優しくて我慢強い人も、人間だからどこかで限界がくる。 ギリギリまで耐えるからこそ、心が破裂する。人が変わったように怒鳴り散らしたり、物を壊したり泣き叫んだりする。 これが本当の自分なのでは、嫌いなあの人と同じではと怖くなるが、それは違う。 過去に抑えた感情が多いほど反動は大きい。
ACかも?毒親かも?機能不全家族なのかも… 気付いて調べ出すと、もっと酷い環境で生きてきた人を知り「私は大したことない」「もっと酷い人がいる」と思う事がある。明らかな虐待を受けてないとそう感じやすい。 でもその思考こそが影響の1つ。生きづらさの原因。 心の傷は目に見えないだけ。
「八方美人」「誰にでもいい顔をする」と非難されることがある。 でも実のところ『好かれるため』ではなく、『嫌われないため』にそうしていることが多い。相手を傷つけないため、不快にさせないために、丁寧に言葉を選んでいる。 自分が得するためにそうしているのではない。
断われない、嫌と言えないと悩むことがある。疲れているのに笑顔で話を聞く。 そんな自分を責める必要は無い。本当は「出来ない」のではなく、無意識に「そうしない」を選んでいる。 共感してもらえることの大切さ、話を聞いてもらえない辛さを知っているからこそ、相手を拒否することに躊躇う。
今までと違う『新しいもの』を作るためには、古いものを壊さないとダメなんです。 でも、今まで積み上げたものが無駄になることはないから、安心して。 悩んだことも知恵も経験も、全部「これからのあなた」に繋がる。 あなたならきっと、大丈夫。 迷うってことは、できるかもしれないことだから。
暴力やネグレクト、酷い言葉を浴びせられた人だけがアダルトチルドレンになるのではない。家庭内がいつもピリピリしていたり、親の態度から「愛されていない」「私なんていなくてもいいんだ」と感じ取る場合も同様の傷を負う。 まだマシ、もっと酷い人がいる、これくらいで…と思う必要は全くない
断われない、他人優先、人との距離感に悩む… ACと、そうではない人が抱える悩みは同じものが多い。 でもその傷の深さが全然違う。 ありのままの自分を受け止めてもらう時期に親を受け止め、自分を大切にすべき時期に親を優先し、「与えられるはずのものを自分で身に着けていく」過程はあまりに重い。
しんどい時こそ、いつも以上に笑顔で頑張る人がいる。 気付いて欲しいけど、気付かれるのが怖い。だから心配をかけないように、怒られないように、弱さにつけこまれないように、周りがあなたの辛さや限界に気がつかないほど完璧に演じる。 本当に辛い時、頼れず助けてもらえなかった過去が尾を引く。
一見幸せなカップルや幸せな家族の裏に、たった一人の犠牲者が隠れていることがある。 そういった「表面上の幸せ」は、その子が色々なものをぶつけられ、引き受け、耐え、我慢することでギリギリ保たれている。その子の辛さは、家族さえ知らない。知ったところで受け止めてもらえない。それがACの辛さ
アダルトチルドレンは、ちょっとした指摘を「自分への批判」と受け取りやすい。「どうしてそう思うの?」という質問が、自分への否定に聞こえてとっさに反発する事もある。 性格が捻くれているのではない。 批判されることの多かった幼少期がそうさせる。心を守るため、無意識に裏を読みすぎる。
怒っている自分が嫌になったり、イライラ続きで苦しくなった時は、怒っている相手ではなく『怒っている自分を許す』。 怒りの状態が苦しいのは、怒る事に罪悪感を持っているから。嫌いなアノ人がよぎったり、自分が嫌な奴に思えるから。 「怒って当然。怒るほどのことがあった」と一旦受けとめてみる
疲れたら休めばいいし、甘えても良いし、一人じゃ無理と思ったら助けてもらってもいいんですよ。 「そんなことできない」と思っても良い。 その代わりに、「できない」と思う自分を認めてね。できないのにも、ちゃんと理由がありますから。 もう十分頑張っているのに、自分を否定しないこと。
・イエス、ノーを言えない ・嫌なのに断れない ・したいことが分からない ・ワガママを言えない ・平気じゃないのに「大丈夫です」と言う ・幸せにしてくれそうな人ではなく「大切にしない人」を選んでしまう 子供の頃、大人に迷惑をかけないよう我慢した経験が多いと、このような悩みを抱えやすい。
「元気だった?」と聞いてきたのに、あなたの話は聞かず自分の話を始める人がいる。 「最近どう?」と気遣うフリをしながら、自分の不平不満をあなたに延々と聞かせる人がいる。 その人から離れた方が良い。 それが難しいなら、ちゃんと聞かずに心を守る。余計なアドバイスをされても聞き流していい。
理想的な環境で育った人は、「まだそんなこと言ってるの?」と言うかもしれない。 でも、大人になってまで影響を与えるのが家庭環境。 子どもが最初に所属する社会が、家族。 家族の中の自分の在り方が、世の中に出た時の自分にリンクする。家族を信じられなければ、世の中の人を信じられなくなる。
朝起きて「今日も生きてる。幸せ!」と感謝する人がいる。 その一方で、「また朝がきた…」と朝から辛い気持ちで包まれる人もいる。 「20年後は○○する!」と希望を持つ人がいる。 その一方で「あと20年も生きなきゃいけないのか…」と絶望する人もいる。 家庭という土台はそれほど大きな差を生む。
「なんのために頑張ってるんだろ」と虚しくなるのは、あなたなりに今を生きているから。 そこから逃げ出したくなるのは甘えじゃないよ。 その環境が、その人が、あなたに合わなかっただけ。 あなたが弱いんじゃない。 世の中のストレスが強すぎる。
「あなたなら大丈夫」と励まし応援されて育てば、「できる」という自信や折れない心が育つ。何があっても帰れる場所があり、信じてくれている人がいるという心強さは大きい。 でも「出来ない」「どうせ無理」と自分に不利な思い込みを植え付けられていると、本当にそうなってしまうことさえある。
相手から頼まれていなくても、「しなきゃ」と追い込まれることがある。 子どもの頃、家族のために頑張ってきた人に多い傾向。 「余計なお世話」「やらなければいい」と指摘されたり、自責しまうこともあるが、過去の影響から強要されたのと同じ精神状態になっているから「やらなくていい」が難しい。
メール(LINE)や電話が苦手という人は、それなりにいる。 でも「相手の反応が気になる」人の場合は深刻度が違う。苦手を通り越し体力を奪われる。 返事のタイミング、スタンプの種類、雰囲気、性格…相手の反応を予測するからとにかく疲れる。 失敗が許されない環境で生きてきた人ほどベストを探す。
「あの人のために何が出来るかな」「助けたい」「支えになりたい」という、やさしいあなたへ。 その人に、「ありがとう」を伝えてあげてください。「私はここに居ていいのだ」と思えるように。 「助けてくれてありがとう」「傍にいてくれてありがとう」と、たくさんたくさん伝えてあげてください。
過食症、拒食症、パニック症状、うつ状態、性依存、アルコール依存症、不眠、過眠… これらの精神身体的症状は、幼少期の虐待経験が引き金になりやすい。 殴る蹴るだけが虐待ではない。 人格否定的な態度、傷つける言動、本人の自由を奪うようなコントロールなどの心理的なものも同様に影響を及ぼす。
家族を大切に想い、自分のことより家族を優先し、家族のために尽くしてきた人ほど、誰かが求めている「自分像」を演じるのが得意になる。 これは初対面の人と仲良くなるのが得意なACに多くみられるが、彼らは人と親しくなるのが怖い。 その人の為に演じた自分像と「本当の自分像」との違和感に苦しむ。
「辛そうな人を見ているのが、辛い」と感じることがある。 相手の辛い気持ちが「まるで自分の気持ち」のようにダイレクトに入ってくる人は、いたたまれない。 辛さが分かるからこそ「助けてあげたい」と思うこともある。 幼少期に大人を助けてきた子ほど、「しなきゃ」と責任や焦りを感じやすい。
誰かに対し、違和感を抱くことがある。「あれ?なんか苦手…」という小さな違和感は、たいてい当たる。 だが子どもの頃に受け入れてもらった感覚が少ない人ほど、「気のせいかも」「悪い人じゃないから」と目を瞑ろうとする。自分を利用する人でさえ「嫌いになってはいけない」と本音を封じてしまう。