大人の言うことを聞き、喜ばせ、困らせず、みんなと仲良くできる子は「いい子」と言われる。 だがその子は、子ども時代に「子どもらしく」過ごせていない。 いい子でいるため数えきれないほど我慢し、わがままは封じ、自分を押さえ込んで周囲に合わせている。 この癖は、大人になっても残りやすい。
アダルトチルドレンは、人との距離感に悩む。 期待して傷ついた過去があると、自分からは近づかない。でも心を許すと一気に近づく。本当は誰かに受け入れてほしいという思いが溢れ、自分を曝け出しすぎて相手が離れてしまう事もある。見捨てられる不安や恐怖から、一方的に自ら関係を断つこともある。
「私なんかと話してもつまらないよね…」と不安になったら、「誰かに言われたことある?」と自分に聞いてみて。 「あ、言われたことない」という人、もしくは親など特定の誰かにしか言われていない人が多いと思う。 もしそうなら、その人がそう言っただけ。みんながそう思ってるわけじゃないからね。
「聞いてあげたい」「助けたい」と思えるのは素敵なこと。 でも幼少期に大人の愚痴や不満ばかり聞かされていると、「してあげたい」が「しなきゃダメ・するべき」というプレッシャーに変わり、「私ばかり」と不満が募り苦しくなってしまう。 もう、あなただけがしなくても大丈夫。よく頑張ったね。
「〜すべき」「〜しなきゃ」という思考に苦しむ人が増えている。 それをしないと罰があるように感じたり、疲れてもう何もしたくない時でさえ出来ない自分を責めてしまいやすい。 この思考が他者に向くと、怒りや葛藤が出やすい。 子どもの頃、親を頼れず頑張ってきた人が抱えやすい傾向の1つ。
やる気が出ないのも、動けないのも、ダルいのも、頭痛も、めまいや耳鳴りが酷いのも、イライラしやすいのも、元気が出ないのも… 今日は「ぜんぶ天気のせい」だと思いましょ。無理しない。 これは言い訳でもないし、甘えでもありません。 ...とはいえわかってもらえないと、しんどいですよね💦
いい子は、「周囲にとって都合のいい子」のことが多い。 周囲の大人は楽だし安心できるかもしれないが、当の本人は「いい子」に縛られる。 我慢しすぎて苦しくなったり、自分らしく生きることがわからなくなったり、見捨てられる恐怖を抱く。 大人になると、他人の前でもいい子を演じて疲れてしまう。
あなたが弱いから、そうなったのではない 努力が足りないから、そうなったのでもない こんな性格だから、そうなったのでもない 痛みや不調は、体からのSOS。 つい我慢して頑張りすぎてしまうあなたに、ストレスが溜まってるよ、疲れてるよ、もう無理だよ、と教えるサイン。だから責めないでね。
ある日突然、「自分が何のために、どこに向かっているのか」わからなくなることがある。 大失敗や別れが引き金になることもあれば、日常の些細な出来事がきっかけになることも多い。 これまで抑え込んできたものが多いほど、出口のないトンネルに迷い込んだように身動きが取れなくなってしまう。
今までと違う『新しいもの』を作るためには、古いものを壊さないとダメなんです。 でも、今まで積み上げたものが無駄になることはないから、安心して。 悩んだことも知恵も経験も、全部「これからのあなた」に繋がる。 あなたならきっと、大丈夫。 迷うってことは、できるかもしれないことだから。
休むことに抵抗が出る人がいる。 「時間を無駄遣いしているのでは」「他にやるべきことがあるのでは」「サボっていいのか」という声が頭の中に響き、焦りや不安、罪悪感からやるべきことを探して動き続けてしまう。 普段から頑張りすぎていたり、本来なら休まなければいけない人ほどそうなりやすい。
何のために頑張ってるのか、そう虚しくなるかもしれない。 なんでこんな毎日なのか、そう悲しくなる時があるかもしれない。 一人になった時に、突然涙が溢れてくることもあるかもしれない。 泣きたいほど辛いのに、全く涙が出ないこともあると思う。 悩むのは、前を向いているから。それだけで凄い。
誰とも会いたくなくなったり、ストレスから心身に不調が出たり、どうしても動けなくなることがある。 そうなったとしてもあなたがおかしいなんてことはないし、弱いとかやる気の問題でもない。 理不尽な環境やいじめといった、負のストレス状況に対する「とても真っ当な反応」ともいえるのだから。
心の疲労が、体の不調となって出ることがある。 だが反対に体の疲れが、心の不調を引き起こすこともある。 いつもよりイライラしたり、うまくいかなかったり、憂鬱になるなら、思い切って休んでみる。何か1つ、やるのをやめてみる。断ってみる。 「頑張る→頑張らないを頑張る」にシフトする。
アダルトチルドレンは人の世話は得意なのに、自分の世話が苦手。 でも実は「出来ない」んじゃなくて、子どもの頃に教えられていないから「慣れていない」だけ。 だからいざという時に慌てないように、「自分のお世話方法」を準備しておく。 負のループを断ち切る方法があると、素早く回復できる。
自分の気持ちをぎゅっと押し込めて、 誰かを傷つけないようにすることがある。 笑顔にしようとすることがある。 認めてもらおうとすることもある。 押し込めたものが多いほど、我慢した期間が長いほど、その反動は大きくなる。 人が変わったように泣いたり怒ったり、時に感情が出なくなることもある。
人は、無気力になることがある。 これまであまりに頑張ってきたり、「どうせ何も変わらなない」とこの先の未来に全く希望が持てなかったりすると、強制的に立ち止まって回復させるために無気力になることがある。 今はそのままで大丈夫。 使い果たした「前を向く気持ち」を回復している最中だから。
学校や社会で「もっと人の気持ちを考えなさい」と教えられることはあっても、「もっと自分の気持ちを大切にしなさい」と言われることは滅多にない。 だが本当は人の気持ちを大切にするのと同じかそれ以上に、自分の気持ちを大切にしていい。 あなただけが我慢しなくていい。
嫌なものは、嫌でいい。 しんどいものは、しんどい。 「そんなことくらい」「わがまま」「甘え」なんて言われても、自分を責めなくていい。 その人に、あなたの辛さは分かりっこないから。 好きな色がみんな違うように、苦手な理由なんて「苦手だから」で十分なんだよ。それくらいで大丈夫だから。
人が聞いてあげられる愚痴の量には、限界がある。 どれだけあなたが優しい人だとしても、責任感があるとしても、助けてあげたいと思っていたとしても...どうしても限界がある。 自分が潰れてしまわないように、聞かない時があっていい。 聞きすぎてしんどい時は、あなたも聞いてもらった方がいい。
人を信じたいのに、信じられないと悩むことがある。 性格の問題なのではと自分を責めてしまう人は多いが、実は「そうではない」ケースの方が多い。 たとえば幼い頃に身近な大人を信じられなかったり、信じて裏切られた経験があると、再び傷つかないように「信じない方がいい」と学ぶことがある。
「自分が嫌い」「生きている価値がない」と不安を感じる人が増えている。 人を傷つけない優しい人ほど、心の中で自己否定しやすい。どんなに自分を貶めても、責めても、他の誰かは傷つけないから。 だが自分も一人の人間だから、自責の積み重ねが結果として体調不良や心の不安定さに繋がり苦しむ。
ネガティブなことは考えない方が良い。 だけど、つい考えてしまうもの。 人と比べない方が良い。 それが出来たらいいけれど、分かっていても比べてしまいやすい。 自分を大切にと言われても、よく分かんない人もいると思う。 それはそれでいい。 「なんで私は…」と自分を責めないでおく。
怒りや悲しみを面に出さないからといって、それらの感情がスッキリ消えてくれるわけではない。 無自覚のうちに蓄積されていく。自分で気がついた頃には、すでに限界で爆発してしまうことも珍しくない。 我慢できないから怒りが爆発するのではない。 我慢してきたから、ついに爆発したのかもしれない。
「辛い」と思っていいんだよ。 辛いのは、あなたが現実から逃げていないから。 「したくない」と思っていいんだよ。 一人で抱えて、誰にも助けてって言えないまま一生懸命やってきたんだよね。 「嫌」と思っていいんだよ。 そう思うほど、今まで耐えてきたんだから。よく頑張ったね。