出来ないことが多いんじゃなくて、やったことがないことが多いのだ。まだ試してすらいないことが多すぎる。一生かかっても全ての方法は試しきれないというのに、数個の失敗を何度も思い出してあああってなってるの時間の無駄すぎる
「やりたいこと」が無くても、「やりたくないこと」ならいっぱいあるでしょう。「やりたくないことをやらない」というのも、けっこう立派な「やりたいこと」だと思う。
決定的にもったいない勘違いは、 ・全く努力をしている感覚がなく、 ・時間はあっという間に過ぎるように感じるし、 ・簡単に作業が終わってしまう。 そういう作業こそが本来「得意なこと」で、任されるべき仕事なのに、それを「さぼってる」と感じる勘違い。
もっと運動しなきゃとか、もっと勉強しなきゃとか、「これぐらいできなきゃだめなのにできない」って悩むのをやめるだけで、だいぶMP(メンタルパワー)が節約できるということに気づいた。これ、自分と他人を比較して消耗している典型パターン。「これぐらい」というのは、他人から与えられた幻想だ。
一日の中の「MPを回復するための時間」と「MPを消費する時間」の配分は変えられない。漫画を読む、アニメを観るといった回復の時間をへらして、勉強や仕事といった消耗する時間を増やせるわけがないのに、むりして失敗して、自分はダメだ、と凹んでいるときがある。そんなのできなくて当たり前だから。
安心できない状態に置かれると、私たちは不安を紛らわすためによけいなことをやって、時間をムダにするのです。 佐々木正悟 わかりみやばい。「やらなきゃいけないこと」が脳内に滞留していると、その中のひとつでも今からやりゃあいいのに、全く関係ないどうでもいいことをやったりしてしまう。
退屈を刺激で埋めようとするな。退屈は、刺激依存からの離脱症状だ。強い刺激で人生を紛らわせるな。強い刺激に慣れすぎているせいで、内面から発せられる声、とても弱いがたしかに自分自身の「やってみたい」という声、意欲の種である、その声に気づけないのだ。じっと退屈を享受せよ。
・誰にでも気を遣ってしまう ・頼まれると断れない みたいな自動発動系スキルって、ある時期の過酷な環境を生き抜くために仕方なく身につけた呪いのスキルなわけだけど、「無視」「断る」を訓練し、自動発動の呪いを解けば、好きな人だけを気遣い、好きな人に頼られるという最高のスキルだけが残る。
その人の全部を好きになるのって難しいっぽいので、嫌いな部分をなんとか好きになろうとするよりも「一生その部分は好きになれそうにないけどまぁ良いや」って開き直れると関係が一歩先に進むように思う。
「もっと力をぬきなよ」ってゆわれてもその力の抜き方っつーのがわからないんじゃ、という人におすすめなのは、全力で睡眠時間を確保すること。すべてを犠牲にして寝る。本気で寝る。妥協なし。力を抜く必要もないし体力も回復するし余計なことしなくて済むし、良いことづくめ。
本を読まねばならない。もっと勉強せねばならない。たくさんの人に会わねばならない。ねばならない。ネバならない。もうネバネバしてばっかりである。読みたい本があって、勉強したいことがあって、会いたい人がいたんじゃなかったの。
感情が乱れたときにいつも心掛けてるのは、「まずはお腹を満たす」こと。お腹すいてるときの感情は信用しないようにしてる。次に「精神の筋トレ中」って自分に言い聞かせる。これは筋トレ。精神が物凄く鍛えられてる最中なんだからしんどくて当たり前。一生懸命反省したら、あとはゆっくり寝る。
苦しい仕事をすると安心するんだよね。「これだけ苦しんでるんだから、自分は正しいことをしてるんだ」ってなんとなく思っちゃう。でも全然そんなこたあないんだよね。それに慣れちゃうと、安心するには苦労するしかなくなってしまう。
どんなことでも10年続けるとプロ並みの能力になるらしい。今から10年前、いくつでしたか。そのとき、得意だったのは何ですか。今でもそれは得意ですか。どんな些細なことでもいい、それはプロ並みの能力だ。その能力を活用できていますか。
人に頼ることは弱いことでも悪いことでもない。むしろ、自分一人でなんでも解決しようとすることの方が、ずっと臆病なふるまいだ。
例えば炎上している記事を読みたくなったり、不景気な業界を嘆く記事を読みたくなったりするのは、他人の不幸から今の自分を肯定するっていうすごく消極的な快感の得方なわけで、これによってけっこう大切な何かを消費している気がするからほどほどにしたい。まじで。
なぜ「自分に正直な人」が好かれるかというと、わかりやすいからだ。何に怒り、喜び、悲しむのか。何が得意で何が苦手なのか。ステータスがとてもシンプル。だからみんな付き合いやすい。正しいとか間違っているとかではなく、わかりやすいかどうか。 わかりやすい人は、選ばれやすい。
今年、妙に体力ないなぁって思ってたけど、これ運動不足と栄養不足でした。最初は散歩から始めて少しずつ歩数を増やし(スマホでカウント)、ランニングに切り替え、ジムに通い始め、栄養をちゃんと摂るようにしたら1日の長さが3倍位になった。運動と栄養、ほんと大事。
悩みながらも着々と前に進んでいる人って、 ・仮の決断 ・期間を決めて実行 している人が多い気がする。 答えが出ないような悩みも「たぶんこうだろう。こうだ、ということにしよう」と仮に決めて、「とりあえず一ヶ月間、これで試してみよう」と、悩むのもそこそこにとりあえず動き始める。
2、3日先の事を考えて不安になるときは、1ヶ月先、1年先、10年先のことを面白おかしく想像すればいいんだよってどこかで読んだやつ実践したら個人的にはわりと効果的だった。また不安になった時の自分のためと、今ちょっと不安な人のためにここに書いとく
多分、これから必要とされる能力って、沢山の人に好かれる能力じゃない。9人に嫌われても一人に好かれる能力。つまり、9人に嫌われても平気なメンタリティ。9人からの批判を乗り越えて、たった一人を喜ばせられるメンタリティ。そうやって嫌われながらも仲間を見つけだしていけるメンタリティだ。
「耐えられるかどうか」ではなく、「この苦しさだったら一生付き合っても良いと思えるかどうか」で考える。で、付き合いたくない苦しみからは全力で逃げる。色んな言い訳やアイディアや人脈を駆使して、逃げる。その逃げ様こそが、誰にも真似できない自分だけの生き様になる。
やりたいことなのに身体が動かん、めんどくさいと感じるのは、とにかく細かーいメンタルブロックがいっぱいこびりついてるからだと思う。そういう「誰かにこう思われたらイヤ」っていうゴミクズみたいなプライドを、ひとつひとつ丁寧に払っていくことで、ちょっとずつ身軽になっていくんだと思う。
「セルフブラック企業」なる言葉に強く感じ入るものがあった。英語として正しいかは別として、自分で自分の仕事を勝手にブラック化してしまう。勝手に残業。勝手に仕事のことばっかり考える。不安になる。。。知らずしらずのうちに、そういうことしてること、あるかもしれない。
もったいなくて捨てられない、というけど、愛情を注がれず、ただ空間を占有しているだけの存在としてずっと閉じ込められている方がずっともったいないと思いませんか、という言葉が眼から鱗だった。もったいないからとりあえず、は、物と向き合う思考を放棄しているだけ。