けいきゅう~ん(@FUEL_CELL_BUS)さんの人気ツイート(リツイート順)

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マイテ49-2、オヤ31-31が京都鉄道博物館に運ばれたとのことで、今後の両車動向が気になるところです。 マイテ復活後はEF58 150との組み合わせが定番化していた印象ですが、EF81牽引も何度か見られました。
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山手貨物線を走った、EF64 1032+「トワイライトエクスプレス」とEF81 139+E751系配給。 仕事の合間に適当な場所で撮っただけ。 トワイライトにしろ、E751系にしろ、首都圏に姿を現していたのが今でも違和感だらけです。
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北陸本線 貨物281列車 (寺井→金沢基地) 1991年 金沢駅にて 当時は松任工場出場車を最後部に連結する日も有り、松任→金沢基地の短区間ながら、このような組成も見られました。 能登色新色+七尾普通色+敦賀色。 今年、松任工場(金沢総合車両所松任本所)閉鎖とのこと。北陸のJRが寂しくなりますね。
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かつて、北陸本線・七尾線では、485/489系使用の快速が運転されており、金沢→富山や直江津→富山、金沢→七尾など、特急運用の車両送り込みを快速で運転。 朝の運用は通勤で乗れる乗り得列車でした。 金沢に転属して来たクハ481-801もK編成組込時期に運用されるも、ほどなくスーパー雷鳥色に変更。
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スーパー雷鳥色に塗装変更されたクハ481-801。 1991年、金沢転属後はO編成・K編成に短期間組み込まれ、すぐにR編成付属3連の大阪方へ編入。 変態顔の異端児が、まさかのスーパー雷鳥色変身に唖然としました。 3連付属で富山地方鉄道線へも入線しましたが、撮らなかった事が悔やまれます。
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数ある北陸特急の中でも、群を抜いて地味で、車両も最古参の寄せ集めだった感のある「加越」。 東海道新幹線(米原)の北陸連絡特急として、米原~金沢の短区間運転。ビジネス要素が強い特急でした。 そんな「加越」も一時期、最も豪華な「かがやき・きらめき」用S編成の間合い使用で華やいだことも😅
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七尾線を走る特急「はくたか」(北越急行車SRE) ほくほく線内は160km/hの疾風。 強いオーラを放つ681系も、七尾線に入ると激変。 身軽な3両でちょこまか走る姿はユーモラスで、このギャップは「はくたか」の魅力の一つ。 JR車が来るか北急車が来るか、当時は賭け。 SREが来ると大当りでした。
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勝田区485系 K40+K60編成の集約臨10連。 勝田転属後暫くは、仙台区ビバあいづ色+上沼垂色の出で立ち。 "イルカ"色への塗装変更まで、それぞれが多客臨などに使われたようですが、集約臨の混色10連はカラフルで面白かったです。
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京急デハ230形236が総合車輛を出場した、6月14日未明 24時00分。 その瞬間、この日で定期運用を終える800形823-1とランデブー。 両者の共演・偶然の演出に感動。
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1991年の七尾線電化で登場した415系800番台。 当時は斬新(?)な配色でしたが、1編成だけ両先頭車のブルーがやたら明るい水色のエラー塗装編成が居ました。 どこの工場で改造した編成か分かりませんが、塗料を間違えたのか、足りなかったのか、意図的なのか(笑) まあとにかく目立ちましたね。
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あまり知られていませんが、JR西日本 金沢運転所に、トワイライト色のEF81 92が運転シミュレーターとして設置されていました。 前照灯・尾灯・EG灯も点灯し、ヘッドマークは本物。 本来のEF8192は田端運転所所属。 ローズピンク→北斗星色→カシオペア色と歩んだカマ。 写真当時は北斗星色でした。
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7月5日は、ナナゴの日? ならば1993年のED75牽引「サロンカーなにわ」。 大サロは、新津-(DD51 745)-会津若松-(ED75 727+711)-郡山-(ED75 711)-仙台と走行。 磐越西線が深夜、仙台に早朝着予定も、磐西の路盤トラブルで会津若松抑止。 DD51牽引は撮れず、代わりにED75牽引を早朝の磐西から2回撮影♪
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EF81 92(田)牽引、東北本線普通列車。 92号機は、ローズピンク→北斗星色→カシオペア色と塗り替わり、北斗星色EF81の初号機でもありました。 北斗星の日中間合いで、盛岡口の定期客レを牽引していた頃が懐かしい。
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489系 白山編成「能登」。早朝の高崎線・日の出直後の撮影。 1997年に特急「白山」が廃止されるまで「白山編成(白山色)」と呼ばれ、以後は「能登編成」と呼ばれるように。 京都鉄道博物館の白山色ヘッドマークは28日から「スーパー雷鳥」になりますが、馴染み有る「能登」を見たい方も多いでしょうね。
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EF81104+トワイライトエクスプレス編成の、カートレイン浜松町駅展示。 某ごん氏が「スシ24 2両組込は珍しい」と書いていたので浜松町駅のカットを見たら、あらホントだ! で、当時の某雑誌投稿を見たら自分の記事で、「スシ24を2両組み込んだ珍しい編成」と書いていた(笑) twitter.com/keikyun_keikyu…
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「成田臨」という言葉の響きが懐かしい。 90年代、年始の休日は早朝(未明)から成田線へ。 ロクイチ・パック登板日は大混雑、とにかく寒かった。 12系・簡易和式・白樺のほか、ヌマ座・14系・浪漫なども入線し、牽引機もバラエティ豊か。 ポジフィルム・置きピン1枚切り。 アナログの真剣勝負でした。
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JR東日本・西日本・東海のジョイフルトレイン三種類が顔を合わせています。 たまたま見掛けて撮った写真ですが、JT全盛期を感じます。
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西武鉄道で運用を終えた「レッドアロークラシック」が、富山地鉄へ2本目の10000系NRA譲渡となったら、物凄く人気が出そう。 特急"立山"・"うなづき"や臨時列車として、立山連峰の麓を快走し、初代5000系とも共演。 妄想で作った画像ですが、実現すれば富山通い確定。 稲荷町にて ※イメージ
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「スーパー雷鳥」3色混色組成 一回目 1992.2.3. 東金沢-回1107M-富山-4004M-大阪で実現 1992年2月限定、一部期日に運転された3色編成。 基本・付属の運用数違いで延べ4~5日しか3色は実現せず、把握も大変でした。 このうち4日間は撮れたものの、初回は倶利伽羅峠へ行く気ながら間に合わず近場で。
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北陸特急が485系の宝庫だったとはいえ、ここまで貫通顔が顔を並べるのも珍しいと思って当時撮ったのか、こんなポジが出て来ました。 ボンネット以外は300・700番台等の非貫通顔が主体だったので、200番台・801といった貫通顔は来ると「おっ!」となったものでした。 1991年 金沢運転所外周道路より撮影
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200系10両+400系7両=17両編成 編成長390m JR東日本の新幹線は、5・6・7・8・10・12・13・15・16・17両編成と複雑。 単独・併結で両数が変わり、停止位置目標・乗車位置表示が複雑な印象。 200系+400系は2001年まで9年間。 E4系+400系は1999年から2010年まで11年間。 2年ほど併結相手が2種類でした。
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トミックスから、「リゾート白馬」6両セット発売と聞きました。 リゾート白馬はR14系(リゾート14系)4連の実績が長く、ハネ付きは1994年夏・1995年春のみと記憶しており、印象は薄め。1995年7月の大糸線災害で列車も消滅。 TOMIXのコレ、シュプールやムーンライト組成種車として購入する方が多そう?
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1991年9月1日の七尾線直流電化開業に向け、1991年春夏は113系改造種車・改造車配給が相次ぎました。 スーパー雷鳥も組成変更(9連→7+3連)とするため、クモハ485-200改造やクハ481-200のR編成仕様変更など、急ピッチで電化開業準備が進んでいましたね。 今庄で撮影後、先回りして加賀温泉で撮影。
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EF81 114牽引 "シュプール妙高志賀" (回送) 北陸本線(現:えちごトキめき鉄道) 谷浜~有間川 1995冬シーズンの"シュプール妙高志賀"は「あかつき」編成を流用、レガート車14系も組込。 EF81牽引区間は深夜~未明運転。 直江津→糸魚川のリネン交換回送のみ朝7時台運転。何とか走行写真が撮れました。
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武蔵野線103系 高運転台タイプ。 京葉線市川塩浜 1994年。 この頃は6両編成と8両編成が混在していて、一時的に8CARSステッカーを貼りつけていました。