<アダルトチルドレンが抱えやすいプレッシャー> ・強くならなきゃ ※弱い自分はダメ ・喜ばせなきゃ ※誰かが喜ぶ=自分が生きる価値になりやすい ・完璧にやらなきゃ ※能力=自分の存在価値になりやすい ・急がなきゃ ※グズ、トロいなどの言葉が影響 ・頑張らなきゃ ※限界を超え倒れるまで
気がつくし、やればできるし、してあげたいし、困ってるとほっとけないし、人を喜ばせるのも好きだから、つい『やらなきゃ』と思うかもしれない。 でも、『できる=やらなきゃ』じゃないんだよ。 義務になって頑張りすぎると、誰かに会う事さえしんどくなっちゃう。意地悪しなければ十分だよ。
気になってしまう人が、「気にならないようにする」のはとっても難しい。 気になったあとに、「気にしないでおく」という工程が追加されるので、今までより疲れてしまう事もある。 気にならないように努力するより、「なぜ気になるか」を知る方がいい。 「なぜ」の原因は、性格よりも過去にある。
理不尽な思い出が、心にべったり貼りついてあなたを苦しめることがある。 「なぜ?」という疑問、「なんであんなことを」という怒りや悲しみが、頭の中で何度も再上演されてしまう。 その当時は理不尽さに気づかなかったり、無理やり納得したり、我慢するしかなかった時にそうなりやすい。
誰かに気持ちを話すことが、ストレスになる人もいる。 人に気を遣ってしまう人は「気持ちを書く」という心の整理が向いている。 書くと一口に言っても、「よかったこと」を書いて前向きになれる人もいれば、「怒り」を書き出すことで元気になる人もいる。 世間一般の「いい」と違っても、大丈夫。
頑張り屋のACほど、自己啓発本などで自分を変えようとする。 だが、なかなかうまくいかない。 それは、それらのほとんどが『理想的な環境で育った人』へ向けた内容だから。 ACの場合は状況が一時的に改善したように思えても、再び元の状態に戻ってしまう。そんな自分に焦り、苛立ち、自責してしまう。
幼少期に親に否定されたり褒められたことのない部分は、誉め言葉として受け取りにくい。 「トロい」「グズ」「早く」「遅い」と怒られたことが多いと、「丁寧だね」と褒められて喜べない。遠回しに遅いと指摘されているように感じたりする。 褒められて喜べないのは、性格のせいではない事が多い。
子ども時代に親に十分認めてもらった感覚がない場合、見捨てられ不安を抱えやすい。 相手が少しでも自分から離れたように感じると、「見捨てられる(嫌われた)」と不安や恐怖を感じる。 これが繰り返され、何度も人間関係が壊れるのを繰り返すうちに「どうせ自分なんて」という思いが強まる。
「それなりに愛されて育った」と感謝しているACは多い。 でもその大半は、親を実際よりも良く、自分を実際より悪く捉えている。 だから今抱えている生きづらさの原因が、まさか過去にあるとは思いもしない。そのせいで、「私のせいだ」「私がダメな子だから」と必要以上に自分を追い込んでしまう。
子どもの頃、自分の考えを否定される経験があまりに多いと「考えることをやめてしまう」ことがある。 子どもの頃、何をしても怒られた人は「行動することをやめてしまう」ことがある。 これ以上傷つかないように、心を守るために身に着けた「子どもの頃の防衛方法」に大人になって悩まされてしまう。
困っている時にこそ、平気なふりをすることがある。 子どもの頃からそうだった人は「自分でやらなきゃ」を背負いやすい。 体調が悪い時にこそ、元気にふるまうこともある。 子どもの頃からそうだった人は「できてしまう」からこそ、疲れが蓄積してダウンしやすい。体調管理ができていないのとは違う。
大丈夫?と聞かれた時に、「大丈夫じゃない」と言ってみる。 元気?と聞かれた時に、「あんまり元気じゃない」と言ってみる。 つい誰かに気を遣って「大丈夫」「元気だよ」と笑顔をつくってしまう頑張り屋さんのあなたが、自分の本音を話すひとつのきっかけになる。 自分にも気を遣ってあげていい。
ドアを乱暴に閉めたり、大きなもの音を立てたり、ドン!と荷物を置いたりされることがある。 理想的な家庭で育った大人なら、「何か嫌なことがあったのだろう」と思える。 でもACは、子どもの頃から「親が怒っているのは私のせいかも…」と自分の原因を探してきた。このクセが大人になっても残る。
拒絶される不安が強いと、自分はどう思うかより「相手にどう思われるか」という視点が優先される。大切な人に拒絶される辛さを知っているから、そうまでして自分を出そうと思わない。 子どもの頃から家族を優先してきた場合、自分がどう思うかさえ分からないこともある。無意識に自分を後回しにする。
「落ち込み」は、誰でも感じる気持ちじゃない。 適当に生きて、なんとなく過ごして、それでいいやと思っていたら「落ち込む」なんてそもそもないんだよ。 だから落ち込んでいる時点であなたは、何かを諦めていないってこと。 頑張って努力してたり、前に進んでいるからこそ、そう思えるんです。
母親に苦手意識を持つアダルトチルドレンは、女性が苦手なことがある。特に、過干渉の母親を持つケースに多い。 年上の女性に気を遣いすぎたり、ご機嫌を取り過ぎたり、苦手なのに好かれたり、意見を言えず疲れ果ててしまうことも多い。 同様に父親や祖父母苦手な場合も、同じように影響を受ける。
「落ち込み」は、誰でも感じる気持ちではない。 適当に生きて、なんとなく過ごして、それでいいやと思っていたら「落ち込む」なんてこともない。 だから落ち込んでいる時点であなたは、何かを諦めていないということ。 頑張って努力してたり、前に進んでいるからこそ、そう思えるんですよ。
人との距離感に、とても悩む人がいる。 自由に気持ちを言い、好きなものを選んで、とことん失敗して、それでも受け止めてもらえる安心感を学ぶべき幼少期に、『大人の顔色を見て行動しなければいけなかった』人に多い傾向。 自己肯定感の低さから、「産まれてきてごめんなさい」と思うこともある。
「なぜこんなに考えすぎるのか…」と落ち込むことがある。 相手の表情や仕草から察するのが得意な人は、受け取る情報量が多いから必然的に考える量が増える。親の顔色をうかがわなければいけなかった人は、この傾向が強い。 特に幼少期にミスが許されなかった人は、失敗しないために思考を巡らせる。
春の季節は、ただでさえ自律神経が乱れやすい。気候や気圧の変化で、なんだかモヤモヤしたり、何故か不安になったり、体調が崩れやすい。 それに加えて入学式、新学期、新年度といった『世の中の明るい雰囲気』が、焦りや不安に追い打ちをかけてしまうことがある。 頑張り屋さんほど影響を受ける。
キツい言葉を言われれば、傷つく。 自分に落ち度があってもなくても、落ち込む。理不尽なこと、嫌なことを言われて、平気な人はいない。 特に過去、親から言われた言葉は心に深い傷をつける。 親に言われて傷ついた言葉を他人から言われると、防御のために反射的に攻撃的になることもある。
事件や事故、虐待などの酷い経験だけがトラウマになるのではない。 褒めてもらえない、いつも誰かと比較される、心休まる家庭環境ではなかった、過干渉で自由がなかった、いつも気を遣っていた…1つ1つは小さくても長期間ストレスを感じ続けると心的外傷となる。 これくらいで、なんて思わなくていい。
親に『そのままの自分』を認められた実感がないACは、恋愛で不信感を抱きやすい。 「私なんて」「どうせ誰も」と不安を抱えていると、「なんで私なんかを好きになるんだろう」と思う。 都合がいいだけでは?と好意を疑ったり、相手が離れると「やっぱり私なんか」と妙に納得してしまうこともある。
「自分さえ我慢すれば」「我慢が足りないのでは」 このような考えから、自分を追い込んでしまうことがある。 だがこのように思える時点でその人は、これまでの人生で相当我慢してきている。だからそう思える人こそ「自分だけが我慢しなくていい」と思っていい。 我慢が足りない、なんてことはない。
人間関係のしんどさの陰には、「過去」が影響していることが多い。 見知らぬ人が自分を見て笑っている時。 「笑顔を向けられた」と思うのか、「バカにされた」と思うのかは、心の奥で「自分をどう感じているのか」によって違う。 事実は1つでも、「過去の影響」が受け取り方を変えてしまう。