まとめ管理人(@1059kanri)さんの人気ツイート(古い順)

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大正の時代も今も、感染症流行期の予防でやることは実際には変わらない、という事なのでしょうね
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この「自分が他人を殺すのは正しいことだが、他人が自分を殺すことは絶対許されない」感、素晴らしい #麒麟がくる
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木下藤吉郎(秀吉)は、20代で既に織田家の奉行として尾張の在地行政に係わっていたフシが有るし、彼の弟の長秀(秀長)も、秀吉とは別個に信長に仕えていた(秀吉の配下に入るのは秀吉が西国を任されてから)ので、その出自はそもそも織田家と結びつきの強い家だったと考えたほうがいいと思う
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道三「ワシが嫌いか」 光秀「どちらかと言うと嫌いです」 視聴者「せやろな」 #麒麟がくる
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説明が衝撃的すぎて思わず2度見する絵
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あ、ちなみに史実で言うと、さっきの清洲織田家攻略からこの斎藤高政の兄弟謀殺まで、1年以上経っていますねw #麒麟がくる
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戦国大名などの側室を、現代的にその大名の「愛人」と捉えてはいけませんね。側室は本質的には大名正妻の「家来」であり、大名家の私的領域を運営する「奥」の職員と捉えたほうが良いと思う。
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同じ兄弟殺しでも斎藤高政と信長の違いは、その対象に自身が向き合ったか否か、という所なのだろうか #麒麟がくる
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これが謀反の味か キリンレモンがくる! 明智光秀などのラベル4種 近畿・中部で限定販売(2020年5月19日)|BIGLOBEニュース news.biglobe.ne.jp/domestic/0519/…
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信長「わしは父も弟も母も失った」なおこの時点で残っている信長の兄弟姉妹 信広、信包、信治、信時、信興、秀成、信照、長益、長利、お犬の方、お市の方 #麒麟がくる
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自分で丹念に育て上げた鷹を、平然と外交のコマにできる辺り、朝倉義景は土岐頼芸と違う、という事を表していますね #麒麟がくる
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はい信長が三好長慶に尾張との国替えを望んだという逸話はこちら いやしくも天下に大志を伸べんと欲すれば iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-828… #麒麟がくる
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今回のタイトル『家康への文』、この時点では「松平元康」なのに、「家康」としたのは、視聴者にわかりやすくしたと言うよりも、この後彼が今川から独立し三河を取り戻し「家康」と成らしめた文、という意味なのでしょうね。 #麒麟がくる
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日本人は何故暴動しないのかみたいな話が流れてましたが、別に歴史的にも日本人が他と比べて我慢強かったりする訳ではないですね。首都圏国電暴動とか見ても横暴と捉えられる行為にはあっという間に蜂起する。まあこれは「反体制の横暴」に対しての蜂起なのでそちら方面からはノーカンなのかもですが
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今川軍が乱取りをしている事に乗じて信長が義元を襲った、というのは『甲陽軍鑑』に描かれていますね。 #麒麟がくる
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元康(家康)が終始家臣たちのことを考えている主君であるのは大切かも知れない。「三河者の忠義」の前に、家康の家臣思いが先ず描かれている #麒麟がくる
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元康(家康)は、桶狭間で義元が死んだので即独立、という話ではなく、実際にはその後も今川方として西三河の防衛にあたっていたものの、織田の西三河への攻勢に反して、今川氏真は東方情勢に注力し三河を見捨てる形になったため、西三河国衆を守る意味もあり家康が今川から離脱したという流れですね
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そういえば今回出てきた奇妙丸(信忠)も毛利新介も、本能寺の変で光秀に殺されるのである #麒麟がくる
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歴史好き界隈で良く言われる、前田利家と織田信長が衆道関係にあったという話はあくまで後世の俗説で、信長の寝室の警護も含めて、やっていたことは馬廻りの仕事ですね。信頼はされていたと思います。 #利家とまつ
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戦国期の日本が「世界一の鉄砲大国」というのはおそらく事実ではなく、当時でもオスマントルコや神聖ローマ帝国(スペイン)の方が多かったと考えられます #戦国
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想像以上にTDLのシンデレラ城を「下総舞浜城」と呼ぶ行為は浸透していない模様
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既に「藤井棋聖は藤井聡太に当たらないアドバンテージが有る」とか言われてるの面白いw
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石田三成の「嫌われ設定」というのは、実際にはほぼ後世に付加された物と考えられ、実態としてはあんな極端な性格ではなく、よくも悪くも同時代的の「常識的」な範囲内にある人格だったと考えられる。
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歴史を見る上で「その時代、事象に関する後世の知見を当時の人々は持っていない」と意識しておくことすごく大切。
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信長にしても坂本龍馬にしても中途で死んだからもてはやされる面が強く、特に龍馬なんて維新後まで生き延びたら、「知る人ぞ知る」レベルの人物にしかならなかったと思う。あとほぼ間違いなく公金がらみの汚職はやっただろうなーとも思う。