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睡眠という行為は基本的に脳や肉体の「休息」という特殊な状態と考えられていたのが、昨今生物学的に、人間と言うか生物にとってむしろ睡眠時のほうが「常態」であるという考え方が出てきたらしく、多くの生命は寝る環境を整えるために仕方なく起きているという事なのかと。
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辞世の句だと個人的には、江戸時代天明期の文人である大田南畝のこれがぶっちぎりで好き。
『今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん』
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そーいえば「怨霊の期限は400年説」なるものがあるらしく、その理由は「2000年代に入ってから関ヶ原で落武者の霊の目撃情報がパタリと無くなったため」なのだとか。何故関ヶ原が基準になっているのか。
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「関ヶ原で西軍が勝つにはどうしたら良いか」に対して、「三成たちが家康より東で挙兵する」は、今でも心に残る名回答だと思ってる。
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頼朝「ワシが一番頼りにしてるのはお前なのだ!!」
この一連のコントは吾妻鏡に書いてあります(事実)
#鎌倉殿の13人
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最近知ったこと。「大航海時代」「西部開拓時代」など、時代のある区分をそれを象徴する言葉で表す事がありますが、17世紀のフランスが「浣腸時代」と呼ばれていること。国王から庶民まで、1日数回浣腸をしていたこと。自分に似合いの色や香りの浣腸液で浣腸を楽しんでいたこと。香水か
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織田信長の嫡男、織田信忠。彼はキリスト教の宣教師に「キミたちの教えに『同性愛禁止』ってあるけど、アレを無くしたら日本でももっと流行ると思うよ。」という、キリスト教への好意に満ちたアドバイスをした事がある。宣教師自身が記録している。
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
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最初の画像が上総広常誅殺の記事(愚管抄巻六)もう一つが、広常が生前、上総国一宮・玉前神社に奉納した甲冑に結び付けられていた願書についての記事(吾妻鏡寿永三年正月17日条)
前兵衛佐殿下、心中祈願成就、東国泰平「頼朝の思いが成就しますように、東国が太平でありますように」
#鎌倉殿の13人
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この時代、成人男性は烏帽子などを脱がされ地の頭皮を見られるだけでも、現代で言えばパンツを脱がされるような屈辱的な行為であり、まして髻を切られるというのは、人格の完全否定と言っていいほどの事態でした #鎌倉殿の13人
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このご時世、動画やテレビ番組などで『この動画は緊急事態宣言前に撮影されました』といった注意が出てくることが良くありますが、イスラーム圏でのグルメ系動画などでは、時期によって『この動画はラマダーン前に撮影されました』という注意テロップが出ることを最近知る。
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そういえばヒトラーやナチスについて「経済政策は良かった云々」というような話も、今では研究の進展の結果「最初から戦争とそれによる踏み倒し前提の借金経済だった」という事がほぼ証明されてからは言われなく成りましたなー
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畠山重忠追討から引き上げてきた北条義時は時政に「重忠の弟や親類は他所に有り、彼が率いていたのは僅か百余名でしかなく、である以上彼が謀反を企てたと言うのは虚説です。もし讒訴によって誅殺されたのなら、なんと不憫な事でしょうか。」と報告。時政は無言であったとあります
#鎌倉殿の13人
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「鳥は出来れば飛びたくない」と言われたりしますが、そもそも生物は出来るなら一歩も動かず寝ていたい所、色々進化の過程でそう言うわけにも行かなくなって仕方なく「覚醒」し「活動」を行うようになったと考えると、昔から生きることは難儀な事だったのだなあ。
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日本人はかなり古来から、「生魚の切り身を好んで食う」という特徴があったらしく、それについて周辺から相当奇異に見られていたフシがあり、たまに流行る「日本人の先祖、源流」を探したければ、生魚を好んで食う連中を探すのが手っ取り早いのではないかと思っている。
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真面目な話、「何にでも効く薬」というのは古来よりたいてい覚醒剤の類だったりする #麒麟がくる
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今回の #鎌倉殿の13人 について、おそらく一般的視聴者層の「頼朝が嫌いになった」「頼朝酷い」という感想と、歴オタ系の「頼朝が居るからまだこの程度で済んでいるんだよなあ…」という感想に見事に二分化している感。
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巴御前は義仲討死後、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を生んだ、という伝承がありますね
#鎌倉殿の13人
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豊臣秀吉が晩年、それまでの明るく快活とした性格から「闇落ちした」等と言われることは多いのですが、昨今では秀吉という人物は信長家臣時代も含めて、ずっとあんな(晩年のような)性格だったという受け取り方が歴オタ界隈でも強くなってる感じですねー
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この義仲の牛車のエピソードは、『平家物語』巻第八「猫間」に出てきます。要は牛車の基礎的なルールである「後ろ乗り前降り」を知らず、後ろから降りてしまったということで、つまり義仲は都会の基本的なマナーも知らないと京都人は嘲笑ったと言おう話ですね。
#鎌倉殿の13人
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後鳥羽院「つくづく鎌倉とは忌まわしいところだ」
視聴者「本当にそうだな」
#鎌倉殿の13人
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「オレは客観的に正しいことをしてるんだからみんなは当然オレについてきてくれるよね」という独善的な信長の性格、実は本当に史料上顕れてくる割とリアルなものだったりします #どうする家康
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戦国大名などの側室を、現代的にその大名の「愛人」と捉えてはいけませんね。側室は本質的には大名正妻の「家来」であり、大名家の私的領域を運営する「奥」の職員と捉えたほうが良いと思う。
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梶原景時について、「石田三成みたい」という印象を持つ人も結構いるようですが、そもそも現在の石田三成イメージの源流が、江戸期に「奸臣」の代表とされた梶原景時のキャラクターをベースに作られたものであって、景時と三成のキャラクターが重なるのはむしろ当然なんですね。
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中世の日本人というものの実態を知れば知るほど、「江戸幕府凄い、超凄い」という感慨を抱かざるをえないのである。
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これすき
#鎌倉殿の13人