格闘家の青木真也さんが本の中で言ってたSNSの使い方、マジで真実だと思う ・言いたいことは名指しで直接言う ・相手が誰かわからないようにぼやかして書くのが一番ダメ ・ぼやかすと、誤爆して関係ない人を傷つける ・巡り巡って自分自身の評価が下がり、自分が一番損をする
考えても無駄なことを考えないということはとても大事で、そうやって限られた貴重な頭のエネルギーを節約して自分の大好きなものに振り向けないとあなたの推してるその素敵なものが成長してかないわけですよ。そんなどうでもいい上司や客(というふりをした他人)に、貴重なリソース使ってる場合か
いちばん辛いのはその出来事があった瞬間じゃなくて、それを思い出して何回も脳内再生したり、そこから派生した物語をたくさんつくって上映し続け、脳内批評家たちがその映画に関して辛辣に語り合う、そういうのを、机にくくりつけられて延々と視聴させられることなんだよね。
若いときの無茶が寿命の前借りだとしたら、これ、利息がけっこうえげつないと思う。 魔剤、カフェイン、徹夜、偏食、アルコール、オーバードーズ。この辺が前借り。 こういうツールを使って無茶することを「努力」と呼ぶ風潮はなくしたほうがいい気がする。
徹夜したり、お酒を飲みすぎたりカフェイン摂りすぎたりして自分の命を削っているとき「そんなことしてると寿命縮むよ」と言われてもピンとこないけど、「そんなことしてると体調崩したときのつらさがデフォルトになって、そのまま20年とか30年生きることになるぞ」って言われると一気にヤバみが増す。
そうか。 好きなことをする=自由に好き勝手にふるまって生きる ではなくて、 好きなことをする=自分とおなじ「好きなこと」をしている人たちの世界で生きる ということなのだ。これもまた、他者とのかかわり方の話なのだ。
決定的にもったいない勘違いは、 ・全く努力をしている感覚がなく、 ・時間はあっという間に過ぎるように感じるし、 ・簡単に作業が終わってしまう。 そういう作業こそが本来「得意なこと」で、任されるべき仕事なのに、それを「さぼってる」と感じる勘違い。
・しゃべるのがあんまり得意でない人は、思考回路が最適化されている ・「会話」は自分語を公用語に翻訳する作業。翻訳に時間がかかる=会話のテンポがズレる=会話が苦手と感じる ・自分の脳の構造に合った表現手段、コミュニケーションスタイルを意図的に選んで使う note.com/fta7/n/n6f875d…
期限ギリギリになってからやる →苦しいが、ギリギリなほど得られる達成感も大きくなる →「期限間際になれば本領発揮できる」ということを、身体が覚えてしまう →期限ギリギリにならないとやる気がでなくなる(以下繰り返し) というように、期限や締切は麻薬に似た作用を持ちます。
「頭の中に理想の自分を思い描いて、そいつに今の自分の悩みについて相談するように文章を書く」これはもう誰が何と言おうと強烈に効果あるから何回も言い続けます。何か小説とか書いてる気分でやればいい。たぶん自分を客観的に見られるから、自然と解決策が浮かんできやすいんだろうなー
「心を動かす」ための経験を後回しにしない。心が動くたびに少しずつ、自分のことがわかる。無味乾燥な、論理と効率の世界で生活していると、この経験を、いともたやすく先送りしてしまう。「理由はまだわからないけど、心が動いた」という体験を、本、人、映像、移動の中から摂取し続ける。
そもそも息しているだけで誰かに必ず迷惑をかける=傷つけるのだから、「人を傷つけないように生きる」とか「人に迷惑をかけないように生きる」って不可能。だから実は「人を傷つける覚悟」「反撃される覚悟」「負けて失う覚悟」って、特に自分を表現して生きるんだったら必要になる覚悟だと思う。
やる気がないときに、やる気を出そうとすると無駄にMP(メンタルパワー)を消費する。 やる気がないときには、やる気がないなりにできることを考える。これならMPを消費しない。 身体を動かしはじめるとやる気は勝手に出てくる。 やる気を出そうとがんばらずに、今あるやる気でなんとかする。
コミュニケーションが苦手という人には、実は「口を使った会話が苦手」「3人以上の会話が苦手」なだけって人が結構いる。文章だと表現力が上がったり、対面だとゆっくり思考を「話し言葉」に変換できる人も多い。自分の得意なコミュニケーション形態に相手を引き込むっていうのもひとつの戦略だ。
休むのがあまり得意でないあなたへ……カフェインを数日、完全に抜くのです……無理しようにも無理できない、そんなけだるい状態で、ただひたすらゴロゴロし、ぐっすり眠ってください…… もし頭痛がきたら、それは離脱症状です……それだけカフェインに頼って生きているということです……
誰かを信じるって、その人を信じてる自分を信じるってことなんだよね。裏切られたときに相手を恨む気持ちがあるとしたら、それは単に相手に依存していたというだけの話。
自分は何ができるのかとか、自分は何が好きなのかとか、めちゃくちゃ考えてるけど答えがでないときは、自分はどんな人が好きで、どんな人の力になりたいかを考えると何か気づくことがあるかも。何、ではなく、誰、を考えてみる。
自分に問題があるうちは、何をしてもダメ。 という呪い。そんなことない。問題抱えたまま遊んだっていいし、遊ぶから解決策が見えてくる事もあるし、遊んでいれば大抵、そもそもこれ、問題ですらなかったわ、と気づける。 問題を解決するために頑張ると、キリがない。
「やればできる」は恐ろしい言葉だ。できないのは、やらない自分がわるい。できるためにはやらないといけない。という暗示が潜んでいる。ほんとうは、「やらなくてもできる」つまり、やろうと意気込んだりがんばらなくても、やろうと思ったことはすでにやっているというのが本来の自然な姿なのに。
イラっとしたらスッ…と取り出せるゲームや本、小説、漫画などを携帯してください。できるだけ「短時間に」「深く」没頭できるものがいいです。怒りにかまけて色々考えすぎると、ちいさな火種もどんどん炎上し、巨大化します。思考をとめ、燃料を供給しなければ、怒りの火種は少しずつ消えていきます。
ブラックな職場を辞めるコツ ①ズル休みする (休むことで正常な思考能力が回復し、自分の置かれている状況の異常さを実感できる。ていうか本当は何もズルくない) ②会社に本気で行きたくなくなる (行かなくていい) ③周りがようやく、事態の緊急さに気づく (気づかせたほうがいい)
「友達の成功を喜べない」と、自分の人でなしさに罪悪感を抱いたりしていたけど、 そもそも、友達の成功は苦しいもの であると気づいてからすごく楽になった。 誰なんだ、最初に「友達の成功は一緒に喜べるのが普通」って刷り込んできたやつ……。 むしろ「友達」くらいの距離感が一番むずかしい。
やるべきことを、時間単位で予定にせずに、極力「作業量」で予定にする。30分勉強するのではなく、30ページ勉強する。そして空いた時間でやりたいことをやる。こうすることで、時間を生み出すために驚異的な集中力が発揮されるとともに、クオリティを損ねずに時間短縮する創意工夫が生まれる。
もっと運動しなきゃとか、もっと勉強しなきゃとか、「これぐらいできなきゃだめなのにできない」って悩むのをやめるだけで、だいぶMP(メンタルパワー)が節約できるということに気づいた。これ、自分と他人を比較して消耗している典型パターン。「これぐらい」というのは、他人から与えられた幻想だ。
「できない」を「できそう」にレベルアップさせる唯一最大最高の方法は、「今の自分でも間違いなくできる」と思える小さい行動を考え、それを実行すること。どこにでも書いてあるし自分自身何度もゆってるけど、これは何度言っても言い足りない。だから今日も言う。何ならできるかを考え、実行する。