悩みがなさそうに見える人がいる。 実は、悩みを見せないように相当頑張っている。深い悩みを抱える人ほど、だれにも相談できず一人で抱え込みやすい。 いつも笑顔の人もいる。 でも多くの場合は、悲しみや苦しみを笑顔で覆い隠している。心を元気にするはずの笑顔で、自分の心がすり減ってしまう。
自分の気持ちを出すことに抵抗を感じる人がいる。 「私はこうしてほしい」「私はこう思う」と伝えられず、「どうしてあの人は」「○○してくれない」と心の中で葛藤する。 直接言えないからこそ、頭の中で戦い続けてしまう。だから疲れる。 自分の本音を言いにくい家庭環境で育つとそうなりやすい。
辛い気持ちに蓋をしてしまう人がいる。 私より大変な人がいる、私よりキツい環境で生きている人もいる…と頑張りすぎる。 でもこれは既に限界ギリギリまで耐えてきた人の考え方。 大変さは比べられない。 「これくらいで…」と思う必要もなければ、他人に言われて頑張る必要はもっとない。
子どもの頃、本当に辛い時に助けてもらえなかった経験があると、「助けてほしい」「どうせ誰も助けてくれない」という両極端な気持ちが綱引きする。 アクセルとブレーキを同時に踏むようなものだから、体力も気力も消耗する。限界が来て、「誰も助けてくれない!」と怒りが爆発することも珍しくない。
「みんなが普通に出来ていることができない」「こんな弱い自分を変えたい」と苦しんでいる人が増えています。 今の感じている疲れは、これまでの疲れの蓄積。体も心も、それほど疲れているということ。 弱いどころか、これはむしろ「強さ」です。 こんなにしんどくなるまで、耐えてきたのですから。
アダルトチルドレン+HSP気質だと、気持ちの振れ幅が大きい。ものすごくポジティブな時もあれば、疲れ果てて誰にも会いたくないこともある。 落ち込む時は「今は回復の時」と思えばいいし、調子がいい時は「今の自分好きかも」と思ってみる。 どれが本当の自分か分からず戸惑うと思うが、全て自分。
誰かが不機嫌だと「自分が、何かしたのでは…」と不安になったり、誰かが疲れていると「私がもっと力になっていれば…」と落ち込むことがある。 子どもの頃から家族のために動くのが当たり前だった場合には、相手の不機嫌に気付いた時に「出来ていない自分を責められている」ように感じることもある。
アダルトチルドレンは、人との距離感に悩む。 相手に依存され過ぎたり、警戒しすぎて壁を作ったり、信頼できる相手に心を許しすぎてしまったり… 急に距離が近づくと怖くなり自ら関係を断つ事もあれば、酷い部分をわざと見せてしまい相手が離れていくこともある。 自分をどこまで見せていいか悩む。
「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」という言葉がある。 その通りだが、あなたがどれだけ頑張っても何も変わらず辛いままのこともある。 あなたを悩ませるその人は、あなたの為に変わろうとしてくれますか? あなただけが変わらなきゃいけないなんてルールはない。
問題が起こると「私、何かしたかな!?」と焦る人がいる。 子どもの頃になんでも自分のせいにされた経験から、「悪い事=自分のせい」と心のどこかで思い込んでいる。他人の失敗でさえ、やらかしたかも…と不安になる。 自分に責任がないと分かっていても何かしなきゃと心が焦り、落ち着かない。
自分の心に嘘をつくことがある。 誰かを喜ばせるため、悲しませないため、受け入れてもらうために。 聞きたくない愚痴を聞き、泣きたいほどしんどいのに笑い、平気とごまかし、限界なのに大丈夫なふりをする。 子どもの頃に家族のバランスを保っていたり、親を喜ばせようと頑張っていた人に多い傾向。
自分の気持ちを出すことに抵抗を感じる人がいる。 「私はこうしてほしい」「私はこう思う」と伝えられず、「どうしてあの人は」「○○してくれない」と心の中で葛藤する。直接言えないが、頭の中で戦い続けてしまう。だから疲れる。 支配的だったり、意見を言いにくい家庭環境で育つとそうなりやすい。
「私ばっかりやってる!」とイライラすることがある。 察するのが得意で先回りできてしまう人が抱えやすい。できることをやらないのは苦しい。 子どもの頃から人に頼らず頑張ってきた子ほど「私がやらなきゃ」と背負いすぎる。 大人を手助けして褒められてきた子は「やってあげたい」が強く出やすい。
「自分で自分の機嫌を取ろう」などポジティブな発信を見て、「私は出来ていない…」と落ち込むことがある。 今はそれほど疲れているんだと思って良い。 「1年で解毒しました」という人を見て、「私はまだこんなに影響を受けている…」と落ち込むことがある。 傷の深さがそれだけ違う、と思って良い。
皆に好かれようとしない、期待しない、依存しない。 この3つが出来るようになると人間関係の悩みは軽くなるが、大前提として『何があっても自分を受け止めてくれる場所』が欠かせない。 だからACは、悩みが尽きない。 何があっても頼り安心できる場所が、「ある」か「ない」かの差は大きい。
大人になって、自分の心の中にある「怒り」に苦しむことがある。過去を繰り返し思い出し、記憶の中でひたすらに戦う。頭の中で相手を攻撃する事もある。 子どもの頃、「いいこ」「大人しくてワガママしない子」ということが多い。 大人しさの陰に、どれほどの我慢があったのか大人は気づいていない。
ACは、本音を言わない。 正確には言わないのではなく「言えない」「言わない方が良い」と悟っている。過去に誰かを悲しませたり、怒らせてしまったり、離れていったり、頭ごなしに否定されたりと、後悔した経験を持つことが多い。 心を守る為、相手を傷つけない為に、「言わない」という選択をする。
遊びに行きたいけど、家にいたい。 一人になりたいけど、誰かに傍にいてほしい。 仲良くなりたいけど、自分のことを知られるのが怖い。 アダルトチルドレンは、両価性(1つの物事に相反する2つの感情を同時に抱く)が強く出やすい。 本人もどうしたらいいか分からず、大きなストレスを抱えてしまう。
「質問されるのが嫌」という人がいる。 周りの人の話を聞くのは平気なのだが、自分のことを聞かれるのが嫌だと感じる。質問されると責められているように思う事もある。自分を曝け出すのが怖い。 子どもの頃、「自分のワガママを減らすことで家族の負担を減らしてきた人」に多い傾向。距離感に悩む。
愛された、大切にされた、許された、受け入れられた、認められた…このような幼少期の環境が『自分を大切に』という感覚を育てる。何か出来なくても失敗しても、自分の価値は全く変わらないと知る。 なぜか自分を大切に思えないのなら、それらが不足していたり、真逆のものが与えられたのかもしれない
過去に感じた「疎外感」「無力感」「孤立感」は、時間が経ったからといって魔法のように消えてはくれない。 どんなに愛されても実感できなかったり、信じたいのに疑ったり、友情や愛情が「なぜか」続かないなら満たされていない何かがある。 だから「こんないい歳して…」なんて思う必要は一切無い。
「あなたが自分で選んだのでしょう?」「私は強制していない」と言われることがある。 相手が望むような答えを言い、喜んでくれるようなものを選び、相手の想いをひたすら汲み取ってきた人は、絶望感を味わう。 子どもの頃から家族に対し心を砕いてきた人ほど、他人にも無意識にそうしてしまう。
「八方美人」「誰にでもいい顔をする」と非難され、悩むACが増えている。 でも実のところ『好かれるため』ではなく、『嫌われないため』にそうしていることが多い。自分のためというより、相手を傷つけず、不快にさせないため、丁寧に言葉を選んでいる。 自分が得するためにそうしているのではない。
アダルトチルドレンは、人との距離感に悩む。 期待して傷ついた過去があると、自分からは近づかない。でも心を許すと一気に近づく。本当は誰かに受け入れてほしいという思いが溢れ、自分を曝け出しすぎて相手が離れてしまう事もある。見捨てられる不安や恐怖から、一方的に自ら関係を断つこともある。
しんどい時こそ、いつも以上に笑顔で頑張る人がいる。 気付いて欲しいけど、気付かれるのが怖い。だから心配をかけないように、怒られないように、弱さにつけこまれないように、周りがあなたの辛さや限界に気がつかないほど完璧に演じる。 本当に辛い時、頼れず助けてもらえなかった過去が尾を引く。