話が上手だな、と感じる人は、共通して質問が多い。ほんともう、これに尽きる。どうやったら相手に好かれるだろうかとか、おそらく多少は考えてるだろうけど、それ以上に「あなたのことをもっと知りたい」オーラがすごい。
ポンコツなままでいる覚悟おすすめ。 この覚悟があると、無駄な努力をしなくてすむ。 人に頼らざるをえないので、仲間が増える。 自分の得意なことに集中できる。 よりたくさんの人を喜ばせられる。
1分悩んで決断できないなら、何分悩んでも同じなので ・とりあえず今ある「まぁまぁ」な選択肢を選んで前に進む ・一旦決断して今日だけ、一週間だけ、一ヶ月だけ、など期間を決めて続けてみる といった発想がおすすめ。
「この人とは10年20年単位で付き合っていきたい」くらいの長いスパンで考えると、「今、無理して何かを一緒にやるべきではない」という判断もできるようになる。自分のレベルがもっと上がってから一緒に何かしたい。そう考えられるようになると、人付き合いに余裕がでてくる。
今進んでいる道が例え正しかったとしても、(あっちの道に宝箱があるんじゃないかな…)ってそわそわしながら進むのはやっぱ不健康な気がするのだ。たまには思いっきり間違った道に入り込んで「やっべやっぱり何もなかったわw」つって戻ってきて、すっきり顔で正しい道を進んだらいいと思う。
自分で「これくらいはできる」と思っている一日の作業量と、実際にできる作業量の間には、びっくりするくらいの差がある。一度でいいから、一日のすべての時間を計測してみるとわかる。そして計測しないとわからない。計測して自分につきつけないと、一生「やればできる」から抜け出せない。こわい。
「うまくいかないのが当然」ということをどうして忘れてしまうんだろうな。 何度も失敗を繰り返すことで、「こうするとうまくいかない」をひとつひとつつぶしていく。その繰り返しでいいのに。 そのためにはやはり、過程を楽しめなくてはいけない。結果だけをみていると、失敗を重ねることは難しい。
仕事をやめるとか、新しいことをはじめるとか、今までいた場所から違う場所に行くのは、ものすごく勇気がいる。 大きな決断をするときに必要なのは、今いる場所への不満と、新しい場所の知識と、挑戦する勇気。しかし、普通に生活していると、貯まるのは不満ばかり。
「あーまた、同じことで悩んじゃってるなぁ」ってことが多い人におすすめしたいんですが、そういうときに「いやでも、頻度は減ってきている気がするな……」と考えてみてください。少しずつ頻度が減っていれば、何回同じことで悩んだって別に良いわけです。
歩いているときの思考は前向きになることを発見して以来、煮詰まったときにとにかく何も考えず散歩に出かけることを心がけている。「あ、煮詰まった」と思った瞬間に玄関を脱出できるかどうかがカギなので、 ・帽子(ボサ髪を気にせずに済む) ・すぐ羽織れる服 ・鍵 をセットにして置いとくとよい。
「できない」を「できそう」にレベルアップさせる唯一最大最高の方法は、「今の自分でも間違いなくできる」と思える小さい行動を考え、それを実行すること。どこにでも書いてあるし自分自身何度もゆってるけど、これは何度言っても言い足りない。だから今日も言う。何ならできるかを考え、実行する。
考えても無駄なことを考えないということはとても大事で、そうやって限られた貴重な頭のエネルギーを節約して自分の大好きなものに振り向けないとあなたの推してるその素敵なものが成長してかないわけですよ。そんなどうでもいい上司や客(というふりをした他人)に、貴重なリソース使ってる場合か
自分は何ができるのかとか、自分は何が好きなのかとか、めちゃくちゃ考えてるけど答えがでないときは、自分はどんな人が好きで、どんな人の力になりたいかを考えると何か気づくことがあるかも。何、ではなく、誰、を考えてみる。
「できない」を「できそう」にレベルアップさせる唯一最大最高の方法は、「今の自分でも間違いなくできる」と思える小さい行動を考え、それを実行すること。どこにでも書いてあるし自分自身何度もゆってるけど、これは何度言っても言い足りない。だから今日も言う。何ならできるかを考え、実行する。
勉強って、インプットしている時間よりも「ちゃんとアウトプットできるかどうか」を確かめる時間の方がはるかに重要で、インプットの時間は集中力なんてどうでもいいからどんどん短くして、集中力なんかなくてもちゃんとアウトプットできるかどうかを時間かけて確かめた方がよい。
「好きなこと」の中には「人に褒められなくてもただそれをやることが好き」だけじゃなくて「人に褒められるから好き」という承認欲求が入り込んでいても別に全然問題ない。どっちでもよくね?自分を行動させてくれるなら。
不安との付き合い方がうまい人って、不安をどうにかしようとあれこれ考えすぎない。わきにのけておくのが上手い。不安との付き合い方が上手い人って、不安とあまり付き合わない。
「なんで他の人はできるのに、自分はできないんだろう?」は比べる対象が間違っている。ここでいう「他の人」とは、自分以外の全ての人たちではない。特定の誰々さんだ。あなたは誰に負けたくないのか。誰の目を気にしているのか。本当にその人と比べる必要があるのだろうか。
「いつもの自分」を変える一番簡単な方法は、「やろうやろうと思っていつも先延ばしにしてたこと」をやってしまうこと。いつもやろうやろうと考えていた内容を一個消すことで思考に隙間ができるから、必然的にいつもの思考が変化する。思考が変わると自分が変わる。どう変わるかはわからないけど。
人それぞれ思考回路って違うから、相手がものすごく些細でどうでもいいようなことをいつまでも悩んでいたとしても、それは相手の回路内ではとても重要なことだからこそ時間をかけて取り組んでいるのであって、それを尊重しないで軽いアドバイスなんかすると、相手はとてもがっかりしてしまいます
「あなたには幸せになって欲しい」というやさしい言葉には、 ・私の想定の範囲内で幸せになってください。 ・ただし私より幸せにはならないでください。 ・私を置き去りにして幸せにはならないでください。 みたいな異物が混入していないかどうか、たまにチェックすることをおすすめします。
あなたが心からうざったく思うその人も、100周まわって必要としている人がこの世のどっかにいるはずだから、その人を必要としている人に早めに出会えるように、さっさと距離を置くべきなのである。その人の時間を奪ってはいけないし、なんとかする必要もない。
依存と尊敬は違うと思う。 この人がいないと生きていけない、は依存。 この人がいなくても死にはしないけど寂しい、は尊敬。 特定の誰かに依存しないで済む程度の自律は必要で、そのきっかけになるのはやっぱり「趣味」だと思う。「好き」を起点とした人間関係づくりが、自律できる環境をつくる。
格闘ゲームがめちゃくちゃうまい友達に、「対戦しようぜ!めちゃくちゃおもしろいからさ!」って誘われて、でも負けてばっかで全然おもしろくなくて、資本主義の「めっちゃがんばれば仕事って超楽しいんだぜ!」っていうのもまさに同じ構造で、そりゃ勝てる人は楽しいよね、っていう。
取説の「故障かな?と思ったら」ってところに「コンセントが抜けていませんか?」とか書いてあるとバカにしてんのかって思うけど、意外と自分自身のこととなるとすっごい単純な原因もわかんなくなってたりするよね。「お腹が空いていませんか?」「寝不足じゃあありませんか?」