しんどい状況は、望んでないのにやってくる。しんどい状況のときには、「普段通りじゃない自分」が現れる。自分の弱さにしこたまがっかりするけど、しんどいときしか感じれないこととか、思いつかないこととかたくさんあって、しんどいときに得たものが結局、望むものを手にいれるための道具になる。
「めんどくささ」を感じる原因は ・ひとつひとつの作業が1分以上かかる ・何から手をつけていいかがわかっていない のうちのどちらかな気がする。なので ・一度にこなす作業は1分以内に終わるくらいに分解する ・「まず何からすればいいのかを考える」という作業を最初に入れる というのが効果的。
「褒められているときに自分でブレーキをかけない」というスキルは実はすっごく大切で、これは自分のためというより、せっかく自分の価値を褒めてくれている相手のためであって、正直コミュニケーションスキルの中でもかなり大事なスキルのひとつだと思うんだけど、これを練習するのがけっこう難しい。
「頭の中に理想の自分を思い描いて、そいつに今の自分の悩みについて相談するように文章を書く」これはもう誰が何と言おうと強烈に効果あるから何回も言い続けます。何か小説とか書いてる気分でやればいい。たぶん自分を客観的に見られるから、自然と解決策が浮かんできやすいんだろうなー
やるべきことを、時間単位で予定にせずに、極力「作業量」で予定にする。30分勉強するのではなく、30ページ勉強する。そして空いた時間でやりたいことをやる。こうすることで、時間を生み出すために驚異的な集中力が発揮されるとともに、クオリティを損ねずに時間短縮する創意工夫が生まれる。
がんばってもうまくいかないときに試してみてほしいこと 自分を徹底的に甘やかす。色々やめる。気をつかわない。てきとうに働く。怒られても気にしない。人の言うことをきかない。時間を守らない。部屋が汚くてもいい。罪悪感を感じてもサボる。 つまり「がんばらない」をがんばる。
逃げるためには、「あ、逃げてもいいんだ」っていう発見が必要だし、次に「どこに逃げればいいのか」という逃げ場所を知っている必要がある。逃げ場所はたくさんあればあるほど良い。それは子供も大人もおんなじ。
今、自分ができる最高の社会貢献は、「ただただ機嫌よく過ごす」ということだと思う。誰かを責めるでもなく、過剰に応援するでもなく、ただただ、機嫌よく過ごす。そうやってまずは自分と、自分の周りの生命力を高める。
人の良いところを沢山見抜いて褒めるのが上手な人は、その倍以上、悪いところも見抜いている。良いところは直接伝えた方が効果的で、悪いところは伝えずに、こっそり自分の中で利用した方がずっと有利に立ち回れるってことを本能的に知っている。
これ、覚えておいてください。あー、自分、こういう性格で良かったなーって思ったら、そこに自分の強みが隠れてる。その性格の自分にしかできないことで、他の人を救えるかもしれない。
「言ったことはちゃんとやる」「決めたことはちゃんとやる」「約束はちゃんと守る」そして「やれないことは言わない、決めない、約束しない」っていうことを淡々とやっていると、段々自分で決めたことが実行される確率が上がっていく。そうやって徐々に自分の思考と現実が一致しはじめる。逆もしかり。
これ、ほんとに効果があったから何回も言うんだけど、「自分にめんどくさいという感情がなかったら、何をやるだろうか、何をやりたいだろうか」って考えると、心理的な壁を迂回して色々な自分の本音を掘り起こせる。すごく便利な質問。
人のために何かするときは、自分が気持ちよくなりたくてやってるんだ、っていう「利己ありきの利他」であることを忘れないようにする。 そうしないとすぐ、いつのまにか見返りを求めてしまう。 見返りを求めてしまったら、もうそれは利他ではない。ただの交換。ただの取引。
好きなものをずっと好きなままでい続けるのは難しいってわかりました。 好きなものをずっと好きなままでい続ける一番の方法は、たまに嫌いになってもいいや、って開き直ることだと知りました。
不安感はすぐ受け入れるくせに、幸福感は受け取り拒否するのやめてもらっていいですか。
「本来絶対仲良くならなそうな奴となぜか仲良くなってしまい、それ以来ずっと一緒にいる」という現象は一種のバグなので、人生経験を積むほど少なくなっていきます。 だから「私達、全然タイプが違うのになんか付き合い長いよね」という友人は本当にほんとうに貴重なので、大切にしてほしいです。
「あの人みたいになりたい!」はあぶない。完全にあの人になることはできないし、あの人は好きでやっていることも、自分は全然好きじゃないかもしれない。好きじゃないものを好きになることはできないから、ここでものすごくしんどくなる。「あの人のこの部分だけ、いただこう」を推したい。
「善意は自己満足」と考えたほうが楽。 善意は余計なお世話であり、自分が気持ちよくなりたいがための行為であり、受け取ってもらえたらむしろこちらが感謝すべき行為。見返りなんてなくて当然。 見返りを期待した時点で「お徳ポイント」は入らないので、そんな善行はやるだけ無駄。
つい感情的になってしまって、思考がぐるぐる深みにハマっていくときには、「あ、これもしかして、感情に引っ張られてる?」「もしかして、客観的に見たら、そんなに重要な問題じゃない?」「なーんだ」の三枚におろしてやるとおいしくきれいにいただける。最後の「なーんだ」で、茶化すのがポイント。
「なんでこんなこともできないの?」という言葉は、疑問形になってるけどこれ、質問でもなんでもなくって、ただの言葉の暴力です。 こんな言葉で「どうして自分はこんなこともできないだろう……?」なんて悩むのはすごくもったいないから、その思考からまず、辞めていってみてほしいです。
「今よりもっと調子のいい自分がいる」という幻想を捨てる。「今日も調子が悪い」のではない。それがデフォルト。標準。本来の自分。あきらめるのだ。自分なんてその程度だ。 その程度の自分が出来ることを増やしていく。 調子のいい自分を基準にしてはいけない。
子供を「この子は将来、天才になる!」って信じて育てると本当に天才になるっていうのをピグマリオン効果っていうんだけど、これを大人が応用する場合、「自分は将来、こうなる」っていうのを身だしなみや態度でいかに周りに信じ込ませるか、っていうことになる。自分を騙すよりも、実は手っ取り早い
【読書メモ】アルコールとかだらだらネットしたりとか、ドーパミンを出す事はストレス解消になってるようでなってない。読書、瞑想、散歩など、セロトニンを出す事は実際的なストレス解消になっている。この区別ができてるかどうか。なるほどー
「忙しいわー」と「寝てないわー」と「体調悪いわー」は言わない。全部自己管理出来てない、無能アピールに過ぎないから。それでもまだこれらのアピールが価値を持つ風潮は根強いし、自分もつい、言ってしまいがち。だから定期的にこうやって自分に思い出させてやる必要がある。子供に教えるのと一緒。
「今よりもっと調子のいい自分がいる」という幻想を捨てる。「今日も調子が悪い」のではない。それがデフォルト。標準。本来の自分。あきらめるのだ。自分なんてその程度だ。 その程度の自分が出来ることを増やしていく。 調子のいい自分を基準にしてはいけない。