けいきゅう~ん(@FUEL_CELL_BUS)さんの人気ツイート(リツイート順)

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1990年代前半は、首都圏の103系リニューアル工事が相次ぎ、EF65PF(稀にEF81)牽引の電車回送が比較的頻繁に運転されていました。 この頃は双頭連結器のカマが居らず、機関車と103系の間にウグイス色の伴車を連結。 レインボー色1019号機は一度も牽引せず、今一つ人気が無かった被写体でした。
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八高線金子駅。2002年の103系中原車貸出時に川越車との交換を撮って以降、数回立ち寄って交換撮影。 先日、総武線からのE231系・209系ワイドボディに統一されていて驚きました。 103系・205系・209系のイメージしか無く、209系は前照灯がLED化されたものも。 りんかい顔209やE233も撮ってみたかった。
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北陸新幹線が窮地の今、米原経由の北陸入り需要が高まり、連日「しらさぎ」は満席らしい。 その昔、東海道新幹線米原で接続する北陸特急といえば「加越」「スーパーきらめき」と、名古屋始発の「しらさぎ」。「きらめき」は「かがやき」と対照的に閑古鳥、末期は「加越」との差別化も無くなりました。
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昨日、トワイライト色EF81 113(敦)が、宮原から敦賀へ返却単機回送とのこと。 トワイライト色になって31年目。この写真は30年前の1990年に北陸本線・湖西線の琵琶湖一周で運転されたブライダルトレイン。 新疋田は結構な人手。当時は脚立使用など考えられず、意思疎通を図って撮影した良き時代でした。
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高岡鉄道部⑤ 松任工場を出場した、新高岡色(白帯有り)キハ45×2両。 松任~金沢基地間は、貨物281列車の最後尾にぶら下がって回送されました。 寺井発281レは、毎回では有りませんが松任工場出場車の有る日は松任入換で後部に連結。客車・気動車をぶら下げて走っていました。
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楽天復帰の田中将大(マーくん)が、過去に西武ドームで投げた日の写真を探していたら、西武球場前駅で撮った野球臨に懐かしさ有り。 副都心線開業で帯色変更が進むメトロ7000系。 新宿線からの直通急行 前パン2000系。 双方とも優等種別、時代は三色LED。 右は3000系。7000系到着と入れ替わりで発車。
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副都心線開業を前に、有楽町線07系6編成が全て東西線へ転属。 西武池袋線飯能まで乗り入れ、7000系が大多数だった有楽町線~西武線直通では異色の存在でした。 2007年から10000系増備、今度は17000系登場を控え、近い将来7000系は消滅。 早目に撮っておいた方が良いですね。
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短命だった「しらさぎ」の"青さぎ"塗装。 「しらさぎ」485系K編成の老朽化から、683系投入完了までの繋ぎとして、「スーパー雷鳥」運用を降りたR編成が衣替え。 気付いたら終わっていた塗装でした。 スーパー雷鳥の都落ち感と、この塗装があまり好きになれず、然程撮らなかったことを後悔。。。
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昔のネガから。 日産の新車輸送で、東北本線を上る貨物列車。 仲間内によると、積載されているのはパルサーEXA 2ドアクーペのようです。 今見ると圧巻の輸送スタイル。中学生だった当時は何も考えず「ふ~ん」程度にシャッターを押しただけ。 そういえば西部警察の特車輸送も圧巻だったなあ~
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「はくたか」一往復は上沼垂持ちで、485系3000番台 R編成9連が任に就いていましたが、予備含む9連2本でも、様々な事情で稀にT編成9連が入る事も。 東京からスクランブル出撃しようと、前以て現地入りしようと、土砂降りや大荒れ天気で、全く思うように撮れなかったT編成「はくたか」。 富山駅 1007M
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仙台の新幹線総合車両センター(利府)で長年保存されている交流電機トップナンバーに不穏な噂。 国鉄末期とJR初期に、何度か個人で福島運転所(機関区)へ訪問。ED77・ED78・EF71 ・ED75・ED71の1号機・901号機やオリエント色707・711号機等を撮影。当時は個人でも快く対応して下さり、一人撮影会でした。
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28年前の今日、1992年9月6日。 JR西日本681系試作(プロト)編成が、7月27日の公式試運転後、初の性能試験。9連→6連減車(2M4T)。 年末の「ニュー雷鳥」(HS雷鳥)営業運転開始まで、試運転を徹底実施。 当時は485系の音が体に刷り込まれており、681系の走行音・駆動音を聞いた時、北陸新時代を実感。
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JR西日本 金沢駅 1992年 ある日の真夜中。 EF81 103(敦賀) 旅路+ハネ入線 EF81 143(長岡) あすか入線 EF81(富山) 貨物列車通過 EF81(敦賀) ブルトレ発車 EF81が最も賑やかだったのは、ジョイフルトレインや寝台特急が充実していたJR初期。 EF81113。北陸最後の1機が解体。 無性に寂しい限り。
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1985年5月、西武新宿線高田馬場。 当時中学生だった私、恐らくこの瞬間大興奮だったかも? 3月にデビューしたばかりの山手線205系が、週末1本だけ運転された5000系レッドアロー「特急おくちちぶ」と顔を合わせています。 たまたまにしては上出来(笑)
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庭坂に30数年通い、凡その雰囲気は変わらなくとも車両は変貌著しい。 学生時代、ここに新幹線車両が通るなんて考えたことも無かったし、考えようも無かった。 1987年国鉄末期、学生スキーで栗子国際スキー場へ。 50系客車列車でスイッチバックを体感したけど、そのスキー場もスイッチバックも消滅。
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NHK金沢放送局が日々更新する「懐かしの北陸」映像。 1991年9月1日・七尾線電化開業日。 当日は沿線各地で撮影しており、31年経て、七尾・和倉温泉駅の開業ムードがとても感慨深い。 同日、和倉温泉で撮った「スーパー雷鳥」・のと鉄道急行。前日まで気動車しか来なかった同駅に485系は仰天でした。
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白山編成(ボンネット組成)にATS-P取付が始まり、非貫通顔 白山色クハ489-300/700の両先頭車は金沢運転所K編成7連に組込。 まず米原方のみ白山色、追って直江津方も白山色の編成が誕生。しらさぎ・加越で運用し、七尾線和倉雷鳥と共通運用だった為、数回ながら珍編成7連雷鳥が走りました。
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「シュプール号」全盛期はジョイフルトレインやブルトレ編成も使用され、信越方面はユーロライナー・スーパーエクスプレスレインボー・あかつきレガート編成等。 白馬方面はサロンカーなにわ・ゆうゆうサロン岡山・ホリデーパル・エーデル等が活躍。 JTに乗る良い機会で、撮っても楽しい時代でしたね。
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氷見線で思い出すのが、1992年2月26日のキサハ34試運転。試9690D 12:07 キサハ34は、七尾線用の12系1000番台を改造。 キハ28・58に付随車として挟み込まれ、出力不足なのか使い勝手の悪さからか、僅か4年で退役した珍車。当時、高岡鉄道部車の新色化も始まり、雨晴海岸に見慣れぬ風景が生まれました。
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横軽越えの「リゾートエクスプレスゆう」と14系座席車。 映像の色が劣化で飛んでいます😅 ゆう(485系)は比較的峠越えが見られましたが、14系はなかなか峠越えが無かったと記憶しています。
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スーパー雷鳥が7+3分割編成となり、短い期間でしたが先頭車不足で、基本編成に「かがやき・きらめき色」・付属編成に「国鉄特急色」が入りました。 基本と付属で1運用ずれており、日によって三色混成のスーパー雷鳥が実現。 このようなパターンも見られました。 運用調査して撮っていた頃が懐かしい。
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1998年頃、「スーパー雷鳥」のラウンジカーで何となく録った動画が出てきました。 (北陸本線 東金沢~金沢界隈) こんな動画でも見返すと、485系北陸特急の中でラウンジ連結の特別感が懐かしく感じます。 「源 ますのすし」の段ボールすら懐かしい。 金沢運転所には1500番台代走「はくたか」の姿も。
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京急2451編成。 最後の花道第一弾として、今朝7時過ぎ、大師線に送り込まれました。 6月の好天時に大師線2451は撮影済。 今回は「本線→大師線への坂降り」狙いで早朝から京急川崎へ。 露出は厳しかったですが、20人ほどが迎え撃ちました。
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外出自粛でHDDの撮影画像を整理。 勝田区485系ボンネット訓練車(K26)の山手貨物線走行。「訓練車」のアクリル板が、薄れたのか割れているのか、中の蛍光灯が見える状況でした。 2003.8.30. 池袋~田端操
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「E電」 首都圏国電の新愛称。 あっという間に消え去り、私も全く馴染めず。 1987年5月13日に愛称決定、翌14日から告知ヘッドマークを取り付けた編成が走り、当時は積極的に各方面で「E電」告知を進めましたっけ。 当時JR東日本の山之内副社長も大失敗と認め、石原慎太郎運輸大臣も酷評という結末。