「好きです」と「愛してます」の違い。 好きは反応、愛するは意思。 好きは受動的、愛するは能動的。 好きは状態、愛するは行動。 好きはきらいになったら離れる。 愛するはきらいでも一緒にいる。 自らの意思でその人と共にいようとすることが、愛するということだと思う。
不安が強い、集中できないという「病気」を持つ人が、薬でそれが改善して「普通の人ってこんなに生きやすかったのか」と表現するのを何度かみてきたけど、ほんとうに、可視化されていないハンディキャップって怖い。性格なんて言葉で片付けられている現状がとても怖い。
弱さとか恥ずかしさとかって、全部「他人の目」ありきなんだよな。誰の目なんだろうねそれは。誰の目がインストールされちゃってるんだろうね。必要なのかね。実在するのかね。実在したとして、自分の中でいつまでもその目を飼っておく必要が、本当にあるのかね。
最近、気づいたら自分史上、最も活動的なんだけど、意識したことといえば ・ハードルを思いっきり下げる これを徹底しただけ。 やる気がおきない作業は、5分、いや30秒、と、できるまで短くしていく。 運動できないなら家から出るだけにする。 片付けられないなら目についたゴミだけ拾って捨てる。
あなたがどんな仕事をしてるかとか、あなたが役に立つ人かどうかよりも大切なのは、「あなたが生き生きしているかどうか」だったりする。生命をほとばしらせている人はそれだけで周りを明るくする。だから楽しんでしまっていい。楽しんだ方がいい。「楽しめないよ…」というならまず、楽をしよう。
おのれの神経すり減らすやさしさの振りまき方をしてると、そういうやさしさが好きな人がよってきてしまう。だから、そういうのは極力減らしていきつつ、自分が楽しいと思えるやさしさに特化してがんがんばらまく。そうすれば、そのやさしさを心地良いと思ってくれる人が集まってくる。
「三日坊主で飽きてしまったら、またもう一回始めて、また三日で飽きれば良いじゃない。」昔ある人がこうつぶやいていて、すごく目から鱗だった。その通りだ。僕らはいつも、途中で投げた自分を責めてしまうけど、むしろ、始めようと思ったこと、そして、三日続いたことを、まずは褒めてあげるべきだ。
「もっとがんばらなきゃ」と思っているときは、すでにがんばりすぎである。
「他人を理解する」っていうのが、 「自分の中にある型にはめる」ということだと勘違いしている人、けっこう多い気がする。 「他人を理解する」っていうのは、むしろ 「相手の中にある型を知る」というほうが近いように思う。 自分を一旦捨てて、相手の思考と感情の型で、ものごとを見れるかどうか。
「今日は体調は良いのに、なんかやる気がでないなぁ」って……。 昨日、あれだけ神経使う打合せを乗り越えたのに? 一日中、心配事を抱えて仕事がんばったのに? 体調不良を押して一日働き抜いたのに? 神経使った次の日は、集中力がでない!これ当然!覚えといて!やる気でない自分を責めないで!
「褒められるかどうか」ではなく、「誇れるかどうか」という選択の仕方は良いな。「褒められるかどうか」で選ぶときは、そこに自分以外の誰かの意思が混じっちゃってるけど、 「誇れるかどうか」で選ぶときは、自分自身の、より根源的なセンスで選択できている気がする。
「昨日さぼった分を挽回しなきゃ」 どうやら、この思考からバランスを崩しやすいらしい。 この「負債を返済しなくてはいけない」という強迫観念が、MP(メンタルパワー)をごっそりもっていく。 さぼってしまったのは、一昨日に原因がある。それを分析したら、もう考えない。 今日はゼロから、丁寧に。
あなたがどんな仕事をしてるかとか、あなたが役に立つ人かどうかよりも大切なのは、「あなたが生き生きしているかどうか」だったりする。生命をほとばしらせている人はそれだけで周りを明るくする。だから楽しんでしまっていい。楽しんだ方がいい。「楽しめないよ…」というならまず、楽をしよう。
「身体が休息を求めて始めてから休憩したのでは遅い」というのをどっかで読んで、なるほどと思って1時間以内に必ず休憩を挟むのを徹底したら、ほんとにいつまでも集中できるようになってびっくりしてる。どんなに集中してるときでも一旦区切ることで、一日全体の生産性は確実に上がる。
実は「逃げる」ってけっこう創造性、創意工夫が必要で、「耐える」は何も考えなくてもできるんだよね。「逃げる」ために色々と考えたり行動したりして得た経験の方が、「耐える」ために色々と自分の脳をいじって考え方を変えたりしてじっとしているより、よっぽど健全だったりするんだよね…。
徹夜したり、お酒を飲みすぎたりカフェイン摂りすぎたりして自分の命を削っているとき「そんなことしてると寿命縮むよ」と言われてもピンとこないけど、「そんなことしてると体調崩したときのつらさがデフォルトになって、そのまま20年とか30年生きることになるぞ」って言われると一気にヤバみが増す。
自分にとっての排泄行為、つまり「デトックス」にあたる習慣を知っておくのすごい大事。ドカ食い、惰眠をむさぼる、エログロ漫画を読み耽るとか……。「整える」ために必要な習慣を、ただ時間の無駄、悪習慣、つってぜんぶ撲滅しちゃうと、その歪みは必ずどこかに現れてくる。
この人と話していると整うなぁーっていう人、たまにいません? もっとがんばらなきゃ、とか、癒やされるー、とかともちょっと違う、「整う」って感覚。 あまり印象に残らないから油断しがちだけど、自分が思っているより、ずっとずっと優先順位が高い存在だと思う。
「常に完璧を目指してしまう」タイプの人は、完璧なイメージがわかないと行動にうつせないので、経験値が不足しがち。とにかく手数を増やすために、「小さな完璧」をいくつもこなすクセをつけるのが良い。例えば「この1時間をベストなものにするには」といった考え方をする。
対策 ・起きたらまず「いちばんめんどくさいこと」に取り掛かる ・終わらせようとせず決まった時間だけ取り組む ・起床直後は意思力豊富なので、めちゃくちゃはかどる ・夜やるより時間が大幅に節約 ・「やらなきゃなぁ…」という罪悪感から開放される ・罪悪感をひきずるエネルギーが大幅に節約
・トラブルは起きます ・生活は乱れます ・体調も崩れます ということを大前提に、最速のリカバリースケジュールを自分の生活システムの中に組み込むのです。 不確定要素を計算に入れず、最高のパフォーマンスを発揮してる自分を基準にしたら負けなのです……そんなのは幻想だ……幻想なんだ……!
・トラブルは起きます ・生活は乱れます ・体調も崩れます ということを大前提に、最速のリカバリースケジュールを自分の生活システムの中に組み込むのです。 不確定要素を計算に入れず、最高のパフォーマンスを発揮してる自分を基準にしたら負けなのです……そんなのは幻想だ……幻想なんだ……!
相談には、感情の処理をしたい相談と、問題解決をしたい相談、2種類ある…のではなくて、「感情の処理」と「問題解決」が常に2層になっている。つまりどんな効果的な問題解決の手法をアドバイスしても、第1層の感情の処理が終わっていなければ、相手にはそのアドバイスは届かない。
たった30分で終わる作業を始めるのに3時間かかることだってあるし、時には何日もかかることだってある。たったこれだけのことをやり始めるのにどれだけかかってんだ…と嘆くのは意味がない。今の自分には、それだけの時間が必要だった。ただそれだけのことだ。
つくったものを人前に出すことができないときは、「人によく思われたい」系の自分が強めに出ちゃっているときなので、「恥かいてもいいや」系の自分を強めに出していくと以外とすんなり「もういいや出しちまえ」という気分になれるのかもしれない。今度試してみる