誰かの言った何気ない一言が、頭から離れないことがある。 考えすぎだ、と言われ落ち込むことがあるかもしれない。 考えている自分がダメに思えるかもしれないが、そうではない。 あなたにとって考えるべきことが起こっているのだから、考えすぎではない。 一番大事なのは、自分を否定しないこと。
誰にも愛されていないのでは、消えてしまいたい、生きているだけじゃ価値がない、誰にも必要とされていない… ふとした時にこう感じることがある。 愛されたかった、必要とされたかった、もっと自分を見てほしかった… いままで満たされなかった気持ちが、「どうせ私なんて」に繋がってしまう。
「誰からも愛されたことがない」と感じるACは多い。 実際には友達、恋人、身近な人など、あなたを愛してくれている人がいることもあるのだが『気づけない』。 心の奥底で親の愛を求めている場合は、誰かに愛されていても「愛されている」と実感できない。何となく満たされない。不全感が邪魔をする。
家族を大切に想い、自分のことより家族を優先し、家族のために尽くしてきた人ほど、誰かが求めている「自分像」を演じるのが得意になる。 これは初対面の人と仲良くなるのが得意なACに多くみられるが、彼らは人と親しくなるのが怖い。 その人の為に演じた自分像と「本当の自分像」との違和感に苦しむ。
話を聞いてもらえない、決断を否定される、何でも勝手に決められるような環境で育つと、自分の決断や想いに自信が持てなくなる。 虐待・暴言などの明らかに酷いことがなく、普通の生活をさせてもらっている場合は、生きづらさの原因が過去にあっても「人のせいにしているだけでは」と自責しやすい。
・親の電話に出ない ・親と会わない ・親のLINE既読スルー ・親の頼み事を断る ・親の意見にNOを言う 理想的な家庭で育った人は「嫌なら断れば?」と軽く言う。 でもACは、断わった後の大変さを知っているから「そんなこと出来ない」「無理」と思う。 我慢する方が平和だと、経験から知っている。
大きな物音が怖い、と悩む人が増えている。 静かにしなきゃと大人しくする、機嫌を直さなきゃと焦る、自分のせいかもと不安になるタイプなど色々ある。 過去に、大人達が物に八つ当たりするのを見聞きしていると、大きな物音に過剰に反応してしまう。大きな物音と「恐怖」が結びつきビクッ!となる。
不安は、怒りに変わりやすい。 例えば、好きな人から連絡がなくて不安な時「寂しい」という気持ちは「怒り」に変わることがある。 自分を曝け出せる相手の場合は、そのまま怒りをぶつけて関係がこじれることがある。 そこまでの間柄ではない場合は、嫌われない為に怒りを抑圧する。どちらも苦しい。
普段穏やかだが、ちょっとしたきっかけで攻撃的になってしまう人がいる。 子どもの頃から、自分を抑え込んでいる人に多い。 多くの場合そこに相手を傷つける意図はなく、防御の為にとっさに攻撃してしまう。 周囲の人間から無神経に干渉・詮索されたり、自分の内面を知られることに恐怖が出やすい。
人間関係のベースは親子。 理想的な環境で育つと、親から「心地よい人間関係の距離感」を教えられる。 だがACは、「すごく遠い」か「近すぎる」という極端な距離感を教えられる。だから人間関係で苦労する。 相手に全く心を開かない、もしくは急にすべてを曝け出しすぎたり、依存してしまう事もある。
「自分らしさ」が分からない人がいる。 親が何を考え望んでいるのかを推測し、自分の意見や選択肢を相手の為に変化させてきた人ほどそうなりやすい。 「あなたのため」「私に従えば大丈夫」という過干渉の場合も同じ影響を受ける。自分らしさや欲求を抑えなければ、その家でやっていけなかったから。
もともと大人しい性格の子もいる。 人と仲良くなるのにじっくり時間をかける子もいる。 だが「誰かに馬鹿にされた」経験から、大人しい性格になる子もいる。目立たないようにしたり、自分を出さないようにしたリ、おかしいと思われないように「本来の自分を抑え込む」ことで自分を守る。
あなたの言葉や行動を全否定する人から、「話し合おう」と言われたら要注意…! 『話し合う』の裏側には、「話せば私の言っていることを理解して、言うことを聞いてくれるはず」という思いが隠れてるから。 怖いかもしれないけど、責められても怒られても従わなくていいし納得しなくていいんだよ。
「こんなことが未だに影響を与えるの?」と思うような過去の出来事が、現在の生きづらさに関係していることが多々ある。 自分の欲しいものではなく「親が選んでほしそうなものを選ぶ」など相手の意図に沿うよう誘導され続けた結果、「自分が本当にしたいことが分からない」に繋がることもある。
基本的不安感(いてはいけない場所にいるという違和感)は、愛情面のトラブルに結びつきやすい。 不安や孤独感、自信のなさから、相手からしょっちゅう「好き」を貰わないと気持ちが持たない。昨日好きと言われても、翌日には不安になってしまう。 これは恋愛だけではなく、人間関係全般に影響を及ぼす
兄弟姉妹を持つ場合、『自分だけ』我慢を強いられることがある。親から直接言葉で命令されなくても、察して我慢する。 家計を考えて進路を選んだ、自分だけ門限が厳しかった、兄弟姉妹は些細なことでもよく褒められていた… 「我慢」が当たり前になったきっかけは、幼少期にあることが多い。
・好きな人にこそ近づけない ・初対面の人はわりと平気 ・親しくなるのに抵抗がある(時間がかかる) ・親しくなると距離感に悩む 「家族でさえ受け入れてくれないのに…」という漠然とした不安、「本当の自分は受け入れられないのでは」という不安や恐怖を抱えているとこのような悩みを抱えやすい。
楽をしたり、自分都合で休むこと罪悪感が出る人がいる。 「まだ頑張れるのでは」「迷惑をかけてしまうのでは」と罪悪感が出たり、「サボりと思われるのでは」「必要とされなくなるのでは」と居場所がなくなる恐怖に襲われる。 休むデメリットが大きすぎる場合、「限界まで休まない」を選択する。
「あの時言い返せばよかった」 「あの人酷い」 このように後になって怒りが出ることがある。 その場で言い返せなかった自分を責めてしまうことがあるが、怒りを出すには『怒りを出しても安全な環境』という前提条件が必須。 当時は、怒りを出せるような安全な状況ではなかったのかもしれない。
嫌いな人や辛い環境から、やっと離れて自由になれたというのに、「なぜか心が晴れない」「今も苦しい」と悩むことがある。 前に進めていないようで不安になるかもしれないが、これは1つの前進。 離れてやっと、自分の本音が出てきたのかもしれない。 我慢した気持ちが、出てきているのかもしれない。
「大人になってまだそんなこと言ってるの?」と呆れられることがあるかもしれないが、家庭環境は大人になっても影響を与える。 子どもが最初に所属する社会が「家族」。 家族の中の自分の在り方が、世の中に出た時の自分にリンクする。家族を信じられなければ、世の中の人も信じられなくなりやすい。
頑張りたいと思っても、身体が動かないことがある。 周囲の人に「甘えだ」と言われることもあるが、違う。 「頑張らなきゃ」と思ってずっと生きてきた人が、頑張れないと思うなら心と体が限界に近い。 頑張れない自分を責めてしまうような人が動けないなら、今頑張るべきは「なんとかして休む」こと。
アダルトチルドレンは、何かに依存することで自分を保つことがある。 過食、アルコール、ゲームやギャンブル依存は、現実が過酷すぎる場合の一時的な逃避。 SNSやセックス依存は、自分の価値や存在の確認。必要とされていると知り安心したい。 依存は逃げでも弱さでもなく、生きるための1つの手段。
人は疲れていると『イヤなヤツ』になりやすく、元気な時には『良い人』になりやすいんです。 実はこれ、自分にも当てはまります。 疲れてくると、いつもなら特別気にならない人や良い人を、『イヤなヤツ』と感じやすくなります。 あと半日、「イヤなヤツが多いなぁ…」と思ったら休憩の合図です☺️
○○しないと認めてもらえない、○○すれば愛される… ACが教えられる愛情は「○○なら」という条件付き。だから頑張りすぎる。そのままの自分では愛されるわけがないと思うから。 愛は自由で心地よいものでなく、いつ失うか分からない不安定なものだと思う。いつか相手が去っていく恐怖を抱えている。