「強くなきゃダメだ」と自分を追い込んでしまうことがある。 こんなことで傷つく自分を変えたい、弱い自分は嫌われる、愛されない、本当の自分を知られるのが怖いと思うこともある。 誰かからの一言がきっかけだったり、「しっかりしなきゃ」と頑張ってきたり、実年齢以上にしっかり見える子に多い。
「なんとなく」「~な気がする」といったハッキリしないものや、イライラ・モヤモヤといった感覚には、『過去』が関わっていることが多い。 「嫌なこと」が起こると、完治していない古傷の上から、さらに傷をつけられてしまう。 今ついた傷そのものというより、過去の傷が疼くことで痛みが強くなる。
「人のせいにしているだけでは」と苦しくなる人は、むしろ一人で背負いすぎている人。 「甘えなんじゃないか」と悩む人は、その逆。もっと人に頼っていい人。 「何で頑張れないんだ」と責める人は、既に十分頑張りすぎてしまった人。 考え悩んでいる人で、本当にダメな人は見たことがないからね。
誰かが不機嫌だと「自分が、何かしたのでは…」と不安になったり、誰かが疲れていると「私がもっと力になっていれば…」と落ち込むことがある。 子どもの頃から家族のために動くのが当たり前だった場合には、相手の不機嫌に気付いた時に「出来ていない自分を責められている」ように感じることもある。
「私は私でいい」と思うか、「このままの私ではダメ」と思うかは幼少期の親との関わりが影響する。 後者の場合、誰かに好かれる為に自分の気持ちを抑える。憎しみや怒りを知られて嫌われないように抑え込む。 だが、抑え込んでも気持ちは消えないから、次第に相手と頭の中で戦うようになってしまう。
他人にイライラする、不満や怒りが抑えられないと悩む人がいる。 だがイライラする自分が嫌だったり、怒ったことに後悔したり、「あースッキリした!」と思わないのなら、あなたの性格が怒りっぽいのではない。 自信のなさや不安から「攻撃された」と感じ、防御のために怒りを使っている可能性がある。
いい子でなければいけない、優れてなくてはいけない、ワガママを言ってはいけない、と自分自身を追い込んでしまう事がる。 誰かと比較されたり、できた時だけ褒められたり、従順でなければいけないなど、子どもの頃に「そうでなければ愛されない」ということを無意識に感じ取っているケースが多い。
「私は性格が悪いんじゃないか」 と悩む人がいるけど、本当に性格が悪い人はそんなに悩まないんですよ。悩んでいる時点で、あなたは違う。 まだ自分を好きになれなくてもいい。 だけど「こんなに悩んでるんだから、そんな悪い奴じゃないかも」と、自分の味方になってみる。その方がきっと楽だから。
いい人でいることに、疲れたりイヤになる人が増えている。 そんな自分を責める必要は無いし、「イヤになるほど頑張った」と褒めていい。 いい人でいるためには、時間も体力も気力も使うのだから。 子どもの頃に十分愛され認められた経験がない人ほど、「いい人をやめる」ことに恐怖を感じてしまう。
「認められていない」という思いが強いと、認められる為に頑張りすぎてしまうことがある。 「大事にされていない」という思いが強いと、誰かの言動や行動に「バカにされている」と腹が立ちやすい。 子どもの頃「欲しかったけど得られなかったもの」が、今の生きづらさに関係しているのかもしれない。
目の前の人はあなたを責めていないのに、責められているように感じることがある。 目の前の人は好きだと言ってくれているのに、そんなわけないと思うこともある。 心の中で、過去の親とのやり取りが再生されているのかもしれない。 例えば親に責められ続ければ、人から責められるのが当たり前になる。
自分の本心ではなく、「これを言ってほしいだろうなぁ」「こうしてほしいんだろうなぁ」ということを言ったり、したりして後悔することがある。 その場では「それがいい」と思って行動するのだが、あとになって後悔が出やすい。 子どもの頃に「親にしていた」ように、反射的にそうしてしまう。
あなたが勇気をもって相談した時。 「そんなの大したことない」「私の方が大変」とマウントを取られることがあるかもしれない。 でも、苦しさや辛さに、大きいも小さいもないんだよ。 だから「もっと苦しい人がいる」なんて思って我慢しないで。あなたが嫌なら嫌だし、辛いものは辛いでいいから。
親が「ありのまま」を受け入れてくれなかったり、「できること」を求めすぎた場合、他人にも同じようなものを感じ取ってしまう。 他人が本当に「ありのまま」を受け入れてくれていても、信じられない。信じたいが、なぜか怖い。裏があるのではと疑ったり、そんな自分に罪悪感を抱くこともある。
辛くて苦しくてどうしようもない時、「逃げる」「離れる」「辞める」が必要なことがある。 その場で踏ん張って乗り越えらえられることもあれば、どうしても乗り越えられないこともある。自分を責める必要はない。 その人・その環境が合わないだけで、次の人・次の環境でうまくいくかもしれない。
他人を優先しすぎる、意見が言えないといった悩みの裏に「価値が欲しい」「必要とされたい」という思いが無意識下で働いていることがある。この場合「○○しない」がとても難しい。 幼少期に「私には価値がないのでは」「いてもいなくてもいいのでは」という底知れない不安を抱いていることが多い。
過去の影響で、「いつも緊張している」人が増えている。肩や首がガチガチに凝っていたり、頭痛が当たり前になっていることもある。 幼少期に夫婦喧嘩が多かったり、不意打ちで攻撃を受けたり、親の機嫌次第で怒られるなど気が抜けなかった人に多い。予測不能な事態に備えるため緊張しっぱなしになる。
子どもの頃、親に愛されるために「自分の欲求を我慢」することを覚えることがある。家族の平和を保つためにそうすることもある。欲しいものを求めることはワガママで誰かを困らせることだと思う。 その結果、自分より他人の欲求を優先するようになる。 自分の気持ちを素直に伝えることが怖くなる。
「つい引き受けてしまう」と悩むことがある。 相談すると「嫌なら断ればいい」と言われるが、そう簡単ではない。 断る罪悪感が強かったり、引き受けないうしろめたさが出る。こんな気持ちになるくらいなら辛くても引き受けた方がマシ、と思うこともある。 断われないあなたが悪いということは、ない。
後になって、怒りや悲しみが溢れ出ることがある。 もっと早く気付けばよかったと、後悔することもある。 だが、あまりに過酷な状況にいる時、人は正常な判断ができなくなる。その環境でやっていくために、これ以上傷つかないように思考を停止させることもある。 過去のあなたは、十分よくやったはず。
「いい人」になろうと頑張る人がいる。 そんな自分がイヤになったり、苦しくなったり、他人に利用されているようで腹ただしくなることもあるかもしれない。 「いい人」になろうとするのは、子どもの頃から家族のために努力してきた頑張り屋さんが多い。誰かを傷つけたくないという、優しい人も多い。
「何も続かない」と、自分を責めてしまう人がいる。 だが、性格の問題で続かないのではなく、「やりたいこと」ではなかったり、他人の価値観に影響されて「やったほうがいいだろうな」と始めただけなのかもしれない。 続かないことを責めず、「したくない」という自分の意思を尊重したと思っていい。
人間関係でストレスを抱えているかどうかを知るサイン ・その人と一緒にいる時の自分が好き? ・その人と会った後、妙にぐったりしない? 上記に当てはまるような相手がいるなら、今より少し離れるだけであなたはラクになれる。 一緒にいることそのものが、あなたのストレスなのかもしれない。
人には、生まれつき持っている素質がある。 だから同じ環境で育っても、子どもたちはそれぞれ違う性格を形成する。 だが、親の価値観を一方的に押し付けられることもある。 素質に合わない自分らしくないもの(=親の願い)を叶えようと頑張り続けると、大人になって「生きづらい」が膨らみやすい。
感情や思考のベースは、親子関係の中でつくられる。 例えば、失敗した時。 「悔しかったね」「悲しかったね」と共感してもらい、できたところを認め受け止めてもらえれば、「失敗しても良い」「失敗しても誰も自分を嫌い」にならないと学ぶ。 真逆のものが与えられれば、失敗することが恐怖となる。