勇気を出し、過去の苦しみを打ち明けた時。 親から「いつまでそんなこと言ってるの」と呆れられることがある。「大人になったら?」「親にも事情があったんだよ」と、周囲が親の味方に付くことも多い。 でも、自分を責める必要はない。大人になっても影響するような出来事があったのだと思って良い。
家庭内で「怒り憎しみ悲しみ」を出せず、内側に抱えたまま成長することがある。 でも抱えるにも限界がある。ある日突然、抑圧された感情が溢れる。いつもイライラするようになる。 これらの感情を表に出せない場合、「そもそも感じない」ようになることもある。自分がよく分からない、につながる。
みんなと協力して、わいわい話しながら「何か」を作るのが得意な人がいる。 1人でコツコツと、自分なりのペースで「何か」を作るのが得意な人もいる。 「みんな一緒」が良いとされる日本では、後者のタイプは苦労する。自分らしく生きようとするだけで周囲から批判され、次第に自分を出せなくなる。
アダルトチルドレンは、大事な場面で泣いてしまうことがある。 「泣けば済むと思って」「すぐ泣く」と涙を武器にしていると勘違いされやすいが、泣きたくて泣いているのではない。 気持ちを否定された過去、さらには本音の抑圧期間が長ければ長いほど勝手に涙が溢れる。 故に物凄く悔しい思いをする。
断われない、他人優先、人との距離感に悩む… ACと、そうではない人が抱える悩みは同じものが多い。 でもその傷の深さが全然違う。 ありのままの自分を受け止めてもらう時期に親を受け止め、自分を大切にすべき時期に親を優先し、「与えられるはずのものを自分で身に着けていく」過程はあまりに重い。
「やりたいことが分からない」原因は、幼少期にあるのかもしれません。 親の機嫌をうかがう日々は、自分で考え行動する力を奪います。考えても意味がないと思うようになります。したいように行動すると、怒られてしまうから。 自分の心を守るために「欲を抑え込んでしまう」ことがあるんです。
理想の親子関係は『肯定』から生まれる。 初めて出会う人間(親)から肯定されることで、子どもは自分を肯定する方法を知る。「ありのままで生きている価値がある」と自分自身を肯定できるようになる。 でもACの場合、子どもが親を肯定しなければいけない。 自己肯定感が低くなる理由は、ここにある。
ドアを乱暴に閉めたり、大きなもの音を立てたり、ドン!と荷物を置いたりされることがある。 理想的な家庭で育った大人なら、「何か嫌なことがあったのだろう」と思える。 でもACは、子どもの頃から「親が怒っているのは私のせいかも…」と自分の原因を探してきた。このクセが大人になっても残る。
親に遠慮して生きてきたACが、大人になって人間関係を自ら壊し後悔することがある。 相手を好きで理解したいし、大切にしてずっと一緒にいたいのに、感情的に攻撃してしまい自己嫌悪に陥る。 「好き」の言葉を信じられず、愛が分からず苦しみ、大切な存在がいつか自分から去っていく恐怖を感じる。
馴染みのある言葉は、受け取りやすい。 子どもの頃に「誉め言葉」をたくさん受け取った人は、大人になっても誉め言葉を信じることができる。 だが子どもの頃、「否定」をたくさん受け取った人は、大人になっても同じような言葉を全力で受け止めてしまう。 100の誉め言葉より、1の否定が心を蝕む。
怒っている自分が嫌になったり、イライラ続きで苦しくなった時は、相手ではなく『怒っている自分』を許してあげて。 怒りの状態が苦しいのは、怒る事に罪悪感を持っているから。嫌いなアノ人がよぎったり、自分が嫌な奴に思えるから。 「怒るほどのことがあったんだ」、と一旦受けとめてみてほしい。
ACかも?毒親かも?機能不全家族なのかも… 気付いて調べ出すと、もっと酷い環境で生きてきた人を知り「私は大したことない」「もっと酷い人がいる」と思う事がある。明らかな虐待を受けてないとそう感じやすい。 でもその思考こそが影響の1つ。生きづらさの原因。 心の傷は目に見えないだけ。
アダルトチルドレンは、自分には価値がないと感じる『無価値観』を抱えやすい。誰かに認めてもらう為、足りない価値を何かで補わなければと思う(補償行為)。 「生きていていい」「ここにいていい」と実感する為でもあるから、疲れてもしんどくても「やらなきゃ」と自分を追い込んでしまいやすい。
「自己肯定感が低いのは悪いこと」と捉えられるような情報が増え、「高めたい」という人が増えている。 自己肯定感は低くても生きていける。 一生懸命高くしようと無理しすぎたり、「低いのはダメ」という情報そのものが、「今の自分はダメ」という自己否定に繋がりあなたを苦しめていることもある。
家族の中で疎外感を感じていたり、兄弟姉妹の方が大切にされていると感じたり、いつも誰かと比較されていたり、家庭環境が「私なんて」に繋がってしまう。 転んだ時に笑われた、給食を全部食べられず辛かった、友達に悪口を言われたなど、子どもの頃の嫌な記憶が「私なんて」に繋がることもある。
何か決める時。 「どれでもいいよ」と相手に譲り、「ちゃんと考えて」と相手を怒らせてしまうことがある。 でもACの場合、「どれでもいい=何も考えていない」のではない。相手が何を選んでほしいか、どう思うか、どれを選ぶべきか、ベストは何か…考え抜いた結果「どれでもいい」に至ることがある
<ACが抱えやすい心身反応> ・頭痛  ⇒ずっとそうだからそれが当たり前という人も ・肩こり  ⇒首の裏が慢性的にパンパン ・歯の食いしばり  ⇒ストレスから無意識に。とにかく顎が疲れる ・皮膚炎  ⇒アトピー、一時的に出る蕁麻疹等 ・自律神経の乱れ  ⇒うつ症状、過呼吸、神経性胃炎など
「こんな私だけど愛してくれる?」と試し行動をとることがある。 「こんな私を好きなわけがない」「いつか離れる」と不安を感じ、自ら関係を断つことがある。 心の内側では「こんな私も含めて受け止めてほしい」と願うが、「家族でさえ受け入れてくれなかったのに」という思いがブレーキをかける。
断われない、本音が言えないと悩むことがある。 そうではない側の人から、「嫌なら言えばいい」「やらなければいい」と簡単に言われることがある。 だが本人だって、わざわざ我慢を選んでいるわけではない。 子どもの頃からそのような立場にならざるを得なかったから、やむを得ずそうなっている。
無視されていなくても、無視されたと思う。 愛されていても、愛されている実感がもてない。 注意されると、否定されたようで苦しい。 「私は誰からも必要とされていないのでは…」という不安を抱えているとこのように感じやすい。 これはあなたの性格のせいではなく、幼少期の心の傷がもたらす不安。
アダルトチルドレンの「まだ大丈夫」は、理想的な環境で育った人の「もう無理」「もう限界」と同等。 だから「まだ平気」と思って頑張り続けると、伸びきったゴムがブツッ!とちぎれるように急に限界がくる。 「私なんて…」という思いを抱えている場合は、倒れてもなお自分責めてしまう傾向が強い。
何も出来なくて辛い、と思うことがある。 そんな時に「何なら出来るか」は考えなくていい。 何もできないのは「今は休め!」という体からの緊急命令だから。辛い環境で心がマヒしたあなたに体が教えている。 「何もできない⇒何もしたくない」になるまでまず休む。次に「何かしたい」が出てくるから
「朝起きた時からしんどい」という人がいる。 何もしていないのに既に疲れている。気がついたら夕方で、落ち込む事もある。 これは身体ではなく「心(脳)」が疲れている状態。これ以上無理しないように、脳が行動をストップさせる。一種の防衛反応。 やる気の問題ではなく、動きたいけど動けない状態
・丁寧に過ごす ・自分磨きをする ・自分時間を楽しむ 悩んでいる時、このようなアドバイスされることがある。 これらは気持ちの切り替えに効果的だが、辛くてどうしようもない時は『そんなの無理』。 そんな自分に落ち込む必要は無いし「それだけ辛いんだ」と思っていい。何もしないが必要な時もある
・どうせ何も変わらない ・何をしても無駄 頑張っても結果が出ないことを繰り返しているうちに、「挑戦しよう」という気持ちさえ出なくなり諦める(学習性無力感)ことがある。 結果がどうであれ頑張った過程を褒めてもらえたか、結果だけ重視されたのか… 過去が及ぼす影響は、想像以上に大きい。