人間関係を自ら壊して、後悔することがある。 「好き」の言葉を信じられず、いつか去っていく恐怖を感じる。相手を好きで理解したいのに、大切にしてずっと一緒にいたいのに、攻撃したり感情的になってしまう。 心の奥で「そのままの私は誰にも愛されていない」と不安を抱えているとそうなりやすい。
小さな失敗でとことん落ち込みすぎない方法。 「まぁ、いっか」と呟いてみる。すごく悲しくても、自分を責めそうでも、最後につぶやいてみる。 悲しくても怒っても落ち込んでもいいんだよ。 でも、ずっとそのままじゃ疲れちゃうもんね。 「まぁ、いっか」はあなたを早く立ち直らせる、最強の言葉。
自分のせいかも、悪口を言われているのかも、嫌われるかも… 無意識に次々と不安を探してしまう人がいる。 過去に「あなたが悪いんじゃないの?」「人のせいにしない」と自分を否定された経験が多いほど、そのような思考に陥りやすい。 ネガティブなわけでも考えすぎでも、真面目過ぎるわけでもない。
アノ人も大変だったのかもしれないし、事情があったのかもしれないし、悪気がなかったり、愛情の与え方を知らなかっただけなのかもしれないし、アノ人なりに愛してくれたのかもしれません。 だからといって、あなたが感じた寂しさや不安、傷ついたことを「なかったこと」にする必要は無いのですよ。
空気が読める、表情で分かる、声色で察する、声のトーンで見抜く…「分からなかったらどんなに楽だろう」と思うけど、どうやっても分かっちゃう人がいる。 『賢い人はバカなフリが出来る』という言葉があるように、分かるからこそ「あえて共感しない」で心を守る時があっていい。 それで十分だから。
悩みがなさそうに見える人がいる。 実は、悩みを見せないように相当頑張っている。深い悩みを抱える人ほど、だれにも相談できず一人で抱え込みやすい。 いつも笑顔の人もいる。 でも多くの場合は、悲しみや苦しみを笑顔で覆い隠している。心を元気にするはずの笑顔で、自分の心がすり減ってしまう。
「あなたのことを思って」と言い、あなたを否定し苦しめる人がいる。 あなたが話す事柄、性格、人間関係、価値観に至るまであらゆることに口を出す。 余計なお世話だと感じたとしても、拒否する自分は冷たい人間なのでは…と悩み苦しむ。 優しい人ほど「あなたのため」という言葉に縛られてしまう。
酷い虐待で育った人や苦労した人の話を見聞きして、「私はまだマシだ…」と思うことがあるかもしれない。 でも「こんなことで」「これくらいで」なんて思う必要はない。 暴力がなくても、普通の生活をさせてもらっていても、その人なりに愛してくれていても、心が傷つくことはあるのだから。
相手が黙っているだけで、とてつもない不安に駆られる人がいる。 「何か気に障ることを言ったかも」と自分の落ち度を探したり、「相手を楽しませなきゃ」と焦ってしまう。 「私と居ても面白くないよね…」と申し訳なくなったりすることもある。 気を遣ってばかりの家庭環境で育つとそう感じやすい。
「何もしていないのに、疲れた」と落ち込むことがある。 でも行動だけが『疲れ』に繋がるわけではない。 寝ていたとしても、やらなきゃいけないことが出来なくても、ボーッとしていても、スマホを見ていただけでも疲れることはある。 不安や考えごとがあると、行動する以上にエネルギーを使うから。
「こんな私だけど愛してくれる?」と試し行動をとることがある。 「どうせいつか離れていく」「こんな私を好きなわけがない」と不安を感じ、自ら関係を断つことがある。 心の内側では「こんな私も含めて受け止めてほしい」と願うが、「ありのままの私ではダメだ」という思いがブレーキをかける。
そんなことで傷つくの?、冗談なのに、つまんない、気にしすぎ、考えすぎ、真面目すぎ… このように言われ続けて育つと、「どの気持ちは出して良くてどの気持ちは出しちゃダメなのか」苦しむ。 自分の感情を疑うようになる。本当の気持ちが分からなくなる。 「自分自身がよく分からない」に繋がる。
いつも頑張らない人がたまに頑張るだけで、褒められる。 でもいつも頑張ってきた人が、たった1回頑張るのをやめたら「なんでやらないの?」と呆れられ、「ちゃんとやれ!」と怒られてしまう。 だからいつも頑張っている人ほど、休むのが怖い。 周囲が与える無意識の圧力が「休めない理由」をつくる。
普段穏やかな人が、急にキレることがある。 これまでニコニコ耐えてきたけど抑えられなくなったり、恐怖や不安から身を守るため反射的に攻撃することもある。そこに相手を傷つけたくて怒る意図はない。 周囲から見れば「突然」だが、本人にしてみれば「我慢の限界」である。そこまで耐えたのだから。
子どもの頃から甘えられず頼れず、他人を信じられないまま大人になると、大切な人との関係を自ら壊してしまいやすい。 自暴自棄になる、愛情を試す、わざと酷いことをするなど試し行動をとることも。 大切だからこそ失う怖さが膨らみ、「どうせ皆離れていくんだから、自分から離れてしまえ」と思う。
なぜか不安になったり、なぜか落ち着かなかったり、なぜか苦手だと感じることがある。 「なぜか」には、過去が関係していることが多い。 過去の嫌だったこと、傷ついた言葉、傷つけられたこと、苦手な人のタイプ、行動、しぐさ… これらが、『目の前の現実』とリンクして不安や恐怖を増幅させる。
つい酷い事を言ったり、誰かに八つ当たりしてしまうことは誰でもある。でも健全な心があれば、後悔したり反省する。 だがモラハラ・パワハラをする人は、「あなたが怒らせたから」と自分を正当化する。 酷いことを言った時でさえ、「私の方が傷ついた」と責任転換する。何故かあなたが悪者にされる。
健全な人間関係であれば、「相手の言っている事にも一理ある」「お互い様」と歩み寄ることで良い関係が保てる。 ただし一方的では成立しない。 あなただけが歩み寄るだけの関係性は、あなたの心身を疲弊させる。 特に支配的な人々は、「あなたが言うことを聞くのが当然」とさえ考えているのだから。
「どうせ誰も私を認めてくれない」と思うことがある。 「私なんて」という自信のなさから、質問さえ自分への否定に感じる。どうせ嫌われている、誰も分かってくれない、自分に価値がないから大切にされない…と自ら離れてしまう。 褒めて励ますより、指摘や否定が多い環境で育つととそうなりやすい。
どうしても合わない人がいる。 どれだけ話し合っても、分かり合えない人もいる。 一緒にいてラクな人もいれば、しんどい人もいる。 皆にとっていい人でも、あなたは苦手なこともある。 それが他人のこともあれば、家族のこともある。 自分にとって一番近い家族が、精神的には最も『遠い』ことがある。
頑張りたいと思っても、身体が動かないことがある。 周囲の人に「甘えだ」と言われることもあるが、違う。 「頑張らなきゃ」と思ってずっと生きてきた人が、頑張れないと思うなら心と体が限界に近い。 頑張れない自分を責めてしまうような人が動けないなら、今頑張るべきは「なんとかして休む」こと。
責められ続けると、人は人を信じることが出来なくなる。 劣等感に包まれ、誰にも本音を打ち明けられないのはおろか、助けを求めるのも怖くなる。 否定され続けると、人は自分自身でさえ信じることが出来なくなる。「私はおかしいのでは」「普通じゃない」と自分で自分を否定してしまうこともある。
悩みや苦しみを相談することを躊躇う人がいる。 辛いと言う事が「負け」「弱さ」だと思う、人を信じられない、どうせ分かってもらえないなど色々な理由がある。 共通点は、自分一人で乗り越えなきゃと背負っていること。 大人に頼れない環境で育つと、人に迷惑をかけてはいけないと背負いやすい。
誰かに対して急にイライラが溢れてきたり、怒りが爆発しそうになることがある。そんな自分に戸惑い「こんな風に思うのを止めたい」と思うかもしれない。 でもこれまで「私のせい」「もう消えたい」と自分だけ責めていたあなたが怒りを出せるようになったなら、それは良いこと。健全な反応なのですよ。
誰かに誤解されちゃうのって、辛いよね。 家に帰って「こう言えば良かった…」と反省するほど考えて伝えてるから、落ち込んじゃうよね。上手く伝えられなかったことを悩んじゃうほど、丁寧に言葉を選んでるんだもんね。 分かってもらえないこともある。 でも分かってくれる人もいる。それで大丈夫。