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信長が商業や経済を「軽視」していたとは言いませんが、それでも優先順位的には(他の戦国大名と同じように)「軍事」「政治」の後に来るものだったと考えたほうが良いとは思う。
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いや毒見なしに突然現れたあからさまに怪しい見知らぬ人間からもらった茶を殿に飲ますなよw #どうする家康
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「近世」を基準とした場合、今川、北条、武田の東国三家が戦国期における最先端集団だった、という事は歴オタ層にはほぼ常識なのだけれど、一般層にそんな認識は殆ど無い、という事をふと思い知らされた
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しかし本当に、ゲームとかの最終ボスの側の物語ですね、この大河 #鎌倉殿の13人
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梶原さんまっとう過ぎてこれは嫌われますわ
#鎌倉殿の13人
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水野さん最後まで口は悪いけど家康に親切だな #どうする家康
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確かに日本の城郭は防御という以上に「どうすれば一番効率的に敵勢を殺せるか」という思考の集合体であり、基本「攻撃こそ最大の防御」という発想から形成されているわけであり、すなわち日本の「難攻不落の城」とは最高ランクの吸血マシーンという意味である。>RT
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そうそう、「織田信長は朝廷と対立し天皇権威を乗り越えようとした」いう見方は、「信長は新興『近世』勢力の代表であり、旧勢力である朝廷勢力とは必ず対立し乗り越えようとする『はずだ』」という発展段階論的発想そのものでありながら、何故か日本の「保守派論壇」というのはこの見方が大好きであり
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少なくとも晩年を見る限り家康公、「女を見る目」というのも相当有った模様 #どうする家康
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高杉晋作も、早死したおかげで「英雄」と評価された部分は実際大きいと思う
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歴史用語の中で、例えば「悪党」や「婆娑羅」なんかをある種の反体制的集団やムーブメントと捉え、それらが時代を動かす、変化させる原動力となった、みたいな評価をされることが間々ありますが、このあたりの言葉はダイレクトに悪口、レッテルであり、言われた当人にとっては侮辱そのものであり
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徳川家、秀吉末年の時点で既に、家中に大名級家臣を何人も抱え、一門として秀忠、秀康がこれもまたそれぞれに軍団を率いており、その上にこの徳川の創始者と言うべき家康が君臨し統帥しているわけで、確かに石高以外でも、他家と比して懸絶した力を保持していたと思う。
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初期ナチスが弱小政党だったというのは、つまりこの私兵団が弱小だった為であり、事実ナチ党の私兵団であった突撃隊の拡充とともにナチス党勢も拡大しており、「民主主義」って制度だけではどうにもならないものだなあとも。
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前作で、権力や体制を守るために文字通り修羅にも悪鬼にもなった主人公を見ていただけに
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伊達政宗という人は敵だけでなく、味方も間々騙す油断のならなさが逆に魅力にも成っていると思うのですが、さらに味方だけでなく身内というべき家臣まで騙すことが有ったというのが史料的にも確認されており、仕える側は大変だったと思いますがやっぱり面白い人だなあとも感じちゃいますねw
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この敦賀、後に家康の次男、結城秀康の領地となります #どうする家康
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それはそうとして、今回の大河、徳川家は信長に散々世話になっているのにむやみやたらに「信長は嫌だ嫌だ!!」って言うのちょっと酷いなあともw 実際の徳川家中の信長の評価はどうだったかというと、例えば後世の軍記ではありますが「三河物語」では信長について殆ど批判は見られないわけでして
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中世武士の性格を定義する上で『舐められたら殺す』は専門家が見ても端的に「これだ!」というセリフだったんですよね。
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こちらが梶原景時による結城朝光讒訴事件を表した『吾妻鏡』正治元年10月25、27日条ですね
#鎌倉殿の13人
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「我等は取次」これは昨今の鎌倉幕府研究における主流の考えですね #鎌倉殿の13人
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男子兄弟というのは、毛利両川が有名ですが基本的にその嫡男が当主となった時、その輔翼となることが期待されるわけで、次世代の態勢を形成する上でも大変重要だったりします #どうする家康
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時政の言葉が本当に響く回だ
#鎌倉殿の13人
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信長動画の新作、公開されたようです!27分ほどありますが、良かったらご覧になってください!
戦国まとめ管理人の戦国談義 『織田信長ってどういう人なの?』その10 「『天正』への道」
▶️YouTube
youtu.be/VzEj1m8zv_Q
▶️ニコニコ動画
nicovideo.jp/watch/sm407694…
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徳川家康、江戸幕府が秀吉の政権から教訓を得たとすれば、第一に「恣意的に権力を用いるのは体制にとってろくなことがない」という面だと思う。