辛い過去に向き合うには、体力、安全な環境、受け止めてくれる人、心の準備が必要です。 誰かに言われて、誰かのために、自分の気持ちを抑え込んで、嫌な過去を手放すと後悔します。 「焦らない」が解決の近道になることがあります。 人にはそれぞれ「物事に向き合うタイミング」がありますから。
アダルトチルドレンだと気がついていないACは、自分を責める。 生きにくいのは自分のせい、人を信じられないのは性格のせい、病気や体調不良は管理不足、もっと心が広ければ、強ければ違ったのにと。 頑張っても変われないのは努力が足りないからではない。 原因があなたではなく家庭環境だったから。
小さな失敗でとことん落ち込んでしまう、と悩むことがある。 周囲には「そんなことで?」「気にしすぎ」と言われることもあるが、そう単純ではない。 過去の失敗が蘇って責められているように感じたり、過去に怒られたり見捨てられたように感じた経験があると恐怖も加わるのだから。
「過去は忘れて前に進もう」「気にしなくていい」「もっと楽に考えよう」「自分を責めないで」「人に甘えていい」とアドバイスされることがある。 …そんなこと本人が一番よく分かってる。そうできたらどんなに楽かと。 いつも頑張っている人ほど、「分かってるのに出来ない」と自責してしまう。
「相手の正解」を探す人がいる。 この人は何を言ってほしいのか、何をしてほしいのか…センサーフル稼働で正解を探す。子どもの頃からそうしてきたから無意識にやってしまうし、正解率も高い。 それに加えHSP気質があると、「ああすればよかった」「こう言えば良かった」と落ち込みやすい。
HSP気質を持つアダルトチルドレンは、周囲の空気を読むセンサーが勝手に作動する。しかもこのセンサーは手動でオフできない。疲れ果てて強制終了か一人になった時、驚くほど『無』の状態になる。 疲れやすい自分を責めることがあるが、「それほどのことをやっている」から疲れて当然と思っていい。
人にとって一番つらいのは「自分を見てもらえない」こと。 暴言や暴力と同じように、無関心や無視は人の心を深く傷つける。 「自分なんていてもいなくてもいいのでは」「誰にも必要とされていないのでは」という恐怖を感じるくらいなら、自分を苦しめてでも他人のために頑張る方を選ぶことがある。
子どもの頃から「いいこ」を求められすぎると、自立という名の「孤立」が家庭内で生じる。周囲には自立して見えるかもしれないが、子どもは心の中で孤独を感じる。 すると大人になって「満たされない何か」が膨らむ。 子どもには、依存が必要な時期がある。 自立と依存は真逆に位置するものではない。
本来なら変わらなくていい人が悩み苦しみ、悪くないのに追い込まれ、限界が来てカウンセリングを受けるケースが増えている。 だが、「自分を変えなきゃ」と悩む時点で、あなたはとても頑張っている。 疲れるのは、ちゃんと考えているから。あなたのせいで、そんな目に遭ったとは限らない。
沈黙が苦手、というACは多い。 相手を楽しませなきゃと思っている場合、相手が喜ぶ正解を探す。沈黙になると、何とかしなきゃと焦る。 どうせ自分と居ても面白くないだろうと思っている場合、沈黙が怖い。 自分が楽しいかどうかではなく、「相手にどう思われているのか」という不安が大きい。
アダルトチルドレンの親が「うちの子は反抗期がなかった」「私の育て方が良かった」と誇ることがある。あなたが立派に成長したのを見て、親が他人から褒められることもある。 でも本当は、頑張ったのは親ではなく「子供」。反抗期がなかったのではなく、安心して反抗できる環境ではなかっただけ。
相手が黙っているだけで、とてつもない不安に駆られるアダルトチルドレンは多い。 何か気に障ることを言ったかも、と自分の落ち度を探す。相手を楽しませなきゃと焦り、楽しい話題を探す。 私と居ても面白くないよね…と申し訳なくなったりする。 気を遣ってばかりの家庭環境で育つと、そう感じやすい
「自分らしさが分からない」、と戸惑う人がいる。 「聞き分けの良さ」や「お利口であること」、「大人の考える子どもらしさ」「可愛さ」を求められたり、愚痴の聞き役、何でも話せる友達のような役割を求められるとそうなりやすい。 等身大の自分でいられない家庭環境が、自分らしさを隠してしまう。
こんなに頑張っているのに。 こんなに気を遣っているのに。 こんなに我慢してくれるのに。 こんなにしているのに、誰も自分を受け入れてくれないと感じることがある。 「そのままの自分では誰にも愛されない」という思いが過去に植え付けられていると、何をどれだけ頑張ってもダメに感じてしまう。
どうしても合わない人がいる。 どれだけ話し合っても、分かり合えない人もいる。 一緒にいてラクな人もいれば、しんどい人もいる。 皆にとっていい人でも、あなたは苦手なこともある。 それが他人のこともあれば、家族のこともある。 自分にとって一番近い家族が、精神的には最も『遠い』ことがある。
助けてほしい時に守ってもらえず、話を聞いて欲しい時に冷たく突き放され、放っておいて欲しい時に限って過保護に指示される… このような環境で育つと、自分自身の感情を内側に抑え込んで蓋をしてしまうようになる。 「私のことなんて誰も興味がないのでは」と思い込んだまま大人になることもある。
親の選んだ狭い世界で生きてきたのでは…と気がつき、ショックを受けることがある。 親に伝えたところで、「あなたが選んだ」と一蹴されてしまう。 自分で選んだと信じてきた人生が、実は親が用意したものだったり、決められた選択肢からしか選べなかったり、うまく誘導されていたことに気がつく。
「人を信じられない」と悩むことがある。 そんな自分を責め、人としておかしいのではと追い込むこともある。 人間関係の基礎は親子。 この世で初めて出会う親を信じられなければ、人を信じることが出来なくなるのは当然のこと。あなたはおかしくない。
毒親育ちは、親の毒に気がついてからの方が苦しい。 愛情だと思い込んで心を麻痺させていたのに、毒だと知ると苦しくなる。怒りが出ることも多い。 愛されていないのでは、必要とされていないのではという不安が膨らみすぎて、「考えすぎかも」「もっと酷い人がいる」と辛い心に蓋をすることもある。
疲れたのは、あなたなりに頑張っているから。 寝てただけ? 寝るのも予定の一部。それに、寝るのも体力使うんですよ。 特に何もしてない? だけど色々考えたでしょう?脳も体の一部。疲れるんですよ。 今日は「あ~疲れた」の代わりに、「あ~頑張った」と言ってみる。 疲労感が満足感に変わるから。
子どもの頃に幼児的願望(見てほしい、褒められたい、かまってほしい)が満たされていれば、失敗しても劣等感は持たない。でも満たされていないACは、成功しても劣等感がある。 幼児的願望が満たされていれば、人より劣っていても劣等感は持たない。でも満たされていないACは、優秀でも劣等感がある。
「本当にしてほしい事や、本当に欲しいものが言えない」という人がいる。 これは高すぎる、今は忙しそう、これを選んでほしいだろうなと、空気を読む。子どもの頃から無意識にそうしていた、という人が多い。 ダメだった時の悲しみや絶望感を痛いほど知っているから、そうまでして言おうと思わない。
<ACが抱えやすい気持ち> ・自分のせいで… ⇒我慢することで、家族の平和を保ってきた人に多い ・自分なんて… ⇒親に「ありのままの自分」を受け入れられてもれない事による無価値観 ・恵まれていることへの罪悪感 ⇒過干渉の場合に多い。嫉妬されることへの恐れ、どうせ理解されないという諦め
・1日10回腹筋する ・1日5分の読書 ・寝る前はいい事だけ考える ・1日15分の朝活 小さなことの積み重ねは、自信につながると言われている。 だが、何もしたくない日もあるし、したいのに動けない日もある。それが続くなら心身が疲弊しているSOSサイン。 SOSを無視してまで積み重ねなくていいんだよ。
心のどこかで「私なんて」「どうせ」と思っていると、差し伸べられた手に気が付けなかったり、助けに気が付いてもその手をふりほどいてしまう。 もう自分のために生きていいんだよ。 まだそう思えなくても自分を責めないで。 それほどの環境で生きてきたってことだから…。 今まで頑張ったね。