従った時しか褒められなかったから、ありのままじゃダメと思うことがある。 褒められなかったから自分を褒められない人もいる。 褒められる回数より否定が多かったから、自己否定してしまう人もいる。 認められなかったから、自分を認められない人もいる。 自己肯定感が低い、の根っこには色々ある。
「自己肯定感が低いのは悪いこと」と捉えられるような情報が増え、「高めたい」という人が増えている。 自己肯定感は低くても生きていける。 一生懸命高くしようと無理しすぎたり、「低いのはダメ」という情報そのものが、「今の自分はダメ」という自己否定に繋がりあなたを苦しめていることもある。
イライラにイライラで返したり、怒ってる相手に怒り返しても、何も解決しない。むしろややこしくなる。 その人は、誰にも変えられないから。 変えられるのは自分だけ。 でもだからといって、あなたが我慢したり謝ったり、相手に合わせる必要はないんだよ。 距離を置いたり、スルーしてもいいんだよ。
困っている時にこそ、平気なふりをすることがある。 子どもの頃からそうだった人は「自分でやらなきゃ」を背負いやすい。 体調が悪い時にこそ、元気にふるまうこともある。 子どもの頃からそうだった人は「できてしまう」からこそ、疲れが蓄積してダウンしやすい。体調管理ができていないのとは違う。
「大人になってまだそんなこと言ってるの?」と呆れられることがあるかもしれないが、家庭環境は大人になっても影響を与える。 子どもが最初に所属する社会が「家族」。 家族の中の自分の在り方が、世の中に出た時の自分にリンクする。家族を信じられなければ、世の中の人も信じられなくなりやすい。
笑顔は素敵だし大切。 だけど不安が強いと、嫌われないために笑顔を使いすぎる。 自分の黒い感情を隠すために、笑う。失礼な事を言った相手を攻撃しないために、笑う。誰かをつなぎ留めておくために、笑う。悲しみや孤独を見せないために、笑う。 心を守るはずの笑顔で心が削られてしまう。
朝起きられないのも、落ち込むのも、上手くいかないのも、頭痛が辛いのも、やる気が出ないのも、まだ『準備期間』だからと思えばいい。 「自分なんて」「前は出来たのに」なんて責めても、心が疲れるだけ。 頑張れない時は、とことん休みましょ。とことん休んだら、動きたくなるかもしれないから。
自分の気持ちを出すことに抵抗を感じる人がいる。 「私はこうしてほしい」「私はこう思う」と伝えられず、「どうしてあの人は」「○○してくれない」と心の中で葛藤する。 直接言えないからこそ、頭の中で戦い続けてしまう。だから疲れる。 自分の本音を言いにくい家庭環境で育つとそうなりやすい。
疲れた時に、「大丈夫」って言い聞かせなくていいよ。 頑張りやのあなたは、動けなくなるまで頑張りすぎちゃうから。 もう辛いのに、「大丈夫」って誤魔化さないでね。 我慢強いあなたは、倒れるまで我慢してしまうから。 大丈夫じゃなくてもいいんだから。 本当は、そんな時は休んでいいんだよ。
「誰とも話したくない」「誰にも会いたくない」と思うことがある。 そういう日もあるし、そういう日が続くこともある。 そう思うほど疲れていたり、傷ついているのかもしれないから、そういう時はどんどん一人の時間を作る。 そんな自分をダメだと思ったり、責めたり落ち込んだりする必要はない。
「もうちょっと頑張らないとね」という、何気ない一言に深く傷つくことがある。 「今のままではダメなんだ」「もっと頑張らないと自分に価値がない」と自己否定したり、「頑張れないと認めてもらえない」「頑張れない私はダメだ」と落ち込むこともある。 どう捉えるかは、過去の影響も大きい。
「もっと話を聞いて欲しい」「認めてほしい」「見てほしい」という気持ちを子どもの頃に言えたかどうかは、大人になった時に影響しやすい。 素直になれないのがダメなのではない。 でも、人間関係で「なぜか素直に言えない…」と悩んでいるなら、性格のせいではなく過去に原因があるのかもしれない。
「辛い」「もうダメ」と落ち込んでいても、心から笑える時があれば大丈夫。 逆に「まだ頑張れる」「まだいける」「まだ大丈夫」と思っていても、心から笑えなくなっていたら気を付けて。あなたの心が「もう限界」って、SOS出してるサインなんだよ。 愛想笑いしなきゃいけない相手とは、距離を置く。
今の自分には、過去の出来事が繋がっている。 「自分が悪いから、自分がダメだからこうなった」と自責する人は多いが、実際には過去の色々な出来事が複雑に絡み合って『今』に至っている。 当時はそうするしかなかったり、実はあなたのせいではないことが、あなたが思っているよりたくさんある。
辛いできごとがあった人だけが、心に傷を負うわけではない。 不幸な家庭で育った人だけが、人間関係に苦しむわけではない。 他の人から見た時に「ささいな出来事や一言」が、本人の心を深く傷つけていることがある。 身近な人が「良かれと思って」言った言葉に、人知れず苦しむこともある。
あなたが出来るからって、あなただけが頑張らなくてもいいんだよ。 出来るからこそ「しない時」があっていい。 まだ耐えれるからって、我慢しなくていいんだよ。 子どもの頃から耐えてきたから出来ちゃうんだよね。 自分さえ我慢すれば誰も傷つかない、なんて思わないで。 あなたの心が傷つくから。
・どうせ何も変わらない ・何をしても無駄 頑張っても結果が出ないことを繰り返しているうちに、「挑戦しよう」という気持ちさえ出なくなり諦める(学習性無力感)ことがある。 結果がどうであれ頑張った過程を褒めてもらえたか、結果だけ重視されたのか… 過去が及ぼす影響は、想像以上に大きい。
優しい人、しっかりした人、頼りになる人……誰かが望む自分の姿を演じることがある。 その結果、誰かから認められれば嬉しいし安心できる。 だがそれと同時に、「相手が好きなのは本当の自分ではない」という不安や恐怖にも襲われる。 自分らしさを抑えて演じ続けるのは、とてもとても苦しい。
心のどこかで「私なんて」「どうせ」と思っていると、差し伸べられた手に気が付けなかったり、助けに気が付いてもその手をふりほどいてしまう。 もう自分のために生きていいんだよ。 まだそう思えなくても自分を責めないで。 それほどの環境で生きてきたってことだから…。 今まで頑張ったね。
「人を信用できない」と悩み苦しむ人がいる。 信用するメリットもデメリットもあるから「できないとダメ」なんてことはない。 だが、信用したいのに出来ないと悩むケースの大半は、子どもの頃に大人を信用出来ていない。 信用できない心に問題があるのではなく、「信用できない過去」を抱えている。
一生懸命伝えても、相手にわかってもらえないことがある。 あなたの伝え方が悪かったのではなく、「相手が受け取れなかった」だけなのかもしれない。 理解が及ばなかったり、育った環境や価値観、性格があまりに違いすぎることもある。 わかってもらえないのは、「あなたのせい」とは限らない。
「みんなと仲良く」という言葉に苦しめられる子がいる。 現実に「みんな仲良く」には、誰かの心の犠牲が伴う。だから本当は差別しないだけで十分。 だが真面目優しく責任感のある子ほど、嫌いでも苦手でも仲よくしようと無理しすぎる。嫌いだと思う自分が冷たい、ダメなのではと苦しむこともある。
「あなたのためを思って」「よかれと思って」とアドバイスされることがある。 心から納得できたなら、それはそれでいい。 だが「そうしたくない」と思う気持ちが少しでもあるなら、聞かなくていい。罪悪感も持たなくていい。 その人の思う「良い」が、必ずしもあなたにとって良いとは限らないから。
「質問されるのが苦手」という人がいる。 質問が自分への否定や、自分を責められているように感じることもある。 相手に自分を知ってほしいが、本当の自分を曝け出すのが怖いこともある。 周囲からの何気ない否定の積み重ねや、「私さえ我慢すれば」という日々の犠牲が隠されていることが多い。
うつ状態、痛み、ストレス性湿疹などの心身反応でさえ「甘え」「怠け」と自分を追い込んでしまう人がいる。 あの時に○○しなかったから、○○したから…と過去を遡り自責する。 実は甘えや怠けなんかではないが、どうしてもそう思えない。 弱音を吐くことを許されなかった過去の影響が、後を引く。