けいきゅう~ん(@FUEL_CELL_BUS)さんの人気ツイート(古い順)

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「スーパー雷鳥」付属編成用として1991年7月に電動先頭車化改造で誕生したクモハ485-205。 R11編成として、Mc205-M'343-Tc308で組成。 僅か4年、1995年までの活躍。 「しらさぎ」へコンバートされず、長らく金沢で放置の末、2003年5月に廃車。 晩年はかなり痛々しい姿。 金沢運転所 2000年冬。
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福島駅の雑なスナップですが、200系とE3系LR編成初期塗装の連結って、案外短い期間だったのかも? 福島駅の異形式連結は、盛岡駅より歴史が長く、バリエーションも多い。 福島に馴染みが有り、今も降車時はつい覗いてしまう。 発メロ「栄冠は君に輝く」は、新幹線全駅の発メロで最もお気に入り。
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国鉄末期の1987年3月21日頃だったか、100系シャークノーズ顔の200系2000番台F52・F58編成が登場。 運用初日は福島に居たので、上下初列車撮影。 12両→13両→ダブルデッカー込16両と変化。 F→H編成となり、「スーパーやまびこ」を冠した東北新幹線のエース。 JR東日本唯一の"16両貫通編成"新幹線。
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200系10両+400系7両=17両編成 編成長390m JR東日本の新幹線は、5・6・7・8・10・12・13・15・16・17両編成と複雑。 単独・併結で両数が変わり、停止位置目標・乗車位置表示が複雑な印象。 200系+400系は2001年まで9年間。 E4系+400系は1999年から2010年まで11年間。 2年ほど併結相手が2種類でした。
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特急「北越」1号 (1051M)は、上沼垂車9連の運用。 金沢6時過ぎ発車→夜に戻って来る為、なかなか金沢支社管内で撮影する機会が無かった編成。 新カヌ車9連というと「雷鳥」「白鳥」の印象が強く、上沼垂色と呼ばれていましたが、登場時は「北越色」「グレードアップ北越」と呼ばれていましたね。
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「E電」 首都圏国電の新愛称。 あっという間に消え去り、私も全く馴染めず。 1987年5月13日に愛称決定、翌14日から告知ヘッドマークを取り付けた編成が走り、当時は積極的に各方面で「E電」告知を進めましたっけ。 当時JR東日本の山之内副社長も大失敗と認め、石原慎太郎運輸大臣も酷評という結末。
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キハ52 125。1992年 福井駅。 越美北線で快速運転開始直後に撮影。 同年秋、糸魚川へ転属して大糸線へ。 2011年まで18年間活躍後、いすみ鉄道へ。 現在も活躍中で、車歴は波乱万丈。 大糸線色と勘違いされる方が多いのですが、これは越美北線カラーです。
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1991~2007年まで活躍した、勝田電車区485系訓練車K26編成。 クハ481-26・モヤ484-2・モハ485-61・クハ481-17の4連組成、国鉄特急色に訓練車の文字と白線が入り、クハ481-17は赤スカート。 神出鬼没に走り回り、各地撮影会でも引っ張りだこ。 最も印象に残る活躍は、3000番台ユニットを挟んだ時かな。
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2003年 大池いこいの森を通過する「はくたか83号」 運転士に指差されているみたいで(笑) 信号喚呼です。 よく見ると、クハ489のスカート上部の塗装が少し剥げて、下地の白山色が見えています。 高規格路線、160km/h運転のほくほく線を、ボンネットが必死に疾走する姿は本当にカッコ良かった。
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北陸本線 野々市~松任 1991年。 現在は北陸新幹線の高架で何も見えません。 EF81貨物列車281レと、キハ181シュプール白馬栂池回送がすれ違う。 貨物列車の後部には、、、!? 松任入出場の客車・気動車は、入場が配280レ、出場が281レ。稀にこのような組成が見られました。
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#ED76 7/6だからED76か。 昨日、日帰りで木古内へ行っており、懐かしい釜谷の大カーブも行きました。 もうED79・ED76551や客車が通ることも無く、485系はつかり・北斗星・トワイライトも懐かしいです。 二度、北海道へ現れたスーパーエクスプレスレインボー。初回の1990年9月23日はED76551が牽引。
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キハ85の引退が始まったとは、、、 1990年から「ひだ」で富山直通開始。 北陸本線運用を想定し、1990年9月に富山-福岡-魚津-富山、10月に富山-金沢-敦賀往復で2両の試運転。 11月は4両の団臨で富山→金沢㋵→米原と、一気に米原まで走破。 倶利伽羅峠で撮った事が昨日のような記憶なのに、もう引退。
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数ある北陸特急の中でも、群を抜いて地味で、車両も最古参の寄せ集めだった感のある「加越」。 東海道新幹線(米原)の北陸連絡特急として、米原~金沢の短区間運転。ビジネス要素が強い特急でした。 そんな「加越」も一時期、最も豪華な「かがやき・きらめき」用S編成の間合い使用で華やいだことも😅
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突然この顔がやって来ると、鉄道に興味の無い方々や友人はいつも大騒ぎでした。 でっかいタラコ唇、オバQだか深海魚だか得体のしれない風貌。まぁ、気味悪かったでしょうね。 広島支社フェスタは、1990年前後に何度か北陸地区へ。時には口をパクパク。その滑稽な造作、開発者の意図を知りたいです(笑)
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マイテ49-2、オヤ31-31が京都鉄道博物館に運ばれたとのことで、今後の両車動向が気になるところです。 マイテ復活後はEF58 150との組み合わせが定番化していた印象ですが、EF81牽引も何度か見られました。
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トワイライト色 EF8144号機 解体。 1991年4月3日のトワイライト色初運用が懐かしい。 原色時代から、様々な場面で33年間見て来た機関車。 10月8日、松任へ赴き、最後の別れをしてきました。 トワイライト機6機の中で、連結器改造前/後・Hゴム白/黒など、短期間に様々な形態変化をした異色機でした。
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NHK金沢放送局が日々更新する「懐かしの北陸」映像。 1991年9月1日・七尾線電化開業日。 当日は沿線各地で撮影しており、31年経て、七尾・和倉温泉駅の開業ムードがとても感慨深い。 同日、和倉温泉で撮った「スーパー雷鳥」・のと鉄道急行。前日まで気動車しか来なかった同駅に485系は仰天でした。
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NHK金沢放送局の鉄道動画で「急行 能登路」が紹介されています。 金沢発、輪島・珠洲・蛸島行き。 穴水から先の乗車経験は有りませんが、七尾線DC急行は記憶に濃く残っています。 七尾線DCは一般色と急行色が有り、電化開業を機に急行色は黄色塗装に変更。 能登中島のお立ち台も懐かしいです。
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2000年頃はポジフィルムで撮影しており、PKRを止めてRDPⅡ/Ⅲ増感でした。 増感は曇天下の北陸特急撮影で重宝しましたね。 フィルムはISO400以上が使いものにならなかった頃。 この頃、"Photoshop"と出会う。 フィルムスキャナで485特急のポジを取り込む。 つい遊び心が芽生え、弄り始めた頃でした。
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中学生の頃。 土曜は2限目の休み時間(10時半)に、学校の公衆電話から東京機関区へ電話。 私 「踊り子55号の機関車を教えて下さい」 当直「EF5861」(ガチャンっ!) ロクイチなら12時30分授業終了後、急いで沿線へ。 撮影後は品丼(品川丼)を食べたり。 思い出多き機関車と、鉄博でいつでも会える。
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EF58 61 単機回送 Hi8ムービー 1991年 浦和電車区付近 東北本線をかっ飛んでくるロクイチ。 夕陽を浴びて走る姿がカッコ良かった。 EF5861を一度でも見れば(撮れば)、あの機関車の放つ存在感・雰囲気によって虜になる。 当時、未成年の若輩者だった私ですら、一発ノックアウトを喰らいました。
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新年早々、こんなのが走らないかなあ~😅 1992年2月の短期限定だった三色スーパー雷鳥。 基本・付属の編成数が1本異なり、三色10連組成を狙うには線路端や金沢運転所で実地確認後、運用表に当てはめたり先の予測をしたり大変でした。 当時、金沢支社通達に組成予告通知が出た時は目を疑いました(笑)
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北越急行ほくほく線 2023年ダイヤ改正。 ・「超快速」「快速」運行取り止め ・最高速度110km/h→95km/hへ引き下げ ・えちごトキめき鉄道直通運転取り止め 1997年3月の開業から愛着が強い路線。 現況が痛いほど分かるだけに、これからも地域の足・巧みな新幹線接続を期待。 "Cho"Rap. 廃止は残念!
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1月13日 トワイライト色EF81113 1991年は密着連結器改造に続き、11月初旬、2エンド側屋根に粉塵飛散避けの試験として巨大鉄板を取り付け。(8002レ スイート窓対策) 取付けは僅か一週間強。8001~8002レで2往復。 恐らく全く効果が無かったのでしょう。 EF81 113号機、今後どうなるのでしょうね?
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高岡鉄道部⑤ 松任工場を出場した、新高岡色(白帯有り)キハ45×2両。 松任~金沢基地間は、貨物281列車の最後尾にぶら下がって回送されました。 寺井発281レは、毎回では有りませんが松任工場出場車の有る日は松任入換で後部に連結。客車・気動車をぶら下げて走っていました。