもない 痛みや不調は、体からのSOS。 つい我慢してしまうあなたに、ストレスが溜まってるよ、疲れてるよ、もう無理だよ、と教えるサイン。 今日まで頑張ってきたんだよね。
苦手な音(ため息・舌打ち・大きな物音)を出し続けられたり、「皆あなたを嫌っている」と嘘を吹き込んだり、「普通じゃない」「あなたはおかしい」という否定的な言葉を浴びせ続ける行為が精神的DVの一種『ガスライティング』 こんな事を日常的に受けていたら、どんな強い人も心が壊れてしまう。
「これくらいで仕事を休んじゃいけない」と追い込まれ、苦しむ人が増えている。 行けないのも辛いが、行けるからこそ辛いこともある。 行ったら行ったでそれなりにやり過ごせてしまうから、疲れが取れない。 「限界が来る前に休んでいい」と幼少期に教えられていない場合、行けなくなるまで休めない。
「やめちゃダメ」「弱いのはダメ」と思うと、しんどいし苦しい。 「やらなきゃ」「変えなきゃ」に押しつぶされそうになるから。 そんな時は「○○してもいい」と思ってみる。 現実にはあり得なくても、試しにそう思ってみるだけでいい。ガチガチに固まった心の緊張がほぐれて、ちょっぴりラクになる。