「なんか疲れた」と思うことがある。 寝てもスッキリせず、ゴロゴロしても疲れが取れず、遊ぶ元気もなく、何をしても気持ちが晴れないことがある。 頑張りやの人ほどそんな自分を責めてしまうが、「なんか疲れた」は我慢の限界を知らせるサイン。 優しくて頑張りやのあなたに体が教えてくれている。
疲れるのは弱いからじゃない。 こんなに疲れるくらい色々なことを感じて、「どうしたらいいか」いっぱい考えたからこそ。 みんなに理解されなくても仕方ない。だってあなたが感じるものはみんなより多いし、考えるパターンも多いから。 だから堂々と「頑張ったー!疲れたー!」と思っていいんだよ。
人に何かを頼むのが苦手、という人は多い。 そもそも頼めなくてはダメということはないから、自分を責める必要は無い。 だが、責任感が強い人ほど「頼めない+やらなきゃ=無理してでも自分でやる」となってしまう。 そうまでして頑張ったというのに、疲れた自分を責めてしまうという傾向も強い。
なんとなく「しんどい」と感じることがある。 朝起きた時、既に疲れていることもある。 そんな自分を責めてしまう人は多いが、むしろその逆。 本当は自分を労って良い。 なんとなくしんどいのは、それだけ気を遣い頭を使っているからだし、朝起きた時疲れているのは「それほど頑張っている」から。
心が疲れ切ると『良い言葉』でさえ苦しくなる。 だから、そんな自分を責める必要は全くないよ。 我慢しすぎて「もう無理!」と心が教えてくれているだけ。性格が悪くなったわけじゃないから落ち込まないで。 少し休んで余裕ができたら『あなたにとって良い言葉』で心を満たしていこう。ゆっくりでいい
ボール飛んできた時に目をつむるように、反射的に「気遣い」が発動する人がいる。 子どもの頃から親に気を遣って生きてきた人に多い。 「気遣いが当たり前」になっている場合には、病院の医師に対しても気遣いが発動する。 しんどくても辛くても苦しくても、「いい患者」を演じてしまう。
人の役に立とうと思えたり、誰かを喜ばせたいと思えるのは、素晴らしいこと。 だが、「役に立たなきゃ」「喜ばせたい」があまりに強くなると、あなたを苦しめてしまう。 「私ばかりやってる」と不満が出てきた時は、頑張り過ぎのサイン。自分の時間や体力を犠牲にして、頑張りすぎている可能性がある。
トラウマ的記憶をハッキリ思い出せる人もいれば、ほとんど思い出せないことがある。 触覚・視覚・嗅覚が刺激された時に、身体が無意識に反応することもある。 危険を感じたり傷ついた経験があると、その後長期にわたって無意識に警戒する。 「未だに囚われているなんて…」と自分を責めなくて大丈夫。
楽しい時も苦しい時も、ずっと一緒にいたのは『自分』。 無理して笑ってたこと、もう頑張りたくないのに耐えたこと、当時の本当の気持ちを知っているのも自分。あなたを本当に理解できるのは、あなただけ。 今はまだ、好きでも嫌いでもいい。 「そんな自分もまぁいいか」と、自分で認めてみる。
親に大切にされていても愛されていても、アダルトチルドレンになることがある。 共通点として、幼少期に甘えられなかったという点がある。 甘えてはいけないと思っていたり、甘えたくても方法が分からなかったり、拒否されたように感じたり、迷惑をかけてはいけないとブレーキをかけることもある。
怒りっぽい性格を変えたい、という人がいる。 だが怒ってもスッキリせず後悔するようなら、怒りっぽいわけではない。 あまりに我慢しすぎて爆発したのかもしれないし、本音を言えず怒るしかなかったり、悲しみや不安が膨らみすぎてしまったり、誰も自分を分かってくれなくて辛かったのかもしれない。
生まれながらに「いいこ」など、いない。 子どもの時に「子どもらしい自分」を認めてもらい、成長を見守ってもらえれば、大人になった時に自分を認められる。 だが、子どもらしく過ごせず、実年齢以上に我慢・出来ることを求められ続けると「ありのままの自分ではダメ」という思いが植え付けられる。
考えるのが苦手な人がいる。 グルグル悩むことは多いが、「自分の考え」や「どうしたらいいのか」について考えようとすると混乱する。何も出てこなかったり頭が真っ白になることもある。 幼少期に「お母さんの言う通りにやれば間違いない」と言われていたり、自分の考えや行動を否定された子に多い。
空気を読んだり、他人を優先するのがダメなのではない。 「できる」ならそれは素敵なこと。 だがやり過ぎると、苦しくなる。不満が溜まる。 できるからこそ、あえてやらないことがあっていい。 「やらなくても案外大丈夫だった」という経験が積み重なると、「できるけどしない」を選べるようになる。
これまで自分がしてきたこと、言ってしまったことを後悔することがあるかもしれない。自分を責めてしまう事もあるかもしれない。 だが、あなたは当時傷ついていて、分かってほしくてそうしたはず。 分かってほしかった何かが満たされなかったり、裏切られたと感じた時、人は攻撃的になることがある。
子どもの頃、親に「急かされた」感覚を持つ人がいる。 親に「待ってもらえなかった」感覚を持つ場合、大人になって他人を待たせることに強い恐怖や不安を感じる。 目の前の人に「早く」と言われていないのに、過去に親に言われた「早くしなさい!」が心の中で再生されて、無意識に焦りが出る。
「できてるよ」と褒められて戸惑うほど、「あなたはダメ」「まだまだ」と言われ続けてきたのかもしれない。 「すごいね」と褒められて戸惑うほど、叱られる回数の方が多かったのかもしれない。 「大好きだよ」と言われて戸惑うほど、今まで愛されてる実感が持てなくて不安だったのかもしれない。
「産まなきゃよかった」「仕方なく産んだ」という一言は、親側にどのような事情があったとしても子どもの心を傷つける。 生存否定のダメージを減らすため「傷ついてない」と思い込むケースもある。 ふとした時に「最初からいなければよかった」「産まれたことが間違いなのでは」と思うこともある。
「あなたのせいで」「あなたが悪い」「あなたが○○だから」 このようなことを言われ続けて大人になると、「自分は悪い」という思い込みが心の底に出来上がる。何かあった時に、「自分のせいかな…」と不安になる。 理不尽なことを言われたとしても、その言葉を無意識に受け入れて心が傷ついていく。
人に嫌われたくない、見捨てられたくないという思いが強いほど、「いい人」にならなければと背負いやすい。 いい人でいるのが、ダメなのではない。 でも、あなたが今苦しいのなら「いい人」として頑張りすぎているのかもしれない。あなたの心や時間、体力がたくさん犠牲になっているのかもしれない。
「ダメ」「そんなもの」「なんでできないの?」「普通は~」「あの子はできるのに」・・・ このような否定的な言葉を受け続けていると、「自分を否定する言葉」が心に溜まっていく。 大人になるにつれ、自分を否定しダメ出しするようになる。嫌だったはずの馴染みのある言葉を自分に向けてしまう。
怖くて言えなかったことがあるかもしれない。 勇気を出して言っても、「言わなきゃよかった」と後悔する結果になることもある。 分かってもらえると思って伝えたのに、相手に誤解され傷つけられることもある だが、必ず分かってくれる人はいる。 あなたの気持ちをなかったことにしないでいい。
疲れたのは、あなたなりに頑張っているから。 寝てただけ? 寝るのも予定の一部。それに、寝るのも体力使うんですよ。 特に何もしてない? だけど色々考えたでしょう?脳も体の一部。疲れるんですよ。 今日は「あ~疲れた」の代わりに、「あ~頑張った」と言ってみる。 疲労感が満足感に変わるから。
「みんな自分のことを分かってくれない」 「誰も認めてくれない」 …このような思いが根底にあると、「1人の方がマシ」「誰にも頼らず自分でやった方がいい」と背負いやすい。 そう思うのがダメなのではない。 だが、日々生き辛かったり不満が消えないなら「本当は分かってほしい」のかもしれない。
「でも」「だって」が口癖になることがある。 反発することで心を守り、なんとか自分の気持ちを保とうとする。 子どもの頃から、親にミスを許されなかった人に多い。 ミスした時に「そんなこともあるよ」と言われるのではなく、「何でそんなことしたの!」と怒られたり責められていることが多い。