「人のせいにしているだけでは」と苦しくなる人は、むしろ一人で背負いすぎている可能性大。 「甘えなんじゃないか」と悩む人は、その逆。もっと人に頼っていい。 「何で頑張れないんだ」と責める人は、既に十分頑張っている人。 考え悩んでいる人で、本当にダメな人は見たことがないからね。
アダルトチルドレンは、何かに依存することで自分を保つことがある。 過食、アルコール、ゲームやギャンブル依存は、現実が過酷すぎる場合の一時的な逃避。 SNSやセックス依存は、自分の価値や存在の確認。必要とされていると知り安心したい。 依存は逃げでも弱さでもなく、生きるための1つの手段。
一人反省会で落ち込み、そんな自分を変えたいと思うことがあるかもしれない。 でも、落ち込む事がダメなわけではない。 「言い方が悪かった」「ああいえば良かった」と思うのは、あなたが誰よりも相手の気持ちを考え、丁寧に言葉を選んでいるから。 「こんなに落ち込むほど頑張った!」と思っていい。
「嫌」「したくない」が許されないで育つと、大人になっても断れなくなる。しんどいのに我慢する。 「したい」「好き」を否定されて育つと、大人になっても言えない。否定される怖さが勝つ。 甘えとか他責とかそういうことではなく1つの事実として、許されて育った人たちの何倍もそれらが難しくなる。
<生きるのが楽になる5か条> 1.○○しか出来なかった⇒○○はできたと思う 2.気分が下がる情報は見ない 3.否定ばかりする人からは離れる 4.人と比べない 5.まだ元気なうちに休む ACは無意識に真逆の行動をとってしまう。 子どもの頃、大人達があなたに求めたように自分自身に厳しくなる。
<アダルトチルドレンが抱えやすい心の状態> ・褒められて戸惑う(嫌悪、疑い、喜べない) ・~べき思考 ・深読みする(言葉の裏を読む) ・白黒思考 ・ポジティブな言葉への拒否反応(ありのまま、自分を大切になど) ・どうせ私は…と卑屈になる ・人との距離感に悩む(依存、急に関係を断つ)
・イエス、ノーを言えない ・嫌なのに断れない ・したいことが分からない ・ワガママを言えない ・平気じゃないのに「大丈夫です」と言う ・幸せにしてくれそうな人ではなく「大切にしない人」を選んでしまう 子供の頃、大人に迷惑をかけないよう我慢した経験が多いと、このような悩みを抱えやすい。
誰にも邪魔されることなく、1つのことに集中して黙々と取り組むのが好きな人がいる。 「何を考えているか分からない」などと勘違いされやすいが、人嫌いなわけではない。 こういった人が学校や職場など、組織の中に押し込められると窮屈さを感じる。集団行動ありきの社会は、とにかく疲れてしまう。
もっと興味を持ってほしかった。 私だけ見てほしかった。 もっと話を聞いてほしかった。 褒めてほしかった。 もっと抱きしめてほしかった。 このような思いが満たされないまま、大人になることがある。 与えてもらえるはずのものが「与えられなかった」心の傷は深い。周囲に求めたくもなる。
誉められても素直に受け取れない、という人がいる。 子どもの頃、褒められるより否定された回数が多い人の場合、褒められるわけないと思い込んでいることもある。 例えば「考えすぎ」「神経質」「受け流せ」と否定されて育つと、『真面目』という誉め言葉も嫌になる。 それほど環境の影響は大きい。
暴力やネグレクト、酷い言葉を浴びせられた人だけがアダルトチルドレンになるのではない。家庭内がいつもピリピリしていたり、親の態度から「愛されていない」「私なんていなくてもいいんだ」と感じ取る場合も同様の傷を負う。 まだマシ、もっと酷い人がいる、これくらいで…と思う必要は全くない
「大丈夫?」という励ましが、「あなたに出来るの?」「頑張りが足りない」に思えてモヤッとすることがある。 相手が心配から「頑張りすぎ」「休んだら?」と言ってくれても、自分を責められているように感じることがある。 励ましが少ない環境で育つと、『励まし』に無意識に拒否反応が出やすい。
「愛されていないかも」「どうせ分かってもらえない」など心に深い傷を負っていると、誰かに見捨てらえる不安を常に抱えやすい。 自分の気持ちや欲求よりも、「客観的に見て正しいかどうか」「何ならしても批判されないだろうか」ということを重視するようになるため、イライラや不満が蓄積される。
攻撃欲の裏に支配欲が隠れていることがある。 支配欲が強い人ほど、ターゲットを集団の中で激しく攻撃しする。「ダメな人」「おかしな人」「使えない人」というレッテルを貼り、自信を失わせ、その人の味方を奪う。そうすることで無気力にさせる。 これは学校や会社だけではなく家庭内でも起こり得る。
「親子問題=母」というイメージがあるが、実は父の影響も大きい。 父親が頼りない場合、子は母親のイライラ先になったり、愚痴を聞くなど大人としての役割を求められる。 父親が母親を傷つける人の場合、子は「強くならなければ」と思う。 父親が実質不在の場合、家族を支えようと背負うこともある。
「今」を心から楽しむのが苦手な人がいる。 自分が楽しそうな時に親が不機嫌だったり、呆れられたりするとそうなりやすい。楽しむことがいけないことだと無意識に刷り込まれてしまう。 だからわざわざ不安な未来を想像したり、嫌だった過去を思い出して、楽しみすぎないよう無意識にブレーキをかける。
アダルトチルドレンは「疲れたら休む」が苦手。 動けるうちは動いてしまう。動けなくなるまで休めない。少し休んで動けるようになったら、また動いてしまう。 それほど「休むこと」への罪悪感が強い。 子どもの頃から「常に何かを頑張る」のが日常だから、頑張っているという意識さえないことも多い。
「親(大人)の顔色を見て行動する」というスキルは、家庭内では必須のスキルだったかもしれません。でも大人になって、その家から一歩外に出たあなたにとってそのスキルは、「今はもうそこまで必要のないもの」に変化しているはずです。 これからはもっと、「自分の顔色」を見ても良いのですよ。
「辛そうな人を見ているのが、辛い」と感じることがある。 相手の辛い気持ちが「まるで自分の気持ち」のようにダイレクトに入ってくる人は、いたたまれない。 辛さが分かるからこそ「助けてあげたい」と思うこともある。 幼少期に大人を助けてきた子ほど、「しなきゃ」と責任や焦りを感じやすい。
・好きな人に近づけない ・初対面の人はわりと平気 ・親しくなるのに抵抗がある ・親しくなると距離感に悩む アダルトチルドレンが、このような悩みを抱えることがある。 「親でさえ受け入れてくれないのに…」「本当の自分は受け入れられない」という不安を抱えていると、無意識にそうなりやすい。
幼少期、大人から否定されることが多いと『他人と頭の中で戦う』ようになる。 相手がこう言ったら自分はこう返して、相手が○○したらこう対処して…という風に、相手がいない時にひたすらシミュレーションする。 人生は楽しみではなく、日々戦いが続くことの「疲れ・苦しみ」への絶望感が膨らむ。
助けを求めるのが苦手な人がいる。 多くの場合は内面の苦しさを表に出さないため、周囲から「問題を起こさないおとなしくていい子」「悩みがなさそう」と思われている。 人間関係の基礎は、親子。 親を信用できず頼れなかった場合、他人も信用できず頼れないと思う。これは大人になっても影響する。
自分軸がない、自己肯定感が低いと悩む人が増えている。 「自分なんて」と卑下して自分に厳しくなりすぎたり、「価値があるならこんなに苦労しない=自分に価値がない」と追い込まれる。 励まし、応援、あなたなら出来るという信頼が不足したまま大人になるとこのような葛藤を抱えてしまう。
アダルトチルドレンは無意識に、親ではない誰かに「親の愛」を求めることがある。 恋人や友達に、親から貰いたかった愛情を求める。絶え間なく「好き」を実感できないと不安になったり、試し行動をとることもある。 「認めてほしい」が満たされていない場合、依存し過ぎたり尽くしすぎてしまう。
子どもの頃に「信じて裏切られた経験」があると、周囲からの愛情を素直に受け取れなくなる。 再び苦しまないよう、相手に期待することをやめる。期待しなければ傷つかないから。 「素直じゃない」と言われることもあるが、そうではない。相手を傷つける意図もない。 これは、心を守る防御反応の1つ。