親に「見守ってもらっている」のは、安心感がある。 親が味方だから。 だが、親に「見張られている」のは苦しい。 そもそも自分を信じてもらえていない、認めてくれていない、監視されているから自由に動けない、批判されるかも…という不安や恐怖が付きまとう。 自分で決断することさえ怖くなる。
愛情を受けて「いいこ」になる子がいる。 心が満たされてそうなる。 一方で、愛情を受けるために「いいこ」になる子もいる。 心を満たすために、誰かに認めてもらうために、相手が離れていく不安や恐怖から、自分の気持ちを抑えて「いいこ」になる。 この場合の「いいこ」は、自分を苦しめてしまう。
「急がなきゃ」という思いを抱えたまま、大人になることがある。 相手が良い意味で言った「マイペースだね」が、「遅い」「早くしろ」という指摘に聞こえてしまう。 「丁寧だね」という誉め言葉でさえ、「遠回しに遅いと言ってる?」と感じることもある。 子どもの頃に親が言った言葉は、心を縛る。
いつもより満員電車がしんどかったり、イラッとしたり、誰かの言葉にカチン!ときたり… いつもより色々なことが気になるようになったら、脳が疲れているサイン! こんな日は、イライラする自分を責めないでね。 感覚刺激の8割は目から入るので、数分目を閉じるだけでも少し疲れが軽減されますよ✨
「他責では、幸せになれない」と言われることがある。 だが、これまで必要以上に自責してきた人たちには「いったん他責にする」が必要なことがある。 自分が分からなかったり、自分なんてと思ったり、自分のために動けないなら、「実は自分のせいではなかったこと」を見つける過程が必要となる。
楽しく過ごしていても、ふと不安になることがある。 「今は楽しいけど、明日は仕事だ」「今は一緒にいてくれるけど、いつか離れていくかもしれない」と。 過去の「嫌だった記憶」がそのまま残っていると、不安になりやすい。 頭の中の過去が不安を膨らませているだけで、あなたの性格のせいではない。
こんなに頑張っているのに。 こんなに気を遣っているのに。 こんなに我慢してくれるのに。 こんなにしているのに、誰も自分を受け入れてくれないと感じることがある。 「そのままの自分では誰にも愛されない」という思いが過去に植え付けられていると、何をどれだけ頑張ってもダメに感じてしまう。
自己肯定感が低い、と自分を責めてしまう人がいる。 だが、生まれながらに自己肯定感が低い赤ちゃんはいない。「自分なんて」と思っている赤ちゃんも、いない。 「自分なんて」と思ってしまうに至る過程がある。 性格のせいではないし、そもそも自己肯定感が低いのはダメということもない。
頑張れない時は「どう頑張るか」ではなく、「どうやったら頑張らずに済むか」を考える。 減らせる家事はないか、やらなくても何とかなることはないか、手を抜けるものはないか探す。 愚痴を聞くか迷ったら「聞かない」、自炊か総菜で迷ったら「総菜」という具合に。 初期に休んだ方が、回復は早い。
いじめられる方が悪い、なんてことはない。 相手をいじめて攻撃するかどうかは、「相手が自分で決める」のだから。いじめると決めたのは相手で、あなたが決めさせたのではない。 あなたが何か変えなきゃいけない、なんてことはない。 あなたはそのままで、環境を変えるだけでいいのかもしれない。
「やる気が出ない」なんて、落ち込まなくて大丈夫。それが普通だから。 やる気は、やりはじめると出る。 だから、とりあえずやってみる。やってみて、考える。 やる気のスイッチを押すのは、あなたです。 動けない時は休みましょ。 そんな日もあるし、そんな日が続くこともある。まずは回復最優先!
親の理想を押し付けられることが多いと、「ありのままの自分は愛されない」と感じ取る。 ○○すれば認められる、つまり「ありのままの自分ではない方が認めてもらえる」と、無意識に思う。 子どもがその家で生きていくための生存戦略だから、この影響はとても強い。大人になっても影響を与える。
理不尽な思い出が、心にべったり貼りついてあなたを苦しめることがある。 「なぜ?」という疑問、「なんであんなことを」という怒りや悲しみが、頭の中で何度も再上演されてしまう。 その当時は理不尽さに気づかなかったり、無理やり納得したり、我慢するしかなかった時にそうなりやすい。
容姿の批判は、心に深い傷を残す。 冗談だとしても、ふざけていただけだとしても、些細な一言だとしても、心はズタズタに傷ついてしまう。 言った本人は覚えていないこともあるが、言われた方は一生心に傷を負う。 子どもの頃、親に言われたことに何十年も苦しみ、自分が好きになれないこともある。
親との問題に直面した時、「いつまで逃げるつもりなの?」と言われることがある。 だが逃げではなく、やっと自分と向き合えるようになった段階。 「子どもじゃないんだから」「向き合うべき」と言われることがある。 だが、向き合えないこともある。簡単に向き合える相手なら、こんなに苦しんでいない
あなたは頑固なのではなく、 大人の言う通りにならなかっただけなのかもしれない。 あなたがダメなのではなく、 大人の思い通りにならなかっただけなのかもしれない。 あなたはワガママではなく、 素直な気持ちを言っただけなのかもしれない。 幼い頃の人格否定は、大人になっても心に傷を残す。
子どもの頃から頑張るのが当たり前だった人の「これしかできなかった」「頑張れていない」は、そうではない人たちの「すごく頑張った」に近い。 「最低限のことしか出来ていない」と落ち込む人が多いが、実はそうではない人たちの「あれもこれもやってる」相当をこなしている。
あなたの言葉や行動を全否定する人から、「話し合おう」と言われたら要注意…! 『話し合う』の裏側には、「話せば私の言っていることを理解して、言うことを聞いてくれるはず」という思いが隠れてるから。 怖いかもしれないけど、責められても怒られても従わなくていいし納得しなくていいんだよ。
ACは、大切な人との関係を自分から壊すことがある。 好きなのに傷つけたり酷い部分を見せて、試し行動をとる。不安から、関係を自ら壊して「ほら。こんな私なんて好きになる人はいない」と妙に納得することもある。 でも本当はそんな部分も含めて受け入れてほしい。だけど、受け入れられるのも怖い。
誰かのワガママにイラッとくることがある。 心が狭いのでは、こんなことでイラッとするなんて…と自分を責めてしまうことがあるかもしれない。 ワガママにイラッとくるのは、子どもの頃からずっとワガママを抑えてきた人。我慢してきたからこそ、気付いてしまう。 あなたがずっと頑張ってきた証。
誰かを喜ばせても良いし、喜ばせられなくても良いし、喜ばせる方法が分かっても「あえてしない」時があっていい。 気の利いたことを言っても良いし、言えなくてもいいし、言えたとしても「言わなくても」いい。 つい気を遣ってしまう人は、できても「しない」時があっていいし、あった方がいい。
他人のことばかり気になるとしても、どう思われているのか不安だとしても、そんな自分を否定する必要はない。 「色々気になる」からこそ、あなたの気遣いや優しさは磨かれたのかもしれない。 「いつも不安」だからこそ、できるようになったこともあるはず。 悩んでいる時点で、あなたは頑張っている。
親を助けたい、親に笑ってほしい、そう思って頑張ってきた子どもほど、『親の表情や様子』をよく観察するようになる。何十年も一緒にいれば、自然と察するスキルが磨かれる。 大人になると、その対象が他人にも広がる。 生まれながらに察する力が高い人もいれば、成長過程で高くなることもある。
親を助けたいと思って、子どもなりに頑張ることがある。 だが子どもだから当然、できることは限られる。 逆効果になったり、怒られたり、失敗したりする。この時、責任感の強い子ほど助けられない自分を責め、自分に無力感を抱きやすい。 これが、「何をやってもダメだ」と思うきっかけのこともある。
自分の好きな所と嫌いな所、どちらが多く答えられますか? 嫌いな所の方がたくさん出てきませんか?中には「好きな所なんてない!」という人もいるかもしれませんね。 そんな時は、嫌いな所に「だからこそ」を付け加えてみる。 嫌いな所から、あなたの強みや魅力が見つかることがありますから。