大人だって、傷つく。 大人だって、寂しい。 大人だって、悲しい。 大人があまり泣かないのも、それほど傷つかないように見えるのも、悟られないように過ごせるスキルを身につけたから。 心は鍛えられない。 だから悲しい時は泣いていいし、動けなくなっていいし、いっぱい落ち込んでいい。
親なりに愛してくれていても、ACになることがある。 「頑張ったね」を与えてもらう時期に、子が「頑張ってくれてありがとう」と言わなければいけない事がある。 話を聞いてもらうべき時期に、親の愚痴を聞かなければいけない事もある。 与える側の親が与えてもらおうとすると、子の心は満たされない。
いつも中途半端、どうせ無理、すぐ投げ出す… このように大人から言われて育つと、最後までやり遂げるのが苦手になる。 「私には出来ない」と潜在的に思い込まされているから、途中まで上手くいくのに最後の詰めで諦めたり、あと一歩のところで急に興味をなくす。「なぜか」そうなってしまう。
・誰かに依存してはダメ ・強くならなきゃダメ ・一人で生きていけなきゃダメ これらは、子どもの頃から「一人で頑張るのが当たり前だった」人が抱えやすい。 期待して裏切られる悲しみも知っているし、自分の嫌いなアノ人のようになりたくないからこそ、無意識に厳しいルールを課してしまう。
痛みや疲れは、「この人苦手!」「この場所に行きたくない…」「もう限界」というSOSサイン。 鳴り響く火災報知器を「うるさいから」と切ってしまうと家が全焼してしまうのと同じで、SOSを無視し続けると心身が壊れてしまう。 すぐ疲れる自分を責めず、「それほど疲れているんだ」と労わっていい。
「うちの子は反抗期がなかった」「育て方が良かった」と親が誇ったり、立派に成長したあなたを見て、親が他人から褒められることもある。 でもACの場合、反抗期がなかったのではなく『反抗できる環境ではなかった』ことが多い。できなかったから、しなかっただけ。 頑張ったのは、「あなた」。
遊びに行きたいけど、家にいたい。 一人になりたいけど、誰かに傍にいてほしい。 仲良くなりたいけど、自分のことを知られるのが怖い。 アダルトチルドレンは、両価性(1つの物事に相反する2つの感情を同時に抱く)が強く出やすい。 本人もどうしたらいいか分からず、大きなストレスを抱えてしまう。
・親の電話に出ない ・親と会わない ・親のLINE既読スルー ・親の頼み事を断る ・親の意見にNOを言う 理想的な家庭で育った人は「嫌なら断れば?」と軽く言う。 でもACは、断わった後の大変さを知っているから「そんなこと出来ない」「無理」と思う。 我慢する方が平和だと、経験から知っている。
幼少期に大人から否定されることが多いと、他人と『頭の中で戦う』ようになる。 相手がこう言ったら自分はこう言って、相手がこう返してきたらこう対処して…という風に。 相手がいない時にもひたすらシミュレーションするから、とにかく疲れてしまう。 彼らにとって、人生は楽しみというより戦い。
素直な人ほど、頑張り屋な人ほど、「しなきゃ」「してはいけない」と自分をキツく縛ってしまう。 して「も」いい。 しなくて「も」いい。 頑張って「も」、頑張れなくて「も」いい。 このツイートに納得してもいいし、納得しなくてもいい。 「も」を意識するだけで、今よりだんだん楽になっていく。
必要以上に自分を責めてしまうACは、とても多い。 生きにくいのは自分のせい、人を信じられないのは性格のせい、病気や体調不良は管理不足、もっと心が広ければ、強ければ違ったのに…と。 でも、頑張っても変われないのは努力が足りないからではない。原因があなたではなく家庭環境だったから。
言う通りにしないと怒られるから、自分のしたいことを抑える。誰かに認めてもらうため、自分のしたいことより他人の気持ちを優先する。 子どもの頃に感情を抑えすぎると、大人になった時に「自分の気持ち」が分からなくなります。 でも大丈夫。気持ちは消えてないから。取り戻せますよ。
キラキラしたSNS投稿や、幸せそうな投稿を見て、「自分はこのままでいいのか……」と落ち込む人が増えている。 だが本当にその人が楽しくて仕方ない時間を過ごしているなら、その瞬間にSNSには投稿していないはず。 本当に幸せでいっぱいならSNSでアピールせず、目の前のその人に集中しているはず。
誰かを喜ばせられていないと感じると、この場にいてはいけないような不安に襲われる人がいる。 自分の心より相手の心、相手を不快にさせていないかを最優先させる。 子どもの頃から、親の顔色をうかがって行動してきた人に多い。相手を喜ばせられていないと、自分に価値がないようで怖い。
「自分の性格が嫌い」というACは、ものすごく多い。 でも人のことを信用できないのは、性格のせいではない。 自分の考えが分からないのも、人に合わせてしまうのも、NOを言えないのも。 受け入れてもらえなかったり、否定ばかりされたら誰だってそうなる。 環境によってつくられたものはとても多い。
親と子が、精神的に逆転してしまうことがある。特に、母と娘によく見られる。 多くのケースで親自身が子どもの頃、親に甘えられていない。その気持ちが満たされないまま親になり、「自分の子ども」に寂しさや不満をぶつけてしまう。 子どもは「私が○○だから…」と自責するが、実はそうではない。
「○○してあげる」「あなたのため」という言葉が極端に苦手な人がいる。 見返りを求められるのではという警戒、「どうせあなたにはできない」と言われているような悔しさ、迷惑をかけているような申し訳なさ・やるせなさなど、色々な不快感を味わう。 恩着せがましい環境で育つとそうなりやすい。
過干渉の家庭で育ち、生きづらさを抱える人が増えている。 「私(親)の言う通りにしていたら間違いない」という言葉に、苦しめられていることが多い。 ハッキリそう言われることもあれば、親の態度から察することもある。 こういった過干渉の影響は、大人になってからの選択や決断に影響を及ぼす。
人が怖い、という悩みを抱えることがある。 仲良くなりたいのに出来なかったり、人間関係で極度に緊張したり、あまりに疲弊する。 虐待やネグレクト、大切な人が去った経験、身近な人からの否定、仲間はずれなど、幼少期に人間関係で辛い思いをしていることが多い。 性格のせいではないことがある。
「辛かったら逃げていい」と言われることがある。 逃げずにずっと耐えてきた人は、「これは逃げでは」「逃げてはダメ」と思い悩む。 でも辛い環境から逃げるのは、ダメなことではない。 それに環境を変えるのは、逃げでもなんでもなく「去る」という1つの選択。逃げではなく、立派な選択の1つ。
やっと親と離れた時。 「これで楽になる!」と期待するが、現実は厳しい。まさに毒のようにジワジワ心と体を蝕む。 目の前にいないのに親の顔が浮かび、親の言葉に苦しむ。最高の親と信じていた幻想が壊れる場合、あまりの辛さに心身反応が出ることもある。 あなたのせいじゃないから、慌てないで。
子どもの頃から頑張ってきた優しい人ほど、怒りを抑えたい、嫌なことを気にしないようにしたい、不安にならないようにしたいと悩む。 世の中には感情のコントロール方法が溢れているが、コントロールの前に「どんな気持ちも認め受け入れる」ことが大切。自分のどんな気持ちも否定しないこと。
テストで90点だった時。 「あと10点足りない」と言われるのと、「90点も取れたね」と言われるのとでは、その子に及ぼす心への影響が全然違う。 何か出来た時に「○○はできた」と思えるのか、「(○○はできたけど)××はできなかった」と思えるのかの差は、性格よりも家庭環境の影響が大きい。
「ごめん」「ありがとう」 どちらも大切な言葉だが、自分に自信がないと相手に見捨てられないためにこの言葉を使いすぎる。 「自分なんて…」という不安を抱えたまま大人になると、反射的に使ってしまう。自分が悪くなくても、言いたくなくても使ってしまう。 だから、言うたび自分の心が削られる。
「生きているだけで価値がある」 という感覚は、子どもの頃に親が与える。何か出来ても出来なくても、あなたはそのままで愛されると親が教える。 ACは、「生きていてごめんなさい」という感覚に襲われやすい。何か出来たり、誰かの役に立てないと「自分に価値がない」と思い込まされてきた弊害。