徹夜したり、お酒を飲みすぎたりカフェイン摂りすぎたりして自分の命を削っているとき「そんなことしてると寿命縮むよ」と言われてもピンとこないけど、「そんなことしてると体調崩したときのつらさがデフォルトになって、そのまま20年とか30年生きることになるぞ」って言われると一気にヤバみが増す。
「アウトプットする趣味」は大切にした方がいい。ゲームや動画鑑賞、さらには読書もそうだけど、インプットするだけの趣味はほどほどに。インプットしたらそれをアウトプットする趣味も欲しい。そして、アウトプットする趣味は、忙しいからといってないがしろにしてはいけない。
自分の承認欲求がどういう形をしているのか、知っておくことはけっこう大切。 ・自分自身を見てほしいのか? ・自分が作ったものを見てほしいのか? ・できるだけたくさんの人に見てほしいのか? ・限られた数人で十分なのか? 特にこの辺りは分析しておいたほうがよい。
格闘家の青木真也さんが、著書の中で「メンタルに強いも弱いもない。鍛えられるものでもない。誰だって凹むときは凹むし、メンタルが強そうに見える人はそういうときのごまかし方を沢山知ってるだけ。」といったようなことを言っていてなるほどみがすごかった。
「楽しそう」って思った事はすぐやる。「楽しそう」は本当に楽しいかどうかはわからないけど、「楽しそう」って想像しているときは間違いなく楽しい。でも、「楽しそう」って感覚は、放置しておくと腐って「めんどくさい」になる。だから一番美味しいときに味わっておいた方が良い。
自分の承認欲求がどういう形をしているのか、知っておくことはけっこう大切。 ・自分自身を見てほしいのか? ・自分が作ったものを見てほしいのか? ・できるだけたくさんの人に見てほしいのか? ・限られた数人で十分なのか? 特にこの辺りは分析しておいたほうがよい。
「怖いけど仕事はデキる人」って、感情のコントロールが下手な上に、相手が逆らえないのをいいことに威圧的な態度を使って仕事してる時点で人間としては所詮小物。 恐怖は生理的で自然な反応。怖くていい。しかしそんな相手に心まで屈する必要なし。しっかり見下しておこう。
3つ以上の居場所を常に持つべきだ。会社(学校)と家と、少なくとも、もうひとつ。趣味仲間でも勉強仲間でも何でもいいから、とにかく3つ以上の価値観を互いに監視させる。そうすると「サービス残業も仕方がない」「辛くても学校は頑張って通うべき」みたいな異常な考え方に、異常だって気づける。
正義が自分側にある時、人間の本性が出る という言葉がTwitterで流れてきて、たしかにその通りだなぁぁと思った。怒りに正当性と味方が加わると、人間はどこまでも残酷になれる。今回、自分の中にもそういう衝動があることを痛感させられた。正義を感じるとき、自分は残酷になっているかもしれない。
アイデアが思いつかないときは、「いいアイデア」をだそうとしているからで、「駄作をまずは10個くらい考えよう」って発想に切り替えると今度は面白いくらいくだらないアイデアがぽんぽん出てくる。はずみで面白いのがそこから生まれたりする。思考にブレーキをかけないで。
「親は子供を一日一回褒めるか褒めないかだけど、ゲームは1分に5回はプレイヤーを褒める。子供が勉強じゃなくてゲームを好きになるのは当然だ」スコアアップの音、win!の文字、どんどん増えるスコア。ゲームほど人の快感を研究し尽くし、活用してる産業ってほかにないんじゃないの
あまり干渉されず、ほうっておかれる方が安心するタイプの人と、 会話をして、相手のことを知ることで安心するタイプの人がいて、 この両者はネコと犬くらい違うからしっかり見極めないと、安心させるつもりがこわがらせてしまうことになる。
ネガティブ思考の人に何度も読んでほしい記事。 自分は変われない(永続性) 自分はどこにいっても同じ(普遍性) 自分が悪いんだ(個人度) という "説明スタイル" を "反芻" していると、"学習性無力感"に陥る。 まずは仕組みを知るところから。 jmatsuzaki.com/archives/26733
自称夜型人間の特徴 ・取り掛かるまでに時間がかかる ・「今こんなことやってる場合じゃない」という罪悪感が常にある ・そろそろ寝なきゃという頃に、罪悪感が爆発する ・この爆発を「やる気」と勘違い ・寝る時間を削って作業に集中 ・次の日、更に起きる時間が遅くなる ・自分は夜型と思い込む
正義が自分側にある時、人間の本性が出る という言葉がTwitterで流れてきて、たしかにその通りだなぁぁと思った。怒りに正当性と味方が加わると、人間はどこまでも残酷になれる。今回、自分の中にもそういう衝動があることを痛感させられた。正義を感じるとき、自分は残酷になっているかもしれない。
気持ちがよくないときって、「ないもの」に目が向いてるんだよね。やる気が「ない」。あいつはわかって「ない」。自分にはでき「ない」。その状態にハッと気づけると、あとはわりと簡単に、視点を「ある」ものに向け直すことができる。本来、「ない」ものより「ある」ものに目を向ける方が簡単なのだ。
依存と尊敬は違うと思う。 この人がいないと生きていけない、は依存。 この人がいなくても死にはしないけど寂しい、は尊敬。 特定の誰かに依存しないで済む程度の自律は必要で、そのきっかけになるのはやっぱり「趣味」だと思う。「好き」を起点とした人間関係づくりが、自律できる環境をつくる。
新しいことを学んでいるときに「今はわからなくても、いつかわかるようになる」という感覚を大切にすると、全体をざっくり捉えるのがうまくなり、「これが理解できる自分になるの楽しみすぎる……」というワクワク感が高まり、知らないことに焦らなくなり、無知ゆえの謙虚さを保った人格者になれる。
好きなことを仕事にしてみて最初の頃の、いちばんヤバい勘違いは「好きなことのはずなのにめんどくさいと感じるなんて、自分はもしかして、これのことそんなに好きじゃなかったのかもしれない」という思い込み。むしろ好きで大切で、妥協できないからこそ、めんどくさいと感じるのだ。
自分の承認欲求がどういう形をしているのか、知っておくことはけっこう大切。 ・自分自身を見てほしいのか? ・自分が作ったものを見てほしいのか? ・できるだけたくさんの人に見てほしいのか? ・限られた数人で十分なのか? 特にこの辺りは分析しておいたほうがよい。
「がんばれば何とかできる」ことをたくさんこなすよりも、「がんばらなくてもできちゃう」ことをほんの少しがんばってやれば、それが上達する。そんな日々を過ごせれば十分なのに「がんばれば何とかできる」ことばかりやりすぎてへとへとで「がんばらなくてもできちゃう」ことをサボるから上達しない。
行動しない言い訳あるある ・目標がない ・お金がない ・時間がない ・人脈がない ・やりたいことがない ・メンタルが整っていない ・身近な人が邪魔をしてくる このあたりを言い訳にしだしたらいったん内省して、「今ある範囲でできる行動、実験はなにか?」を考えて、小さく実行する。
サボることで、HP(体力)とMP(精神力)は間違いなく回復している。 だけど「さぼってしまった」という罪悪感は、呪いのように、じわじわとMPを削る。 この呪いは「いやーさぼっちゃった!スッキリしたー!」という開きなおりでわりとカンタンに剥がれ落ちるので、さっさと祓っておいたほうがお得。
無理する→生活乱れる→運動しなくなる、食生活も乱れる、睡眠も乱れる→体力減少→やれることが減る→さらに無理する→…… このサイクルに堕ちるのを防ぐため、 運動 食生活 睡眠 に気を配れる程度の余裕は、必ず残すように意識する。 むしろこの辺が削り取られ始めているときはかなりデンジャー。
・魅力的な人がいるかどうか ・お金をめっちゃくれるかどうか ・色々なことに挑戦させてくれるかどうか 会社がこのうちのひとつすら満たしてないなら一刻も早く逃げてほしい。 仲間、ゴールド、経験値、どれも満足に得られないクエストなんか挑戦しないでしょ!!ゲームから何を学んだんですか!!!