責められ続けると、人は人を信じることが出来なくなる。 劣等感に包まれ、誰にも本音を打ち明けられないのはおろか、助けを求めるのも怖くなる。 否定され続けると、人は自分自身でさえ信じることが出来なくなる。「私はおかしいのでは」「ふつうではないのかも」と自分で自分を否定してしまう。
母親が子どもに話す父親の愚痴は、子どもにとっては間接的に「自分への批判」となる。 子どもは「両親の特長を受け継いでいる」、という感覚を持つから。表に出さずとも、心が深く傷ついてしまう。父親が母親について話す場合も、同様の影響を及ぼす。 親が子どもに言うべきではない話題がある。
言い争いの場にいるだけでしんどい、と悩む人が増えている。 「自分のことじゃない」「気にしなきゃいい」という簡単な問題ではない。 言い争う空気、表情、声色、両者の気持ちが全て一度に入ってくるから、情報を処理するだけで脳が疲れ果てる。 苦しい過去とリンクすると、恐怖さえ加わるのだから。
幼少期に親に否定されたり、褒められたことのない部分は「誉め言葉」として受け取りにくい。 「トロい」「グズ」「早く」「遅い」と怒られたことが多いと、「丁寧だね」と褒められて喜べない。遠回しに遅いと指摘されているように感じたりする。 褒められて喜べないのは、性格のせいではない事が多い。
「強くなきゃダメだ」と自分を追い込んでしまうことがある。 こんなことで傷つく自分を変えたい、弱い自分は嫌われる、愛されない、本当の自分を知られるのが怖いと思うこともある。 誰かからの一言がきっかけだったり、「しっかりしなきゃ」と頑張ってきたり、実年齢以上にしっかり見える子に多い。
「あんたが鬱になるわけない!」と親しい人から言われることがある。 一番味方になってほしい人に突き放されてしまう。 「甘えるな」と怒られることもある。甘えられずに一人で走り続けたから、鬱になったというのに。 「かまってほしいだけ」と呆れられることもある。そんなわけないにもかかわらず。
朝起きられないのも、落ち込むのも、上手くいかないのも、頭痛が辛いのも、やる気が出ないのも、まだ『準備期間』だからと思えばいい。 「自分なんて」「前は出来たのに」なんて責めても、心が疲れるだけ。 頑張れない時は、とことん休みましょ。とことん休んだら、動きたくなるかもしれないから。
しんどい時こそ明るく振舞い、平気なふりをして、自分の状態を周囲に見せないようにすることがある。 子どもの頃からそうやって頑張ってきた人ほど、無意識にそうしてしまう。 心配かけないように、迷惑かけないように、弱いと思われないように、つけこまれないように…本当の自分を隠すことで守る。
相手は変えられないけれど、だからといってあなたが変わなきゃダメ!なんてルールはないよ。 その人は、自分を変えてまで大切にしたい人? その人は、あなたのために自分を変えてくれる? その人は、あなたの理想? あなただけが我慢して頑張る関係は、長くは続けられない。 心と体がもたないから。
ここがダメ、そこが良くない、それは間違ってる、ほらやっぱり… そんな風にダメ出しされたら、どんな素敵な人でも自信をなくす。良いところが悪いところで上書きされて、見えなくなっちゃう。 だから、そんなに自分に厳しくしないでね。 まだ好きになれなくていいから、責めないでおこう。
やってあたりまえのことなんて、何一つないんですよ。 家事も、育児も、仕事も、片づけも、買い物に行くのも、話を聞くのも、朝起きるのも、気を遣うのも…全部そう。 「これくらいで」「もっと頑張らなきゃ」なんて、自分で自分を追い込まないで。 あなたはもう、十分頑張ってるのだから。
自責は、ただでさえ落ち込んでいる時に追い打ちをかけて責めるから、辛いし苦しい。 だが、親に責められるのが当たり前だったり、自分が悪くなくても謝らなければいけなかった子は、大人になった時に自責しやすい。 あながダメだから自責するのではなく、子どもの頃からのクセで自責してしまう。
そんなんじゃやっていけない、甘い、やると思った、つまらない顔をするな、やると思った、怠けるな、親の言うことは絶対、恩返ししろ、あなたに出来るの?… 心の中に、「子どもの頃の親」が住み着いていることがある。 影響が強い人ほど、大人になっても苦しめられる。ふとした拍子に記憶がよぎる。
毒親、モラハラ、パワハラをする人達は「誰から見ても酷い人」なのではない。それどころか、いい人に見えることも多い。だから被害者の訴えが周囲に理解されない。 彼らは怒りをぶつけていい相手と、ぶつけない方が良い相手を選んでいる。彼らが怒りをぶつけるのは『自分を攻撃しない優しい人』だけ。
ACは「ありのままの自分で価値がある」、と言われて戸惑う。 頑張っても認めてもらえなかったのに、ありのままでいいわけがないと思う。努力を続けてきた人ほど「ありのまま」は甘えではないか、とモヤモヤする。 親の顔色をうかがわなければいけなかった人は「ありのまま」の意味さえ分からない。
上手くいかない時に使う口癖や、言葉はありませんか? 実は、その言葉に一番影響を受けるのは「あなた」。 実は脳は、誰に言ったかという主語を理解できないからです。 だからつい出てしまう『口癖・考え癖』を工夫するだけで、不安やモヤモヤが軽くなります。言い換えるだけで、ちょっぴり前向き。
心を「コップ」に例えることがある。 コップに負の感情が溜まって溢れてしまう前に、休憩しよう、逃げようという。 でも優しいアダルトチルドレンの心は「スポンジ」のように、相手の攻撃も酷い言葉もいったん受け止めてしまう。コップと違って溢れないから、本人も周囲も限界が分かりにくい。
親に愛されていない人だけが、ACになるのではない。 親なりに愛してくれていても、ACになることはある。 親の望む通り振る舞うことを求められ、それに応えているうちに「自分」というものがわからなくなる。気がついた時には、親の理想から外れることが怖くなり、自分の決断に自信が持てなくなる。
「どうせ誰も私を認めてくれない」と思うことがある。 「私なんて」という自信のなさから、質問さえ自分への否定に感じる。どうせ嫌われている、誰も分かってくれない、自分に価値がないから大切にされない…と自ら離れてしまう。 褒めて励ますより、指摘や否定が多い環境で育つととそうなりやすい。
・好きな人に近づけない ・初対面の人はわりと平気 ・親しくなると距離感に悩む ・親しくなるのに抵抗がある アダルトチルドレンが、このような悩みを抱えることがある。 「本当の自分は受け入れられない」という不安を抱えているとそうなりやすい。 親でさえ受け入れてくれないのに…と諦めてしまう
アダルトチルドレンの「どれでもいいよ」は、適当なわけでも考えていないわけでもない。 むしろその逆。自分の意見を言うと否定されるかも、相手を傷つけてしまうかも…と考えた結果「どれでもいい」と言う。 ただし幼少期に自分の気持ちを抑えてきた場合、本当にどれが良いか分からないこともある。
ご飯を作った、掃除した、洗濯した、何とか一日が終わった。それだけで十分「できた」。 あれこれ完璧にしなきゃと走り回ってるあなたが手抜きしたりゴロゴロできたなら、それは立派な「できた」なの。 「まだまだ」と頑張りすぎるあなたが、「もう無理!」と泣けたなら、それも「できた」なんだよ。
他人を優先しすぎる、意見が言えないといった悩みの裏に「価値が欲しい」「必要とされたい」という思いが無意識下で働いていることがある。この場合「○○しない」がとても難しい。 幼少期に「私には価値がないのでは」「いてもいなくてもいいのでは」という底知れない不安を抱いていることが多い。
「やった方がいいと頭ではわかっているのに、なぜかできない」のは、納得できていないから。 理解は頭。 納得は感情。体が感じるものなので、体験したことのないものは、なかなか納得できません。 だから、少しやってみる。 やってみて、もう一度考えたらいいんですよ。何回やってもいいんですから。
のんびりするのが苦手なACがいる。 ダメな人間になるとか、休んでばかりいると悪いことが起こるとか、○○さんみたいになるとか、子どもの頃に何もしないでいると怒られた・呆れられた経験があるとそうなりやすい。 常に緊張状態だから身体の力が抜けない。 若い頃から、頭痛や肩こりに悩まされる。