楽しく過ごしていても、ふと不安になることがある。 「今は楽しいけど、明日は仕事だ」「今は一緒にいてくれるけど、いつか離れていくかもしれない」と。 過去の「嫌だった記憶」がそのまま残っていると、不安になりやすい。 頭の中の過去が不安を膨らませているだけで、あなたの性格のせいではない。
アダルトチルドレンは「怒り」の感情に振り回される。 子どもの頃に怒りっぽい大人がいて「あの人のようになりたくない」と怒りを封じ込めたり、ふいに怒りが抑え切れずに溢れたり、信頼できる誰かにだけ怒りをぶちまけてしまうこともある。 家庭が「安全基地」ではなかった場合、そうなりやすい。
子どもの頃に励まされ、楽しいことがたくさんあった人がいる。 一方で子どもの頃に否定され、辛く苦しいことがたくさんあった人もいる。 同じ出来事が起こった時に、どう捉え、どう行動するかは『過去の経験』に紐づく。 『自分の性格のせい』だけではないことが、たくさんある。
人は、自分が期待していた結果が得られない時、「裏切られた」「傷ついた」と感じやすい。 相手が「信じている人」「身近な人」であるほど、心の傷は深くなる。 子どもにとって、親はその両方が当てはまる。 だからこそ、子どもの頃の出来事は「人を信じられないきっかけ」となりやすい。
子どもの頃、十分自分を出せず我慢したまま大人になると「どうせ」という気持ちが根付いてしまう。 「どうせ」があると、素直な気持ちが言えなくなる。言っても無駄、傷つくだけだと思う。 本当にそうなった時に「やっぱり」と思うことで、「どうせ」を強化してしまう。 過去が今のあなたを苦しめる。
「信頼」「愛情」「自信」という言葉に、戸惑う人が増えている。 何か出来ても出来なくてもそのままの自分に価値があり、愛されていると実感できる環境がこういった感情を育てる。 でもそうではない家庭で育つと、底知れない不安を抱く。自分が生きていることの意味さえ分からなくなってしまう。
やってあたりまえのことなんて、何一つないんですよ。 家事も、育児も、仕事も、片づけも、買い物に行くのも、話を聞くのも、朝起きるのも、気を遣うのも… 全部そう。 「これくらいで」「もっと頑張らなきゃ」なんて、自分で自分を追い込まないで。 あなたはもう、十分頑張っているのだから。
アダルトチルドレンは、100の好きよりも1の嫌いが心に残りやすい。 親に愛されていなかったのでは、自分には価値がないのでは、必要とされていないのでは、ありのままの自分は受け入れてもらえないのでは…こういった心の不安が関係している。 だから自分らしくあるより、誰にも嫌われない方を選ぶ。
嫌われたくないと思うのは、人の本能。自然なことです。 でも「皆に嫌われたくない」という気持ちは、手放した方が楽になる。 あなたが何をしても何もしなくても、嫌いになる人はいますから。 あなたを「好き」と言ってくれる人のために自分らしくいることの方が大切。その方が楽だし、今より幸せ。
毒親育ちの傾向として、100の好きよりも1の嫌いが心に残りやすい。 親に愛されていなかったのでは、自分には価値がないのでは、必要とされていないのでは、ありのままの自分は受け入れてもらえないのでは…こういった心の不安が関係している。 だから自分らしくあるより、誰にも嫌われない方を選ぶ。
アダルトチルドレンは、自分に厳しい。 みんなが出来ているのに出来ないと「こんな事も出来ない」と自分を責める。もし出来ても「まだ上がいる」と思う。 性格のせいではなく、幼少期の大人との関係が影響していることが多い。 励ましや応援がない家庭環境で育つと、自分を褒めたり認めたりしにくい。
子どもの頃、あなたが頼れる人は「親」だけだったかもしれない。 一人で生きていけない子どもにとって、親は「全て」。嫌われたり怒られたりするのは、何より怖い。そこから逃げられないと知っていたから。 でも今、大人になったあなたには親以外に頼れる人もいる。 もう、ひとりで悩まなくていい。
そんなことで傷つくの?、冗談なのに、つまんない子、気にしすぎ、考えすぎ、真面目すぎ… このように言われ続けて育つと、「どの気持ちは出して良くてどの気持ちは出しちゃダメなのか」苦しむ。 自分の感情を疑うようになる。本当の気持ちが分からなくなる。 「自分自身がよく分からない」に繋がる。
親からの連絡は、一瞬であなたを非力な子どもに引き戻す。 怖くなったり、反論できなかったり、苦しくなったり、断れなかったり… 幼少期の精神状態が蘇る。 実家を出ていても、結婚していても、精神的に成熟していても、親と離れていても、距離をとっていても... そういうことは十分起こり得る。
「そのミスでそんなに落ち込む?」と周囲が呆れるほど、自分を責めてしまう人がいる。 子どもの頃、1回注意されたり、1回怒られたりしたことを繰り返すのは「絶対にやってはいけない事」だった人に多い傾向。防衛反応の1つ。 同じミスを繰り返すのがダメな事だったから、そんな自分を責めてしまう。
疲れた時に、「あー頑張った!」と言ってみる。疲れが満足感に変わるから。 「どうせ…」と思った時は、「どうせなんとかなる」と思ってみる。きっと今までも「なんとかしてきた」ことがたくさんあるはず。 悩みすぎてしんどい時は、「まずは今」だけ考える。 何食べる?何飲む?何見る?まずは今✨
・本音が分からない ・言いたいことがまとめられずフリーズ ・相手にどう思われるか分からず黙ってしまう ・自分の気持ちに自信がない ・嫌な記憶から、本音を言うべきでないと思っている 「本音が言えない」にも色々ある。 性格のせいではなく、過去が無意識に影響を及ぼしているケースは案外多い。
誰かが辛そうだと、疲れているのに動けてしまう人がいる。 誰かを思う気持ちは素敵だが、過去の影響が大きい人の場合は「したい」という楽しい気持ちよりも、「しなきゃ…」と何かに焦り追い立てられるように動いてしまうことが多い。 その結果、心が満たされず「私ばかり」と不満が募りやすい。
動けるなら休んじゃダメ、楽しちゃダメと思う人がいる。 迷惑をかけちゃいけない、怠けではないか、こんなことで休むなんて…と苦しむ。 本当は動けなくなる前に休んでいいし、休んだ方が良い。 頭で理解できても、過去の影響が「そうさせないように」強力に働く。努力を求められ続けたACが抱く呪縛。
平和な時に限って、わざわざ不安な事を考えてしまうことがある。 嫌な未来を想像したり、辛い過去を思い出したり、「嫌なことがあるかも」と警戒する。 幼少期にいつも不安だったり、親が過剰に干渉・心配ばかりする家庭だった場合にそうなりやすい。楽しさと不安が同時にやってくるから疲弊する。
限界が来て、倒れてしまうことがある。 頑張り屋さんだったり、真面目で責任感のある人ほどそうなりやすい。 「そんなに辛いなら辞めればよかったのに」と心無いことを言われることがある。 だが、違う。 あまりに追い込まれると、人の脳は働きが鈍くなり正常に考えることさえできなくなるのだから。
自分のことを話すのが苦手、という人がいる。 子ども時代、何らかの事情で「自分の主張や感情を隠さなければならなかった」人に多い。 「また傷つけられるかも…」という恐怖から防衛機制が働き、ありのままの感情を出すことをやめてしまう。 そうしているうちに、自分の気持ちがわからなくなる。
「自分の気持ちを大切にしていい」と言われた時。 ホッとする人もいれば、戸惑う人もいる。 ACに多いのは、後者。 これまで親や家族の気持ちを大切にすることを頑張ってきた人ほど、「自分の気持ちって?」と困る。誰といる時の、どの自分が「本来の自分」なのか分からないこともある。
もっと興味を持ってほしかった。 私だけ見てほしかった。 もっと話を聞いてほしかった。 褒めてほしかった。 もっと抱きしめてほしかった。 アダルトチルドレンは、このような思いが満たされないまま大人になる。与えてもらえるはずのものが「与えられなかった」心の傷は深い。周囲に求めたくもなる。
勇気を出して相談しても、「辛いのはみんな一緒」と言われることがある。 でも、辛いものは辛い。だから、みんなも辛いとしても、辛いと思って良い。 しかもACの場合は、「みんな」と同じスタートラインに立つために親が与えてくれるはずだった「心の土台」を自分で見つけ育てる大変さもある。