あれもこれも辛かったと思っていいし、本当は悲しかった寂しかったし、ああして欲しかったこうして欲しかった…と思っていいんですよ。 「未だにこんなこと言ってるなんて…」と責める必要なし。 だって当時蓋をするしかなかった気持ちに、今やっと気がつけたのですから。 これは、「できた」です。
親に愛されていない人だけが、ACになるのではない。 親なりに愛してくれていても、ACになることはある。 親の望む通り振る舞うことを求められ、それに応えているうちに「自分」というものがわからなくなる。気がついた時には、親の理想から外れることが怖くなり、自分の決断に自信が持てなくなる。
自分を受け止めてもらえる環境で育った人は、世の中には味方がいると感じる。 だが逆の環境で育つと、世の中は敵だらけだと警戒しやすい。 それは人間関係のベースが親子だから。 初めて触れ合う世の中が家庭だから。 親子関係や家庭環境が、世の中や人間関係のイメージにダイレクトに結びつく。
考えるのが苦手な人がいる。 グルグル悩むことは多いが、「自分の考え」や「どうしたらいいのか」について考えようとすると混乱する。何も出てこなかったり頭が真っ白になることもある。 幼少期に「お母さんの言う通りにやれば間違いない」と言われていたり、自分の考えや行動を否定された子に多い。
大切な人から『ありのままの自分』『自分の好きなもの』を拒絶され続けると、自分自身も同様に『ありのままの自分』を拒絶するようになる。 「自分を好きになりたい」「認められたい」と願いながら、無意識に「こんな自分じゃダメ」と自分自身を拒絶するから苦しくなる。
アダルトチルドレンかどうかは、見た目では分からない。 幸せな家庭で育ったように思われていたり、いつも笑顔で優しかったり、堂々として頼りになったり、社交的だったり・・・繊細や悩みなんて言葉とは無縁に見えることも多い。 でもそれこそが、過去に培った『自分を守るための重たい鎧』。
「人に迷惑をかけないように」と思えるのは大切な心掛けだが、子供の頃からあまりに強く言われ過ぎると『人に頼れなく』なる。 困ったことがあっても自分ひとりで解決しなきゃと思ったり、「助けて」「手伝って」が言い出せなくなってしまう。 簡単に助けを求める人にイライラが募ることもある。
・頼りない父(子が父親代わりになることも)&過干渉の母 ・威圧的な父&従う母(愚痴は子に言う) こういった環境で育つと、子は精神的に自立せざるを得ない。 やさしくて責任感のある子ほどそうなりやすい。 大人になった時、ある程度自分で出来てしまうからこそ、甘えたり頼ったりが苦手になる。
相手を好きか嫌いかより、相手に「好かれているか嫌われているかで判断してしまう」と悩む人が増えている。 幼少期からワガママを抑えてきた人は「好きか嫌いか」さえ分からなくなる。「根はいい人…」と好きになろうとする。 好かれるためではなく、嫌われないために行動するから疲れてしまう。
HSP気質の人は、イライラしている人や怒っている人が傍にいると疲れてしまう。相手の感情が、まるで自分のもののように入ってくる。 だが、感情が入ってきた後に何を感じどう行動するかは、ACなど後天的なものが影響する。 してあげたくなる、しなきゃと思う、焦る、怖がる、不安になるなど色々ある。
「ありのままの自分じゃ愛されない」と感じる人ほど、自分が存在することの理由を探し求める。 不安を和らげるため、自分のことより人の為に頑張る。誰かが喜んでくれたら、そこにいても良いと思えるから。 人の役に立ち何か出来なければ生きている価値がないと思い、休むことへの恐怖が膨らむ。
「どうしてそう思うの?」という質問を自分への否定に感じてしまう人がいる。 相手はただ質問しているだけなのだが、「おかしい」「変だ」と責められているように感じて心を閉ざしてしまう。 質問を「質問」として受け取れるのか、それとも「自分への否定」として受け取るのかは過去の影響が根深い。
愛されていないと感じたまま大人になると、心に埋められない穴があく。 親なりに愛してくれていても「求められている自分」を演じ、本当の自分を出せていない場合は同様の影響を受ける。 そのせいで「誰にも必要とされないのでは」と不安に駆られる。好かれる為よりも、嫌われない為に人に気を遣う。
モラハラ攻撃を受け続けると「自分がおかしいのかも」という錯覚に陥る。 どれだけ気を付けても怒られ、思いもよらない所で不機嫌になるため、相手について考えれば考えるほど混乱する。 人の習性として、考えても理解できない事を無理やり納得しようとする。だから、自分のせいと勘違いしてしまう。
あなたの言葉や行動を全否定する人から、「話し合おう」と言われたら要注意…! 『話し合う』の裏側には、「話せば私の言っていることを理解して、言うことを聞いてくれるはず」という思いが隠れてるから。 怖いかもしれないけど、責められても怒られても従わなくていいし納得しなくていいんだよ。
涙が出そうで出なかったり、心がモヤモヤ、訳も分からなく不安になるのは『頑張りすぎ』のサイン。 つい誰かのために頑張っちゃうし、人目も気になるからなかなか休めないんだよね。 「まだ大丈夫」「私しかいない」って無理しちゃう人こそ、心が穏やかになるまでちょっぴり休んでみよう。
ACは、大切な人との関係を自分から壊すことがある。 好きなのに傷つけたり酷い部分を見せて、試し行動をとる。不安から、関係を自ら壊して「ほら。こんな私なんて好きになる人はいない」と妙に納得することもある。 でも本当はそんな部分も含めて受け入れてほしい。だけど、受け入れられるのも怖い。
アダルトチルドレンは、人との距離感に悩む。 期待して傷ついた過去があると、自分からは近づかない。でも心を許すと一気に近づく。本当は誰かに受け入れてほしいという思いが溢れ、自分を曝け出しすぎて相手が離れてしまう事もある。見捨てられる不安や恐怖から、一方的に自ら関係を断つこともある。
「見捨てられ不安」があると、小さな子どもが親に求めるように愛情を求める。 「好き」を常に貰わないと不安になったり、自分だけ見てくれないと嫉妬から怒りが湧いたり、相手の言葉1つに心が揺らぐ。 満たされるはずのものが満たされないまま大人になると、それを他者に求めてしまうことがある。
苦手で嫌いな人なのに、「嫌われたくない(嫌われちゃダメ)」という心理が働くことがある。 「あの人は悪い人じゃない」「根はいい人」と思い込む事で、嫌わないようにする。 寂しさや自信のなさを抱えていると、それを少しでも満たしてくれる人・場所・物を「好き」と思い込もうとすることもある。
自分の心に嘘をつくことがある。 誰かを喜ばせるため、悲しませないため、受け入れてもらうために。 聞きたくない愚痴を聞き、泣きたいほどしんどいのに笑い、平気とごまかし、限界なのに大丈夫なふりをする。 子どもの頃に家族のバランスを保っていたり、親を喜ばせようと頑張っていた人に多い傾向。
「誰とも話したくない」「誰にも会いたくない」と思うことがある。 そういう日もあるし、そういう日が続くこともある。 そう思うほど疲れていたり、傷ついているのかもしれないから、そういう時はどんどん一人の時間を作る。 そんな自分をダメだと思ったり、責めたり落ち込んだりする必要はないよ。
限界まで頑張り続ける人がいる。 正しくは、限界のボーダーラインが分からない。頑張ることばかり求められ、休む事が許されない環境がそうさせる。 だから伸びきったゴムが切れるように、水がコップから溢れるように突然限界がくる。限界がきて動けなくなってやっと、強制的に休むことが出来る。
幼少期に大人から支配されすぎると、周囲に敏感にアンテナを張るようになる。 自分をコントロールしようとする人がいると、無意識に敵とみなす。親と同じような支配を感じると、心の中で即座に抵抗する。 とっさに相手を攻撃することもあるが、相手を傷つける為ではなく「自分を守るため」の防御から。
笑顔で対応、いつも優しく誰かのために率先して動き、尽くす… 愛されるために「本当はしたくないこと」でさえ頑張ってしまい、疲弊する人が増えている。 これは自分のダメな部分を補うことで嫌われないようにする「補償行為」によるもの。 自分に自信がない人ほど、頑張りすぎて疲れ果ててしまう。