好きなこととかやりたいことを我慢することに慣れてしまうと、やりたいことなのに、やろうとするのがめんどくさい、という状態になる。まずは勇気を出して、やらなきゃいけないことよりもやりたいことを先にやる。これでだんだんと、やりたいことをやる、という当たり前の感覚を思い出してくる。
「努力マウント」の兆候 ・自分の努力に気づいてほしい、といった態度をとる ・気づいてもらえないとイライラする ・相手や周りが努力していないように思える ・自分は頑張ってると思ってるから、態度が横柄になる ・なんで自分ばっかり、と思い始める これチームワーク乱すからほんと気をつけて。
「お金がないから好きなことしかできない」ってめっちゃ良い言葉だと思った
「どうなりたいか」ばっかり考えていても、「そうなってない」自分に気づいておちこむだけ。「どうありたいか」って考えてみると、今の自分のひとつひとつの言葉とか、動きなんかに意識がいく。理想の自分はそんなこと言わないし、きっとこう動く、っていうのが、アイディアとして沸いてくる。
「もっと力をぬきなよ」ってゆわれてもその力の抜き方っつーのがわからないんじゃ、という人におすすめなのは、全力で睡眠時間を確保すること。すべてを犠牲にして寝る。本気で寝る。妥協なし。力を抜く必要もないし体力も回復するし余計なことしなくて済むし、良いことづくめ。
「何もやりたくない」ってけっこう大事な時間で、やらされていたこと、やらなきゃいけないと思い込まされていたことを、身体から毒抜きしている最中で、この状態がずっと続くのか、時間を無駄にしてはいけない、などと色々と考えてしまうけど、その不安を乗りこえひたすら無駄に時間を過ごすのが正解。
本を読まねばならない。もっと勉強せねばならない。たくさんの人に会わねばならない。ねばならない。ネバならない。もうネバネバしてばっかりである。読みたい本があって、勉強したいことがあって、会いたい人がいたんじゃなかったの。
自分とは合わないな、自分はこの人の力になってあげられないな、と思う人と付き合うのはやめてあげてください。相手がもっと気の合う、力になってもらえる誰かと出会い、関係を築く時間を奪っているだけです。そしてあなたと相性ぴったりで、助けを必要としている人に迷惑です。
「なんで自分ばっかり」と思っているときって大体自分が間違っていて、むしろ自分の方が相手や周りに負担をかけてしまっていることの方が多くて、そのことに気づけると、この精神的不均衡はあっという間に解消する。 ポイントは、その事実にいかにして気づくか、ということなんだけどもね……。
最近胃腸の調子良くなくて内科に行った。食後にすぐ寝てしまう習慣があって、これがよくないのかなと思ってお医者さんに聞いてみたら、「食べてすぐ寝ても、消化には全く問題ないです」と言われた。ネットには胃腸を痛めると書いてあったのですが、と聞いても「信じなくていいです」とのこと。まじか!
あなたが心の底からうざいと思うその人も、もしかしたらこの世のどこかに、ありのままのその人を必要としている人がいるかもしれないわけで、だからあなたがその人を変えたり、なんとかする必要はない。さっさと距離を置くべきなのである。むしろなんとかしちゃったら、その誰かのためにならない。
「あれやんなきゃ」「これやんなきゃ」という思考は、「怠け者が、はやくしろや」つって延々と自分を責めてるようなものなので、そういういつもの思考がよぎった瞬間に、「やる気あるね」「がんばってんね」くらいの言葉を自分にかけてやりたい。
失敗するのってじつは結構難しい。まず「挑戦」しないといけないし、そして自分で「失敗だった」って認めないといけない。コレは失敗だ、って認めるのが怖くてずるずる負債を膨らましている人も多い。認めれば失敗は「経験」という資産になるのに。失敗は認めれば資産。認めなければ負債。
優柔不断におすすめな頭の使い方:「仮決定」をどんどん下す。仮なので、その後何回、その決定を覆してもかまわない。優柔不断は、決めてからの方が頭が回る。たとえ仮決定だとしても、決めた途端にいろんなアイディアがわいてくる。その習性を利用する。
1,2回の失敗で辞めちゃうとホント苦手意識しか残らないし、できなかったっていう記憶しか残らないけど、失敗しすぎて失敗に慣れてくると、だんだん失敗するのがわりと平気になってくる。失敗が平気ってことは、挑戦が平気ってこと。挑戦が平気ってことはサイコロを振れる回数が増えるってこと
今進んでいる道が例え正しかったとしても、(あっちの道に宝箱があるんじゃないかな…)ってそわそわしながら進むのはやっぱ不健康な気がするのだ。たまには思いっきり間違った道に入り込んで「やっべやっぱり何もなかったわw」つって戻ってきて、すっきり顔で正しい道を進んだらいいと思う。
なにもかもめんどくさくて、たとえ自分のやる気スイッチの押し方を知っていても「そもそもそれを押すことすらめんどくさい」ってときがある。かといって「よし、じゃあ全て放り投げて完全に休養しよう」という勇気もなく、心の中のどんよりとした罪悪感にただひたすら耐え続ける…これが一番消耗する
自分で「これくらいはできる」と思っている一日の作業量と、実際にできる作業量の間には、びっくりするくらいの差がある。一度でいいから、一日のすべての時間を計測してみるとわかる。そして計測しないとわからない。計測して自分につきつけないと、一生「やればできる」から抜け出せない。こわい。
だんだんわかってきた。好きなことするには、体力が必要だ。
他の人がやっていることを気にしすぎると、「今の自分」から遠ざかっていく。 考えるべきなのは ・今の自分に何ができるか ・今の自分は何を必要とされているのか ・今の自分はそれにどう応えられるのか これだけでいいんだけど、他人を気にすると自分もあれくらいやんなきゃ、とか思ってしまう。
「今日中に終わらせなきゃいけない仕事」がたったひとつあるだけで、心理的プレッシャーが高まり、取り掛かるのが億劫になり、ダラダラした時間が増え、別の作業をしようにもその仕事が気になって手がつかず、全体的に生産性が落ちる、という負の連鎖に陥る。締切頼みの仕事の仕方は、実は効率が悪い。
できるだけ綺麗な言葉を使いましょうっていうのは、言葉って「思考の部品」だから、良い部品を揃えた方が綺麗な思考が組み上がる確率が高くなるよってこと。ただしやり過ぎて「わるい言葉をなくそう」って考えると途端に崩壊する。明るい色だけで綺麗な絵は描けないのと同じ。どす黒い色だって必要。
例えば炎上している記事を読みたくなったり、不景気な業界を嘆く記事を読みたくなったりするのは、他人の不幸から今の自分を肯定するっていうすごく消極的な快感の得方なわけで、これによってけっこう大切な何かを消費している気がするからほどほどにしたい。まじで。
結局、信頼される人間になるためにはどうしたらいいのだろうか。それは「好きな人とだけ、無理のない約束だけを交わす」ということに尽きると思う。約束を守りたいと思える人とだけ約束を交わす。守れる約束だけを交わす。甘えてしまう相手とは約束をしない。好きではない相手とも約束をしない。
ときに愚痴を吐くことも、デトックスのためには確かに必要なことなのかもしれない。ただ、愚痴は当然、ほとんどの人にとっては不快なものであることは忘れない方がいい。それを受け入れてくれているのは、あくまで周囲の人たちの優しさだ。その優しさに甘んじているということを、忘れない方がいい。